日本の大学ではじめて授業をもったのは、1999年夏。東大駒場での「カリブ海文学」の集中講義で、1週間かけてエメ・セゼールの『故郷への帰還のノート』を読んだ。他には映画『マルチニックの少年』や『アワラ・スープ』を見て。それを思うと、この10年、この方面ではまったく進歩がない。
出席してくれた学生は10名足らずだったが、工藤晋、中村隆之、藤田さつきなどとは、いまでも交遊が続いている。うれしいことだ。
その翌年から明治に勤めはじめ、その10年のあいだにも環境は激変しているし、学生たちのエートスも変わらないようでいて相当に変わっているように思う。
それもあたりまえか。修士1年の原一弘がいっていたが、物心ついたころメディアが「バブル崩壊」を叫び続け、小学校低学年でオウムや阪神大震災の報道に接した世代には、その世代なりの共有された世界観が生じないわけはない(ぼくらにとってはベトナム戦争であり、1968年であり、連合赤軍だったが)。
と書いているうちに、朝の最高の時間帯が終わり、気温が上がってきた。きょうはだらだら汗を流しながら、仕事にとりくむか。