「苦しんでいるさなかに不謹慎なことかもしれませんが、私は一言いいたいです。
東海村の原発とビキニ事件は大きな関わりがあるからです。だが誰の口からもビキニ事件という言葉が出てきません。ビキニ事件が当時、核、放射能の恐ろしさをあれほど警告して証明したのに、日米政府はわずか九か月で政治決着を図り握りつぶしました。私たちはその時点で被爆者ではなくなり、何の援助も補償も受けられなくなりました。
そして、こともあろうに被った膨大なビキニ被害額やアメリカの核実験容認などを取引材料にして水面下で原発技術や原子炉をアメリカに要求し、東海村に導入したのです。後にアメリカの国立公文書館からそれらの資料が見つかり明らかになりました。
原発導入に対しては、当時大勢の人たちが日本列島には活断層が網の目のように走っているから危険だ「原発は核兵器と同じもので危ない」といって反対してきました。その答えが今出ているのです。」
(大石又七、「EXPOSE 死の灰」展での配布物から)