「もうラカンは放り出して、フロイトしか読まぬようにしようと決心しかけたこともある。だが、結局わたしは抗しがたい力に惹かれるようにして、謎めいたラカンに戻ってくる。すると突然に、あのディスクールから一条の光が射し、ちょうど飛行機が雲をつらぬいて飛ぶときのように、一片の青空が垣間見える、たったひとつの言い回しが永遠の響きを奏で、ひとつの段落が、ほかの著者だったら二十頁もついやしたであろうほどの豊かな内容を凝縮しているように思われる。狂気、喜び、自由——人間の本質について語るこの声は、深い感動をもたらして、その親しげで快い響きを聞いていると、ちょうど、わたしたちそれぞれの内にあって、ずっと以前から言葉が見出されるのを待っていた思想が、みずから口を開いて語りはじめたかのようだ。そうなると、テクストを読みすすむわたしは、あちこちで、おかしな、楽しい、さわやかな話に行き会うだろう。彼の気取りと見えていたものは、いまや気取りのパロディーとなり、彼の晦渋さはユーモアの効果にほかならぬように見えはじめ、一行ごとに、禅の著作を浸しているのと同じ、あの声なき笑いが聞こえてくる」
モーリス・パンゲ「文人ラカン」(工藤庸子訳)