張作驥のすばらしい『最愛の夏』(黒暗之光)を2回続けて見て、少し見えてきたこと。
黒暗の光とは、もちろん、盲人たちにとっての光だが、それが写真撮影のフラッシュとも、花火とも、死者たちが現れてくるマイナスというかネガティヴな光とも重なり、驚くべき稠密さで物語をつむいでいる。
最初、主人公の少女・康宜が盲目の父親を連れて台北の地下道にゆくところに胸を突かれたが、2度目に見ると、それがそれよりも前にある、少女の盲目の義母を少女があこがれるチンピラの彼(阿平)が車で送ってゆくところ(星をめぐる会話)と見事な対をなしているのに気づいた。
康宜も、阿平も、母親を亡くしている。車の場面で、少女の義母が、少年に対しても義母として受け入れている(これから受け入れる)ような予感。
とはいえ、阿平と康宜は、むしろ兄妹的な関係だとも見えてくる。キスはするけど、ふたりのあいだに性交はない。ところが最終シーンの家族写真では、阿平はそこに入ることがない以上、結局は彼は「兄」でも「夫」でもないことが暗示される。ふたりは恋人以前に留まっている。
台北の地下道は、父が実母との思い出を求めて再訪した場所。視覚を失った父にとって、音によって把握できる空間としての地下道が、過去との(妻との)唯一の接点として浮上した。
少女は父をこの世からあの世へとわたす渡守であり、それは「目」としての彼女の役割の到達点。
少しだけ知恵おくれの弟の存在が、きわだって生きている。
康宜が最後に自室の窓から花火を見るところ以後のシークエンスは、信じがたいほど完璧。これだけのものが撮れれば、ぼくなら、それでもういい。
くりかえされる単純な主題曲が、非常に、非常にいい。場面転換ごとの暗転も。
というわけで、これはまた何度でも見たい。まだ見ていない人、お勧めします。