留守中に出ていたのが図書新聞。
4月に出版された宇野邦一『ハーンと八雲』(角川春樹事務所)の書評を書いた。
ハーンの大きさが、改めてわかったような気がする。ハーンの英語圏での評価は、まだまだこれから高まっていくだろう。そのとき、宇野さんや西成彦さんのハーン論が、当然、大きな刺激になるはず。ただ、それを受けとめるだけの外国の文学研究者の数が、まだあまりにも少なすぎる。日本語が読める「日本文学者」にとっては、英語作家ハーンは二次的な興味の対象でしかないだろうし。
「国語」はおろか「作家」個人という<個>にすらとらわれないというのが「比較文学」という領域の唯一の約束事。日本語が読める非日本語系比較文学者は、たぶんいま、各地で育ちつつある。そうした人たちとの共同を作り出すのが、目下の課題のひとつ。