2009年4月30日木曜日

『ソラニン』

おくればせながら、『ソラニン』。これにはじんわり感動。ストーリーについては絶対に話せないが、物語作法上の禁じ手をおかしつつ、その「なぜ?」に読んでいるほうも全面的にまきこまれてゆく。

最初から描かれている風景があまりに目になじむ。あ、和泉多摩川か。

ソラニンというとじゃがいものあの毒成分をだれでも思い浮かべるが、そのうち「空耳」のような「空人」があるのかと思えてきた。

作者は1980年生まれ。明治でぼくが最初に受け持った学生たちと同い年だ、たぶん。アジア各地を旅しては写真を撮っていたアキラは、驚くほど短期間でみるみる写真がよくなっていったが、それを仕事にする道はめざさなかった。人なつこいおじいちゃん子のコバは卒業後もときどき連絡をくれた。年賀状の返事書かなくてごめん(今年は誰にも出さずじまい)。パイロットになるといってた神谷は、アフリカ、アメリカを迂回してほんとにその夢を果たした。おめでとう。途中で大学を辞めたコーサクは、たったひとりで各地でがんばって、その後何年かかけてカナダの大学をぶじ卒業した。えらかった。3年から地元関西の大学に転入していったユキムラさんは、その後どうしているだろう。

(かれらのクラスは英語の授業だったが、2000年の総合文化ゼミナールは「オートポイエーシスとアフォーダンス」だった。そのときは3人しか学生が集まらなかったけど、そろそろまたとりあげてみようかとも思う。)

世代には世代の表現あり。でもヒトの考えること感じることは100年や1000年では変わらないので、われわれはおなじような物語をいつまでも読み、いつでも泣く。浅野いにお。他の作品も読んでみよう。