日本語のアクセントはあまりに気ままで、ある単語をどう発音すればいいのかわからないことが多い。ぼくの場合、両親がそれぞれまったく別の地方の出身で、しかもそのいずれとも無縁の場所を転々として育ったため、アクセントに関しては正誤も何も(正誤があるとして)判断できないことが多い。
それでも、ときどき気づくことがある。
たとえば最近、「背景」を「拝啓」と、「指導」を「師道」と発音する人が多いなあ、と感じている。最近も、ある会議で、6人中4人が「背景」を「拝啓」(つまり「は」が高い)と発音するので、あれ?と思った。念のためアクセント辞典を調べてみると、やっぱり「背景」も「指導」もフラットだ。
まあ、どうでもいいことなのだが、ときどき、人にわざわざ非「標準」のほうに直されるときがある。
学生のころ、バイト先の出版社で「密教」の話になって、ぼくが「み」っきょう、と発音すると、その場にいた他のみんなから「みっきょう」(フラット)と訂正された。でも「新明解」は両者を併記している。
これも学部生のころ、ぼくが「ら」っこ、ってかわいいね、といったら、いまは高名な翻訳家になっている友人から「らっこ」(フラット)だと訂正された。しかも彼は何の根拠があってか、「本だけでことばを覚えたやつはそうなるんだよな」と付け加え、こっちもさすがにカチンときた。「新明解」は両者を併記している。
映画はぼくにとっては「え」いが、だが、これはいまは「えーが」(フラット)で発音する人のほうが多いみたい。「新明解」ではフラットは(新)。
まあ、アクセントは世につれ。こだわるつもりもない。「は」いけいも、「し」どうも、そう発音する人が多くなればやがてそうなっていくんだろう。