金基徳の1998年作品『悪い女』Birdcage Innを見て、あっけにとられた。
港町の民宿に住み込みの娼婦として働いている若い女性が主人公。感情の動きも、数々のできごとも、どうにも嘘くさくてばかばかしく感心しないまま、物語が続く。
それが、ラストの10分かそこらで一気に収斂してゆく。すさまじい軋みを発して、凝縮されてゆく。爆発する。その主題は『サマリア』の、あの二人の少女の驚くべきスピリチュアルなむすびつきを予告し、二人の海上での姿は、『弓』の少女の海上ブランコを予示する。
いったいキム以外の誰が、夏に雪を降らせ海に金魚を泳がせて平然としていられるだろう。
恐ろしいやつだ。フィクションそのものが人間世界にとって持つスケープゴートとしての位置をこれだけはっきりと言明しているやつは、他のあらゆる表現ジャンルを見渡しても、思い当たらない。
なんとしても全作品を見なくては。