Sunday, 8 May 2011

Small is beautiful を忘れていた

粉川哲夫さんの日記(3月31日)から引用します。

「70年代に謳い文句だった「スモール・イズ・ビューティフル」は、いつのまにかどこかに消え、今度は、「地球にやさしい」とか「地球温暖化」とかいうように、大きなサイズのことばかりが気になる時代になった。環境問題といいながら、原子力は「クリーンなエネルギー」だということになり、その恐るべき環境破壊機能は不問に付された。「人類」のためだと称し、いまここで生きている人間を犠牲にすることが見えなくされた。

原子力の潜在的な危険性は、国々がグローバルに協力すれば解決されると称し、地球規模の管理を徹底させる方向が促進されたが、その結果うまれるのは、地球規模で個々人が日常生活のすみずみまで、いや、脳細胞の隅々まで監視とコントロールのテクノロジーのがんじがらめになったウルトラ・セキュリティ社会(アメリカの「ホームランド・セキュリティ」はそれを先取りしたものだ)である。

原子力危険性と一体にならざるをえない超高度のセキュリティシステムは、いまわれわれが20日間も(そして今後何ヶ月も)味わっている不安といらだちのようなものを一切感じさせないはずだが、それは、われわれが忘却するからであり、韜晦されるからである。だが、そのようなシステムはまだ実現していないし、実現しないだろう。原子力のシステムと同様に、どこかで破綻を起こすだろう。ただし、いまわれわれが味わっている先が見えない日常のかぎりなき延長がだらだらと続くというパターンは、原発事故以外でも生じうるものであり、今後の「新しい」管理方法になるかもしれない。」

http://cinemanote.jp/diary/201103_d.html