原発に話を戻せば、前にも技術の「不可逆性」ということをいいましたし、そういう側面があることは認めますが、巨大技術をどうあつかうか、というのはあくまでも社会の側の問題だ、と思います。朝永振一郎氏は最晩年に、これ以上研究開発はすべきでない、すでに臨界点を超えており、これ以上開発しても人類が幸福になることはないと発言しました。
(市村弘正 [2005年] )
精神(プシケ)の世界には、国境も民族もない。しかも、ある地域に顕著な精神の病は、全地球の精神生態系に影響を及ぼすのである。
(大嶋仁)
私は子どものころ、イングランドの学校に行かされた。しかし、学校が休みに入るたび、せがんで故郷ウェールズに帰っていた。私にしてみれば、イングランドの家は住むための場所でしかなかった。故郷(ホーム)だと思えるのはウェールズだった。大地、空、動物、森、山の中腹に生い茂るヒースやビルベリー、笑っているような川音、ガウワー半島の入り組んだ海岸、徹底してウェールズの特徴をそなえた無数の建物や人びとの顔が私の故郷だった。
(C・W・ニコル)
Chassez le naturel, il reviendra au galop.
(フランスの諺)
Thursday, 28 April 2011
昨日の言葉19
哲学は、哲学にかかわりのない人々への徹底的な軽蔑を生み出します。この意味で、哲学は危険なんですよ。哲学を知らなければならないのは、哲学を乗り越えるためです。何より大切なのは生との直接のかかわりですよ。
(シオラン、金井裕訳)
空間と時間の連続性のなかから、ひとつのできごとを原子(アトム)のごとく切りとることはできない。ただ人間の言語は不完全なので、あたかもそれが可能であるかのように語らざるをえない。
(シモーヌ・ヴェイユ、冨原眞弓訳)
ぼくにとって、ハワイは、勉強の場所です。あそこは勉強に適しています。ぼくはハワイを1954年から知っていますけれど、あの島々は民間人にとっては勉強の場所です。ハワイへ観光にいくとか、ちょっとスポーツをして遊ぶとかは、イマジネーションのまったくない人たちのすることです。
(片岡義男)
(シオラン、金井裕訳)
空間と時間の連続性のなかから、ひとつのできごとを原子(アトム)のごとく切りとることはできない。ただ人間の言語は不完全なので、あたかもそれが可能であるかのように語らざるをえない。
(シモーヌ・ヴェイユ、冨原眞弓訳)
ぼくにとって、ハワイは、勉強の場所です。あそこは勉強に適しています。ぼくはハワイを1954年から知っていますけれど、あの島々は民間人にとっては勉強の場所です。ハワイへ観光にいくとか、ちょっとスポーツをして遊ぶとかは、イマジネーションのまったくない人たちのすることです。
(片岡義男)
Tuesday, 26 April 2011
陸前高田の声
アカデミー・コモンでシンポジウム「被災地は復興への支援をこんな具合に求めているのだ」。主催はわが同僚(安全学)の山本俊哉研究室。共催はNPO「り・らいふ研究会」と「仮設市街地研究会」。
陸前高田の消防団員のみなさん3名の参加を得て、きわめて濃密な時間となった。
津波には、「押し寄せる波」と「すうっと上がってくる水」の二種類があったことを知った(後者は要するに半島の影の部分)。でもその破壊力は変わらない。それぞれの言語を絶する体験を乗り越えて「前に進むこと」を考えているみなさん(なかでも福田さんはぼくと同い年、チリ地震による津波の日がちょうど満2歳の誕生日だったそうだ)の言葉に打たれた。
痛感させられるのは、国が決めるマニュアルの無意味さ。「国」という単位では、何にも対応できない。すべてローカルな伝統と知恵に頼ったほうが、はるかによかった。どこでも適応可能なプランは、結局、どこにも役に立たないのだ。
今後はともかく、土地の「なりわい」を回復し、魅力的な出会いを組織し、若者が集って定着する土地にすること。みんなを呼び込み、土地の人々を楽しませつつ、長い期間を過ごせるようにすること。
議論に加わるみなさんの前向きな気持ちに、深く感動した。これを機に、日本社会は変わらなくてはならない。今後の千年を見通し、そのための構造とスタイルを工夫しなくてはならないと思う。
「仮設市街地研究会」のみなさんの、大きな船を買って仮設住居にする(即座に実行できてしかもはるかに安上がり)というプランも魅力的だ。そして陸前高田では消防団のみなさんが、防災FMを運用するNPO法人「陸前高田復興まちづくり会議」をまもなく立ち上げるとのこと。及ばずながら、ぼくもカンパしてきました。
あれだけ広大な被災地があるとき、どこか一地点を特別視するのはどうか、という考え方もあるかもしれない。しかし結局、人の世のもっとも有効な動きは、この自分、この私と、ランダムな一点とが、どんな偶然によってか接続されるときに生じると思う。
陸前高田が復興のモデルをしめすことが、他のすべての被災地にとっても、やがては大きく役立つにちがいない。
陸前高田は尊敬する友人の出身地。これまで訪れる機会を逸しつづけたが、いつか近い将来に、必ずその土地を訪れ、その海をじっと眺めてきたいと思う。
陸前高田の消防団員のみなさん3名の参加を得て、きわめて濃密な時間となった。
津波には、「押し寄せる波」と「すうっと上がってくる水」の二種類があったことを知った(後者は要するに半島の影の部分)。でもその破壊力は変わらない。それぞれの言語を絶する体験を乗り越えて「前に進むこと」を考えているみなさん(なかでも福田さんはぼくと同い年、チリ地震による津波の日がちょうど満2歳の誕生日だったそうだ)の言葉に打たれた。
痛感させられるのは、国が決めるマニュアルの無意味さ。「国」という単位では、何にも対応できない。すべてローカルな伝統と知恵に頼ったほうが、はるかによかった。どこでも適応可能なプランは、結局、どこにも役に立たないのだ。
今後はともかく、土地の「なりわい」を回復し、魅力的な出会いを組織し、若者が集って定着する土地にすること。みんなを呼び込み、土地の人々を楽しませつつ、長い期間を過ごせるようにすること。
議論に加わるみなさんの前向きな気持ちに、深く感動した。これを機に、日本社会は変わらなくてはならない。今後の千年を見通し、そのための構造とスタイルを工夫しなくてはならないと思う。
「仮設市街地研究会」のみなさんの、大きな船を買って仮設住居にする(即座に実行できてしかもはるかに安上がり)というプランも魅力的だ。そして陸前高田では消防団のみなさんが、防災FMを運用するNPO法人「陸前高田復興まちづくり会議」をまもなく立ち上げるとのこと。及ばずながら、ぼくもカンパしてきました。
あれだけ広大な被災地があるとき、どこか一地点を特別視するのはどうか、という考え方もあるかもしれない。しかし結局、人の世のもっとも有効な動きは、この自分、この私と、ランダムな一点とが、どんな偶然によってか接続されるときに生じると思う。
陸前高田が復興のモデルをしめすことが、他のすべての被災地にとっても、やがては大きく役立つにちがいない。
陸前高田は尊敬する友人の出身地。これまで訪れる機会を逸しつづけたが、いつか近い将来に、必ずその土地を訪れ、その海をじっと眺めてきたいと思う。
Monday, 25 April 2011
「プロムナード」第13回
日本経済新聞夕刊の「プロムナード」、25日(月)は「ラハイナに行った理由」。いよいよ片岡義男さんの世界に急接近します。
4月25日 第13回 「ラハイナに行った理由」
4月18日 第12回 「キモ、キル、ロウロウ」
4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」
4月25日 第13回 「ラハイナに行った理由」
4月18日 第12回 「キモ、キル、ロウロウ」
4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」
Sunday, 24 April 2011
「東松照明全仕事」
土曜日、名古屋へ。名古屋市美術館で開幕した「写真家東松照明全仕事」のため。11時から中区役所ホールで、関連の鼎談の聴衆となる。東松さんご本人、中平卓馬さん、倉石信乃さん。これが最高だった。東松さんは体調が悪く、沖縄からの電話参加。でもいろいろお話がうかがえ、おもしろい趣向だった。わが同僚・倉石さんは第一線の批評家として全体の流れを作ってくれる。
そして中平さん。偉大さを発散している。発言はなく、ときおりうなずくのみ。その身振りと現存により、「写真は語り得ない」こと、そして「写真のすべてを肯定する」ということを、全面的・全時間的にしめしてくれた。感動以外の反応がありえるものか。
終了後、美術館にむかう。ものすごい点数。しかも同一人物とは思えないほどの幅がある。写真家がそのつどの現実を追ううちに、その現実が歴史に送りこまれ、彼の写真そのものが歴史への手がかりに転化する。そんなメカニズムをまのあたりにするようだ。
会期中、名古屋地方にゆく人は必見。関西にゆく人は、むりしてでも途中下車を勧めます。
中区役所ホールはすっかりきれいになっていたが、1974年、高校2年のぼくはここのステージで「エリザベス・リードの追憶」ほかを演奏しました。なつかしいなあ。そのころは、こんな未来(つまり現在)を予測することもできなかった。
そして中平さん。偉大さを発散している。発言はなく、ときおりうなずくのみ。その身振りと現存により、「写真は語り得ない」こと、そして「写真のすべてを肯定する」ということを、全面的・全時間的にしめしてくれた。感動以外の反応がありえるものか。
終了後、美術館にむかう。ものすごい点数。しかも同一人物とは思えないほどの幅がある。写真家がそのつどの現実を追ううちに、その現実が歴史に送りこまれ、彼の写真そのものが歴史への手がかりに転化する。そんなメカニズムをまのあたりにするようだ。
会期中、名古屋地方にゆく人は必見。関西にゆく人は、むりしてでも途中下車を勧めます。
中区役所ホールはすっかりきれいになっていたが、1974年、高校2年のぼくはここのステージで「エリザベス・リードの追憶」ほかを演奏しました。なつかしいなあ。そのころは、こんな未来(つまり現在)を予測することもできなかった。
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