Friday, 11 September 2009

この場所がすごい、2009

ここはすごい、と唸るしかない場所に行ってきました。

大分県宇目。宮崎県との県境近くの山奥にある藤河内渓谷。80メートルほどの高さの滝を水源とする鮮烈な清流が、花崗岩を削りに削って変幻自在な造形を現出しながら流れてゆく。いたるところに、さまざまなかたちのプール、カスケード、岩の表面を流れる水幕など。時には幅30センチもない急流の岩を穿つ回廊になったり、ときには青い水が深くたまり清流の魚が泳いでいたり。

これが全長8キロにわたって続く。しかも! 訪れる人は、ぼくがそこにいた2時間ほどのあいだ、他に皆無でした。水が冷たいので、足をつけただけだったけど。裸で泳いでもよかった。

曲がりくねった山道のドライヴはちょっと遠いけど、舗装が途切れることはないし、落石もなかったので、恐れるには足らず。宇目の「歌げんか大橋」から林道に入って、ちょっとしたところにある夢みたいなパン屋さん「むぎふく」(若いご主人は東京からの移住者)で買ったパンをお弁当に、晩夏の一日をゆったりと過ごすことができた。よかった。

(「むぎふく」については http://www.mugifuku.com/index.html 
をどうぞ。心意気がうれしいお店です。)

帰路、いったん宮崎県に出てから海辺の町、蒲江に。ここは小説家・小野正嗣の故郷。カリブ海小説との深い親近性をもつ作品を精力的に発表している彼の背景がはっきりとうかがえる、広大な漁師町。入り組んだ海岸線の美しさ。舟で沖合に出たところにある小島の珊瑚礁を見にゆき、こちらも大満足。

ところで、山奥の宇目から海辺の蒲江まで、すべての町が現在では大分県佐伯市の一部となっている。佐伯市は、こうした大合併で、九州でもっとも面積の広い市になったのだとか。山あり川あり海あり、風光明媚のきわみ。日没は九州最東端の鶴御崎で。そこからは四国もすぐそこに見えて。

大分県南部のすばらしさを再認識した一日でした。

Tuesday, 8 September 2009

9月26日、「津田新吾への絵葉書」

ぼくらの世代の編集者で、文学や思想の分野でもっとも重要な仕事を続けてきた津田新吾が亡くなって、はや40日あまり。この夏は、ずっと彼と交わした言葉、彼とともに歩いた場所を、思い出しながら過ごしていました。ぼくにとっては編集者/著者というより、ただ単純に、同い年の親友でした。

その彼の仕事と人柄を偲ぶ会を、友人たちとともに、以下のように催します。彼が作った本の展示(全点は無理ですが!)に加え、彼と一緒に本を作った著者たちがそれぞれにとっておきの一節を朗読します。そしてみんなで、彼に宛てた絵葉書を書くことにします。

彼となんらかの接点があった人はもちろんのこと、彼を直接は知らなくても若い世代で彼の仕事に興味がある人は、ぜひお気軽に参加してください。



みなさま

 朝夕、秋めいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 さる7月25日、津田新吾さんが逝去なさったことで、2009年の夏は私たちにとって決して忘れることのできない夏となりました。

 ご葬儀からしばしの時を経て、来る9月26日午後、故人を偲ぶ集まりを開催いたします。

 題して〈津田新吾への絵葉書〉。筆まめで、旅先からよく絵葉書を送ってくれた津田さんのひそみにならい、みんなで彼宛に絵葉書を書こうではないかという趣旨です。

 あわせて、津田さんと縁の深い著訳者の方々に、朗読とショートトークもお願いしたいと思います。

 以前中学校の校舎だった場所を、会場に予約いたしました。「津田新吾林間学校」とでもいった感じでしょうか。三々五々、気ままにお集まりいただき、津田さんにまつわるあれこれを楽しく語り合っていただければと思います。

 どうかお気軽にご参加くださいませ。会場で多くの方々とお会いできることを願っております。

 なおご参加くださる方々には、世田谷区教育委員会の管理下にある会場の性格上、何点かご承知おきいただく必要がございます。下記の事項をご一読いただければさいわいです。また、このお知らせはご自由にご転送ください。

 発起人 管啓次郎、野崎歓、堀江敏幸、鈴木英果

…… …… …… ……

〈津田新吾への絵葉書〉

*日時 9月26日午後3時から7時ごろまで (ご都合のいい時間にふらりとお越しください。順次、朗読やトークを交えつつ、歓談したいと思います)

*場所 世田谷ものつくり学校 スタジオ http://www.r-school.net/

   東京都世田谷区池尻2-4-5 電話03-5481-9011

*朗読、トーク以外に特段、「出し物」は考えておりません。マイクおよびプロジェクターを借りてありますので、ご使用になりたい方はどうかご自由にお使いください。津田新吾あての文章を綴っていただくための絵葉書・筆記具はこちらで用意しますが、もちろん、何かお気に入りの葉書をお持ちいただいてもかまいません。

*簡単な食べ物、飲み物等を準備いたします。お持ち寄りいただくのも大歓迎です。アルコール類もOKですが、ただし会場側より「赤ワイン」の持ち込みだけは禁止とのお達しがありました。また会場は全面禁煙です。

*紙コップ、紙皿などはこちらで準備いたしますが、当日、ゴミとなったものは、できるかぎり各自に持ち帰っていただきたく思います。ゴミ回収・持ち運び用の小袋をご持参いただけるとありがたいです。

Monday, 7 September 2009

張作驥『黒暗之光』(1999)ノート

張作驥のすばらしい『最愛の夏』(黒暗之光)を2回続けて見て、少し見えてきたこと。

黒暗の光とは、もちろん、盲人たちにとっての光だが、それが写真撮影のフラッシュとも、花火とも、死者たちが現れてくるマイナスというかネガティヴな光とも重なり、驚くべき稠密さで物語をつむいでいる。

最初、主人公の少女・康宜が盲目の父親を連れて台北の地下道にゆくところに胸を突かれたが、2度目に見ると、それがそれよりも前にある、少女の盲目の義母を少女があこがれるチンピラの彼(阿平)が車で送ってゆくところ(星をめぐる会話)と見事な対をなしているのに気づいた。

康宜も、阿平も、母親を亡くしている。車の場面で、少女の義母が、少年に対しても義母として受け入れている(これから受け入れる)ような予感。

とはいえ、阿平と康宜は、むしろ兄妹的な関係だとも見えてくる。キスはするけど、ふたりのあいだに性交はない。ところが最終シーンの家族写真では、阿平はそこに入ることがない以上、結局は彼は「兄」でも「夫」でもないことが暗示される。ふたりは恋人以前に留まっている。

台北の地下道は、父が実母との思い出を求めて再訪した場所。視覚を失った父にとって、音によって把握できる空間としての地下道が、過去との(妻との)唯一の接点として浮上した。

少女は父をこの世からあの世へとわたす渡守であり、それは「目」としての彼女の役割の到達点。

少しだけ知恵おくれの弟の存在が、きわだって生きている。

康宜が最後に自室の窓から花火を見るところ以後のシークエンスは、信じがたいほど完璧。これだけのものが撮れれば、ぼくなら、それでもういい。

くりかえされる単純な主題曲が、非常に、非常にいい。場面転換ごとの暗転も。

というわけで、これはまた何度でも見たい。まだ見ていない人、お勧めします。

見逃したものたち

思えば今年も3分の2が過ぎて。困った、困った。

世界のほとんどすべてをわれわれは見逃しているのだから、いまさら嘆くにも当たらないのだけれど、今年もいくつか、見たかったものを見逃した。

ニューヨークでのフランシス・ベイコンの大回顧展。ロンドンでのリチャード・ロングの大回顧展。そして先日の東京でのエイミー・マンのステージ。

まあ仕方がない。代わりに、そのつど、「私」の経験をみたしている何かがあるわけだし。

それより富士山に今年も登らなかったのが、最大の反省。9月、これから登ったら、死ぬだろうな。

Sunday, 6 September 2009

プルースト

本日の東京新聞(9月6日)に、書評を書きました。

室井光宏『プルースト逍遥 世界文学シュンポシオン』(五柳書院)。

小説家が書いた批評らしく、クレイジーな着想でいっぱいの、大変おもしろい本でした。ちょっと繰り返しが多いけど。

プルーストはぼくの長い、長い、長い年月にわたる宿題。『失われた時を求めて』を、これまでは最初とまんなかと最後しか読んでなかった。ちょうどようやく読める感じになってきたところだったので、これを機に、これからのんびり取り組もうと思います。

それよりも室井さんのおかげでキルケゴールへの興味を、改めてかきたてられました。

Friday, 4 September 2009

清里で

清里での最後の、そして最大の衝撃は、清里フォトアートミュージアムでの久保田博二の作品。

アジア各地で撮影された写真が、ダイ・トランスファーという手法でプリントされている。

http://en.wikipedia.org/wiki/Dye-transfer_process

1940年代にコダックが開発したこの手法、簡単にいうと3原色に分けた色を、それぞれ色素を吸収するフィルムに担わせて、版画を重ね刷りするように何度も重ねてプリントする、というもの。

美しい。これまでに開発されたすべての写真技術の中で、もっとも幅広くまた微細な色の差異を表現できる。その場で上映されていた、プリント現場のビデオが壮絶。インド人の、ああ名前が思い出せないけどみのもんたに似た名前の人が、自由自在に色を調整してゆく。その結果は、思わず身震いするほどの美しさだ。

そしてこの手法、今年、終わりを告げた。断腸の思いというほかはない。どれほどすぐれた手法でも、かけがえのない技術でも、あるとき終わりが来るのか、来ずにはいないのか。

ポラロイドも終わり、ダイ・トランスファーも終わった。人が経験する画像は、いまもどんどん変貌している。仕方がないことではあるだろうが、無くすにはあまりに惜しいものも無くなっていく。さびしさ。

ところでこのフォトミュージアム、はじめて行ったけど、すばらしい場所だ。建築がいい、環境がいい。宿泊施設もレストランも、もう営業を止めている。もったいない。この宿泊施設を、たとえば、あまり売れないけどやる気は十分の作家たちのリトリートとして開放できないものか。あるいはベルギーのどこかのお城でやってるみたいな、翻訳者たちの合同キャンプとして。

きっと創作力が爆発する場所が、実現できるにちがいないのに。もったいないなあ。じつにもったいない。

Tuesday, 1 September 2009

トヨダヒトシの秋

わが友人、トヨダヒトシくんのスライドショーが、今年も秋の訪れとともに何度か開催されます。

まずは来週末、横須賀美術館にて。無料!

http://www.hitoshitoyoda.com/09yokosuka.html

今年は新作はないそうですが、これまでの3つの作品をまだ見ていない方(見た人も)、ぜひ晩夏の夕暮れを楽しんできてください。