Saturday, 29 March 2008

これは残念!

知らなかった。今年の2月21日付けで、ポラロイド社が「インスタントカメラのフィルムの生産を今年の夏までに終了する」というお知らせを出していた。

http://www.polaroid.co.jp/support/important.html

いまではポラロイドはまったく使っていない。インスタントカメラとしては、過去5、6年、チェキを持ち歩いていた。でもそのまえ、特に80年代終わりから90年代はじめのころはポラロイドがおもしろくて、旅行写真からパーティー写真まで、ぜんぶポラロイドにしていた時期があった。うちに来てくれた人みんなの顔写真を撮ったり。出会った犬猫の写真を撮ったり。あの1枚きりの感覚、捨てがたいのに。

この際、スペクトラ用フィルムを買い込んでおいて、ポラロイドだけの小さな写真展をやってみようか。

オリジナル・プリントのすごさ

写真は氾濫している。でも写真と一口にいっても、それが存在している場所はかなりちがう。

少なくとも写真を見る経験において、次の三つは区別しなくてはならないだろう。写真家の田中長徳さんの区分(『カメラは知的な遊びなのだ。』アスキー新書)によると

(1)オンラインで見られる画像
(2)印刷媒体
(3)生プリント

これらを見るとき、われわれは頭の中でははっきり区別している、と田中さんはいう。そのとおりだろう。はじめから、別の審美的な心構えをもって見ている。

印刷媒体でも、上質紙を使ったグラフィックな雑誌と新聞ではぜんぜん印刷の質がちがう。かといって、新聞写真がつまらないということもない(日本の新聞写真はほとんどが死ぬほどつまらないが、英語圏では学生新聞だって写真を単なる「情報の絵解き」として見たりはしない)。

それでも、生プリントはまったくちがう。田中さんはいう。「銀塩プリントっていうのは実は今僕らの時代の雑多にある映像の中で、最も集中力を要する、見ることに対して集中力を要する視神経の刺激の方式だと思う」と。これも同感。印刷されたものとは、色も印象もたたずまいも、すべてが異なる。凝縮された美しさがある。その場に現れる。そしてプリントの制作過程では、微妙な判断力のものすごい積み重ねが要求される(のだろうと思う)。

きょうは雑誌「風の旅人」の編集部で、編集長の佐伯さんから、新正卓さんがピンホール・カメラで撮影した桜のオリジナル・プリントを見せてもらった。さすがに、電撃的な力がある。発売されたばかりの同誌31号では冒頭に津軽の写真家・小島一郎の作品が特集されているが、「小島のトランプ」と呼ばれる写真家の名刺判のオリジナル・プリントを青森県立美術館で見たときの衝撃を思い出した。雑誌で見ても、もちろんすごい写真ばかりだ。だが、それでもやはり、あのときの「小島のトランプ」にはかなわない。

といったことを漠然と考えつつ、通りすがりに夜桜を撮影しながら帰宅。写真とはまったく不思議な技術だ。

Friday, 28 March 2008

マルタの鷹

豪華客船などがひっきりなしに寄港しているタヒチの首都パペエテの港で、いちばん驚いたのが「マルタの鷹」と名付けられたジョージタウン船籍(どうやらケイマン諸島)のハイテク・ヨット。

http://www.cnconnect.com/sales/yachtdetail.aspx?id=4440

そそりたつ3本マストにびっくりしたが、どうもあれはグラスファイバー製(したがって超軽量)らしい。船室もきわめて豪華な模様。18人のクルーと12人の乗客を乗せて。

乗るチャンスがあるとも思えないが、こんな船でポリネシア全域をまわったらどんなにおもしろいだろう。マルケサス諸島をめざして。クック諸島をめざして。

Monday, 24 March 2008

飛行機から

成田に着く直前/着いた直後の飛行機から思ったこと。

ぎらぎらと青い太平洋が、日本の沖合10キロか20キロのあたりでがらりと色を変える。どんよりと濁った緑。かなり気持ち悪い。外房の海も、その濁りのまっただ中だと思うと、泳ぐ気も失せる。

ところが、化石燃料をまき散らして飛ぶ飛行機が、海の色のどちらの側に加担しているかは、あきらかだ。

成田空港では、滑走路脇に3台の消防車が待機している。ずっと待機して、たぶん出番はほとんどない(あったらおおごと)。でもそこで、出動体制を整えたみんなが待っている。

かれらは一年の大部分の日、何をして待っているのだろう? 

『わがままなやつら』書評など

2月29日に発売されたエイミー・ベンダーの短編集『わがままなやつら』に対する反応が出はじめた。

まず、作家でラッパーのいとうせいこうさんのブログに、こんな言葉。引用します。

「小説では数日前に出たエイミー・ベンダーの新刊『わがままなやつら』が楽しみ。
 傑作『燃えるスカートの少女』を超えられるか。
 ちなみに、川上(未映子)さんの新しい短編「あなたたちの恋愛は悲惨」は、『文学界』の編集者によるとエイミー・ベンダーを意識して書かれたものだそうだ。
 うーん、面白いシフトをしてくるなあ、川上未映子。さすがだ。」

http://seikoito.ameblo.jp/

そして数日後の記述で、『わがままなやつら』が期待を裏切らなかった、といとうさん。こんなひとことで、訳者としては心から報われた思いになる。

本格的な書評の第1号は大竹昭子さん。紀伊國屋書店のサイト「書評空間」で。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/ohtake/

大竹さんの文章はぼくの1、2年生むけ作文ゼミでも何度かお手本としてとりあげてきたが、旅のエッセーも書評もつねにストレートで核心をつき、爽快。トライアスリートみたいな鍛え抜かれた筋肉を感じさせる文章だ。今回の書評では

「ここが彼女の作品の特異な点なのだが、一見、冷ややかなタッチの中にチロチロと燃えているものがある。冷たさと熱の奇妙な同居が実現しているのだ。目を開けながら夢を見ているような、醒めつつトリップしているような、あやうくもエロチックなバランス感覚があって、絶望を知っている人の暖かさとでもいうべき、簡単には失われない人への信頼が、奇妙なストーリーを運んでいく船底を洗っている。それは懐疑の果てに訪れた愛であるだけに、読む者に深い安堵を与える。」

エイミーの作品にときどき感じられる、深い「非宗教的宗教寓話」のような感覚をみごとに突いた、至言だと思う。

書評に関しては、ぼくは取り上げてくれた方にお礼をいうこともしないし、自分が書いた書評に関してお礼をいわれるのも居心地が悪いと思っているから、ここでもやめておく。でも、「作品」のために心からよろこびたい気持ちは大きい。「作品」はいつも人間よりも大きい。作者よりも、もちろん訳者よりも、読者よりも。そういうものとして人々が自由に共有しうるものが「作品」なのだ。

ピナ・バウシュ

きょうは時差ぼけの頭のまま、新百合ケ丘の昭和音楽大学テアトロ・ジリオに、ピナ・バウシュ率いるタンツテアター・ヴッパタールの公演を観にいった。演目はシチリアの街パレルモを素材にした「パレルモ、パレルモ!」

シチリアというとマフィアと思う人、あるいはタヴィアーニ兄弟の『カオス、シチリア物語』を思い出す人が多いと思うが、イタリア半島の先っぽにある特異な位置から、古来ギリシャ文化、アラブ文化にさらされてきた交通と混淆の土地。笑いにあふれた舞台は次々に予測のつかない事件が起こり、一瞬たりとも飽きさせない2時間半だった。

圧巻だったのは、前半の終結部、ゴミが散らかる舞台上で延々とくりひろげられるダンス・パーティー。むかしの「ソウル・トレイン」みたいに、ダンサーが二人ずつ中央の舞台前に歩み出て、大見得を切るような踊りをくりひろげる。この部分、大好き。そして途中で餌を食べるためだけに舞台に出てくる犬もかわいかった。

ピナ・バウシュの舞台を見るのは1986年の彼女たちの初来日以来、21年半ぶり。その翌年から20世紀の終わり近くまではアメリカの田舎ばかりに住んでいたため、こういう世界があることすら忘れていた! チケットは1万3000円。高いといえば高いが、これだけの人と装置を運んできたことを思えば、ひどく安いともいえる。

ひどく小柄な、東南アジア系かと思われる顔立ちの女性ダンサーが、妙に印象に残った。

チャンピオン一太郎

帰ってみると、明治の卒業生の小林ユーキから、付属高以来のともだちのプロボクサー石井一太郎くんがついに日本ライト級チャンピオンになったという話を聞いた。すごい、おめでとう! 明治大学出身の日本チャンピオンて、はたして以前にはいたんだろうか? ボクシングについては何も知らないぼくだが、YouTubeで見ると素人目にも「これぞボクシング」と思える爽快な試合だった。

そしてチャンピオン一太郎の「不定期日記」が、また笑える。

http://blog.livedoor.jp/ichitaro66/

いやあ、すごい先輩がいてよかったなあ、と現在の明治の在学生のみんなにはいいたい。