「白水社の本棚」147号を読んでいると、宇宙物理学者の池内了さんが、こう書いていた。
「1613年にイギリスの軍艦クローブ号でやってきたジョン・セーリスは、駿府にいる家康と会見した。そのとき、銀台鍍金の「靉靆(筒眼鏡)」を献上したと『通航一覧』に記載されているのだ。ガリレオ式望遠鏡が発明されてたった4年足らずで、遙か東方の日本に渡来しているのである」
17世紀初頭の段階で、最先端テクノロジーが世界的にどの程度の速さで伝達していたのか(そして近代における視覚の専制がどのように広まっていったのか)が、なんとなくうかがえるエピソード。
これで思い出したのが、トウモロコシの伝播という謎。宮本常一先生が名著『塩の道』で書いておられたが、新大陸(アメリカス)原産のトウモロコシがどのように日本に導入されどのように広まったのかは、まったくわからないのだという。南蛮貿易のころ紹介されたものが、まったくの庶民ベースで(記録に残らないかたちで)どんどん伝わり普及していったものか。それまではヒエを作っていた山間部にトウモロコシが植えられ、よく増え、よく食べられた。これが山間部の人口を維持するには大いに力があった、ということらしい(たしか)。
かくして、アメリカスの土着の人々とヤマトの土着の人々は、すでに3、400年前、おなじ栽培植物に命を頼っていたのだと考えることには、なんともいえないおもしろみがある。
そしてその伝播の速度は、まるで根拠はないが、1970年ごろから日本列島においてハンバーガーが普及した速度にもまったく負けなかったのではないかという気がする。