マウイ島ラハイナに来ています。マウイに来たのは22年ぶり。日系人の多い島で、明日からいくつかの墓地を訪ねるつもりです。
ラハイナといえば片岡義男さんの『ラハイナまで来た理由』。胸が苦しくなる傑作です。日本のまともな文芸批評家で片岡さんを論じている人はいない。その理由は、かれらには理解できないから。20世紀後半の日本語文学に孤独にそびえたつ、唯一の優れた日系ハワイ系文学です。
太平洋を半分わたる機内で、文庫になったばかりの高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』を憑かれたように読んで、文字通り、震えました。本書を読まずして中上さんを語ることはできないし、中上を知らずして日本文学を語るな。少なくとも大江健三郎以上に、中上健次はノーベル文学賞を受けるべきだったし、それが起きなかった時点で、世界のあらゆる「文学賞」はどうでもいいものだと思える。
ラハイナにはアメリカ合衆国領土で最大のバニヤンの樹があり、日没時には鳥たちが堪え難いほどやかましく鳴いています。なんという島、なんという樹木。今年12月のわれわれのギャラリー展示は「樹木」が主題ですが、そこに「鳥」を抜きにしては何も語れないことが、改めて痛感されました。
ところで来週、9月11日。以下の5つの選択肢を思いつつ、どうするべきかを決めかねています。
(1)2001年9月11日を思いつつ、アメリカ批判をじっと考える。
(2)柄谷さんの長池講義に行く。
(3)横浜にドだけに調律した寒川さんのピアノのコンサートを聴きにゆく。
(4)神保町に片岡さんの対談を聴きにゆく。
(5)何もしない。
そして改めて思う、このような選択肢が成立することこそ、われわれの問題なのだと。
「マウイ」といえば中上さんの『異族』『野性の火炎樹』の重要な登場人物。中上作品の中では必ずしも高く評価されていないそれらの作品がいかにすばらしく重要であるかを、まだこれから、説明しなくてはならないでしょう。