先週、西新宿に用があって、帰るのに山手通りを代々木八幡まで歩いた。代々木八幡社の前を通りながら、そういえばこの境内には入ったことがないなあと思いつつ、もう暗くなっていたので石段を上がることもなくそのまま帰った。
家に帰ってから『日曜日の随想・2007』という本を読んでいた。日本経済新聞の日曜随想を集めたもの。中にあった、平岩弓枝の「蜜柑」と題されたエッセーに、すっかり感心。ぼくは彼女の作品はまったく読んだことがない。文中に、自分が生まれたのは神職の家だとあるので、ちょっと気になってウィキペディアに聞いてみると、なんと彼女は当の代々木八幡の一人娘だった。
ウィキペディアの記述でもうひとつ学んだのが、日本女子大の卒業生である彼女が小説を学ぶのに師事したのは戸川幸夫だということ。あの動物文学の、日本における巨匠だ。
そこでもうひとつ、つながってくるのが、犬の研究家として知られた平岩米吉。「平岩」という姓の人は、平岩弓枝と、この人しか知らない。何か関係があるのだろうか。と疑問を抱くが、別にそれ以上調べようという気にはならない。そのうち、おのずから明らかになるときがくるだろう。
Sunday, 25 January 2009
「ユリイカ」2009年2月号
雑誌「ユリイカ」の2月号は、特集「日本語は亡びるのか?」
小説家・水村美苗さんの話題の評論『日本語が亡びるとき』をめぐって、いろいろな人の論考が集められている。ぼくはエッセー「亡びてもいい、けれども」を寄稿。
同書を評価するにせよ批判するにせよ、一通り考えられる意見は出つくしているようだ。興味がある人は、『日本語が亡びるとき』とこの「ユリイカ」2月号を、必ずこの順に(!)読んでみてください。
小説家・水村美苗さんの話題の評論『日本語が亡びるとき』をめぐって、いろいろな人の論考が集められている。ぼくはエッセー「亡びてもいい、けれども」を寄稿。
同書を評価するにせよ批判するにせよ、一通り考えられる意見は出つくしているようだ。興味がある人は、『日本語が亡びるとき』とこの「ユリイカ」2月号を、必ずこの順に(!)読んでみてください。
Thursday, 22 January 2009
サイエンス・ライターと人類学者
建築や物理や機械といった学科の同僚たちとのミーティングで、理工学部をより魅力的な場所にするために必要なことについての意見を求められた。ぼくの答えは、次の二つ。
(1)サイエンス・ライティングを必修にする。そのために、サイエンス・ライターをひとり専任として雇う。
(2)人類学者をひとり雇う。学部のプロジェクトとして、理工学部のエスノグラフィーを書いてもらう。
冗談のつもりは、まったくない。(1)では、科学の各分野がやっていることをよく理解し、研究の前線のおもしろい話題を誰でも共有できる言葉で書く練習をする。学生たちにしてみれば、自分の学科が知の全般的な地形の中のどこでどんな活動をしていて、それがどんな風に社会に関わっていくのかを説明できるようにするのは、自己認識のためにも未来への指針としても、非常に役に立つ。おまけに、日本語作文に関する訓練としても最適。
(2)はきっとおもしろいと思う。明治の理工でも150名の大所帯、分野は千差万別だし、研究室ごとのエートスもぜんぜんちがう。ひとつの私大の理工学部に、はたしてどれくらいの知的資源があるのか。お金はどう流れ、どんな成果が発表されてゆくのか。博士論文か単行本の2つや3つは、これを素材にして書ける。そして学部としてはこの人類学者を一種のコミュニケーターとして特任教授の枠で雇い、その間、授業はもたなくていいことにして代わりに毎週、理工学部の研究活動を広報してもらう。いい投資だと思うが、どうだろう。
サイエンス・ライティングのことは前から考えていて、それでこないだは台北にも行ったし、今年の新学年の総合文化ゼミのひとつはその方向(もっとも読むだけ)。そしたらおりしも、いま発売中の「中央公論」が大学の理工教育の危機みたいな特集を組んでいて、物理学者でサイエンス・ライターの竹内薫さんが寄稿していた。たとえば竹内さんのような人を「物理学科」ではなく「総合文化教室」の同僚に迎えることができるなら、理工学部はその分だけ確実におもしろくなるはず。
DC系を志望するみなさん、たとえば「サイエンス・ライティングの研究」や「理工学部のエスノグラフィー」は、立派な大学院の研究主題になります。興味がある人は、真剣に考えてみてください。
(1)サイエンス・ライティングを必修にする。そのために、サイエンス・ライターをひとり専任として雇う。
(2)人類学者をひとり雇う。学部のプロジェクトとして、理工学部のエスノグラフィーを書いてもらう。
冗談のつもりは、まったくない。(1)では、科学の各分野がやっていることをよく理解し、研究の前線のおもしろい話題を誰でも共有できる言葉で書く練習をする。学生たちにしてみれば、自分の学科が知の全般的な地形の中のどこでどんな活動をしていて、それがどんな風に社会に関わっていくのかを説明できるようにするのは、自己認識のためにも未来への指針としても、非常に役に立つ。おまけに、日本語作文に関する訓練としても最適。
(2)はきっとおもしろいと思う。明治の理工でも150名の大所帯、分野は千差万別だし、研究室ごとのエートスもぜんぜんちがう。ひとつの私大の理工学部に、はたしてどれくらいの知的資源があるのか。お金はどう流れ、どんな成果が発表されてゆくのか。博士論文か単行本の2つや3つは、これを素材にして書ける。そして学部としてはこの人類学者を一種のコミュニケーターとして特任教授の枠で雇い、その間、授業はもたなくていいことにして代わりに毎週、理工学部の研究活動を広報してもらう。いい投資だと思うが、どうだろう。
サイエンス・ライティングのことは前から考えていて、それでこないだは台北にも行ったし、今年の新学年の総合文化ゼミのひとつはその方向(もっとも読むだけ)。そしたらおりしも、いま発売中の「中央公論」が大学の理工教育の危機みたいな特集を組んでいて、物理学者でサイエンス・ライターの竹内薫さんが寄稿していた。たとえば竹内さんのような人を「物理学科」ではなく「総合文化教室」の同僚に迎えることができるなら、理工学部はその分だけ確実におもしろくなるはず。
DC系を志望するみなさん、たとえば「サイエンス・ライティングの研究」や「理工学部のエスノグラフィー」は、立派な大学院の研究主題になります。興味がある人は、真剣に考えてみてください。
Wednesday, 21 January 2009
『非常線の女』
20日、ディジタルコンテンツ学研究会。映画研究の御園生涼子さんに「サスペンスと越境 国境を横断する文化・メディアの<近代性>」と題して、小津安二郎の『非常線の女』(1933年)と『その夜の妻』(1930年)という2本のサイレント作品の分析をうかがった。
おもしろかった。特に『非常線の女』でのレコード店での会話シーン、聞こえていないはずの会話が成立している場面のおもしろさを指摘されて、強い興味を覚える。「視覚のエスペラント」と呼ばれたサイレント映画が、トーキーに代わろうとするまさにその時期にのみありえたゆらぎ。
このころの小津はまだ20代! これからまとめて観ることにしたい。御園生さんにはこの春から理工学部の非常勤講師として英語を担当していただく。またいろいろ教わる機会ができるだろう。
『非常線の女』ではちんぴらのお姉さん役でギャングのジョージ(主人公)に惚れられる水久保澄子という女優がとてもいいが、彼女はこのあとあれこれトラブルがあって映画界を去ったらしい。むかしむかしの話は、まるでパラレルワールドの話みたい。
おもしろかった。特に『非常線の女』でのレコード店での会話シーン、聞こえていないはずの会話が成立している場面のおもしろさを指摘されて、強い興味を覚える。「視覚のエスペラント」と呼ばれたサイレント映画が、トーキーに代わろうとするまさにその時期にのみありえたゆらぎ。
このころの小津はまだ20代! これからまとめて観ることにしたい。御園生さんにはこの春から理工学部の非常勤講師として英語を担当していただく。またいろいろ教わる機会ができるだろう。
『非常線の女』ではちんぴらのお姉さん役でギャングのジョージ(主人公)に惚れられる水久保澄子という女優がとてもいいが、彼女はこのあとあれこれトラブルがあって映画界を去ったらしい。むかしむかしの話は、まるでパラレルワールドの話みたい。
Sunday, 18 January 2009
マリオ曼荼羅
17日、恵比寿のマジックルーム(新しいナディフの4階)で、田内マリオのドローイングとジェイクの即興ギターの共演パフォーマンスを体験。音と線の自然成長性をたっぷり味わうことができた。
マリオ曼荼羅のくにゃくにゃした白い線は、思いがけない展開を見せながら黒い紙面を埋めてゆく。植物の根が芽がのび、空気が渦を巻き、炎がゆれ、水が泡立つみたいに。ジェイクのギターも、2時間聴いててもぜんぜん飽きない。エフェクターの並びに興味があったので、あとで写真を撮らせてもらった。
マリオくんのマジックルームでのこのシリーズは、今年は毎月、全12回の開催を予定しているとのこと。
http://www.sukimaweb.com/mario-mandala/
未体験の人、ぜひいちどはどうぞ!
パフォーマンスが終わって、マリオくんはこうして曼荼羅を描くことを「祈りみたいなもの、ただし何かの神さまに祈るのではなく、行為自体に祈るような」と説明していた。
これはよくわかる。ある行為に対するdedicationには、つねにpiety がある。そこにはcredoがある。
かってハイデガーは、「何かにむかって祈るのではなく、ただ祈ることができるから祈る」という境地を語っていた。芸術のみならずすべての技芸において、真剣に何かにとりくんでいると必ずぶつかることになる問いだと思う。
マリオ曼荼羅のくにゃくにゃした白い線は、思いがけない展開を見せながら黒い紙面を埋めてゆく。植物の根が芽がのび、空気が渦を巻き、炎がゆれ、水が泡立つみたいに。ジェイクのギターも、2時間聴いててもぜんぜん飽きない。エフェクターの並びに興味があったので、あとで写真を撮らせてもらった。
マリオくんのマジックルームでのこのシリーズは、今年は毎月、全12回の開催を予定しているとのこと。
http://www.sukimaweb.com/mario-mandala/
未体験の人、ぜひいちどはどうぞ!
パフォーマンスが終わって、マリオくんはこうして曼荼羅を描くことを「祈りみたいなもの、ただし何かの神さまに祈るのではなく、行為自体に祈るような」と説明していた。
これはよくわかる。ある行為に対するdedicationには、つねにpiety がある。そこにはcredoがある。
かってハイデガーは、「何かにむかって祈るのではなく、ただ祈ることができるから祈る」という境地を語っていた。芸術のみならずすべての技芸において、真剣に何かにとりくんでいると必ずぶつかることになる問いだと思う。
Friday, 16 January 2009
台北
台北に行ってきた。24年ぶり。市内の科技大楼で開催されたサイエンス・コミュニケーションの学会に合わせていったのだが、飛行機の大幅な(日付が変わる)遅れのせいで、こちらにはほとんど参加できず。それでも展示の説明をうけ、素食(ベジタリアン)のお昼をごちそうになって、楽しくすごす。
この学会の主題は、要するに、科学の知の共有化・社会化をどうはたすか、というもの。専門知の迷路に入りこむのではなく、各分野の最新の研究成果を、安易な通俗化ではなく、しっかりとした理解に立って人々に知らせる。受け手のこっちはどんな分野に関してもまったくのしろうとだから、ともかく教わり、疑問を発する。
サイエンス・ライティングは非常に大切な分野だし、そこではオーディオヴィジュアルな提示のために、ディジタルメディアは不可欠。実際、われわれDC系の中でも、こうした分野に手を染める人がぜひ出てきてほしいものだと思っている。科学写真、森林や河川の変遷のシミュレーション、生態学的ドキュメンタリー制作、飛行や登山やカヌーのナヴィゲーション、考えられる展開はいくらでもあるだろう。
ディジタルコンテンツを中国語では「数位内容」というのだと、初めて知った。これは恥ずべき無知だった! 上記の学会、日本からは黒田玲子、渡辺政隆、佐倉統といった方々が基調講演者として参加。この顔ぶれからも、どんな問題意識に立って組織された会合かがうかがえる。
午後、国立政治大学コミュニケーション学部(伝播学院)の盧非易先生に案内されて、政治大学を見学した。台北市南東の山麓、動物園の隣にある広大な美しいキャンパス。こんな大学で学びたかった、と思うような環境だ。
同学部はジャーナリズム学科(新聞学系)、広告学科(広告学系)、テレビラジオ学科(広播電視学系)に分かれていて、その本格的な設備に目をみはる。テレビ制作のスタジオ、楽器の揃った録音スタジオ、本格的な舞台つきの階段教室、ずらりと並んだコンピュータ演習室、なんでもござれ。学生たちが運営するラジオ局、インターネットテレビ局、日刊の学生新聞などがあり、活気とやる気にみちているのが、よくわかる。
アメリカの大学ではあたりまえの姿だが、日本ではとてもここまでやっているところはないだろう。学部図書室もすごい。主だった雑誌は、関連各分野、大概そろっている。学部の図書予算が年間500万圓だというから、日本円にして1500万円は下らないだろう。教員ごとの推薦図書の棚があるのだが、半分以上は英語の研究書。学生たちもそれを当然と思っているので、みんなそれを借り出して勉強する。
盧さんは南カリフォルニア大学でテレビ番組制作や映像理論を学んだ人だが、いま手がけているのは科学関係のインタラクティヴな提示。CGによって人体解剖の手順を学べるシステムなどを、最近では作ってきたらしい。この春には東京にいらっしゃるというので、秋葉原サテライトキャンパスでちょっとした集いをもてたらと思っている。
このきっかけを作ってくれたのは、中国語の林ひふみ先生のところに毎週来ている、一橋の博士課程に留学中の黄さん。どうもありがとうございました。おかげでいろいろ、おもしろい展開につながりそうです。ひふみ先生は中国語世界の有名コラムニストだが、「新井一二三」というその名前を書いてみせると、盧さんもすぐにわかってくれた。中国語を学んだ日本人の歴史の中でも、中国語での著書が10冊を超え台湾でも香港でも大陸でも広く読まれている人なんて、空前絶後だろう。
用件が済んでから、台北の新名所、タイペイ101に。すさまじい高さ。ここの4階にある書店ページ・ワンは、近くのもうひとつの大書店エスライトと並んで、すごい品揃えだ。感心するのは、英語の本の品揃えのよさ。洋書コーナーとして独立させるのではなく、各分野の中国語書籍と隣り合わせに置いている。しかしその点数と内容では、東京の書店は(ジュンク堂でも紀伊國屋でも丸善でも)まったく太刀打ちできない。
台北はまた地下鉄とモノレールのシステムがよく整備されていて、どこでも簡単に自力で移動できるのがうれしい。
夜はシアトル時代の親友一家と、のんびり食事。さいわい、台湾には台北から高雄まで、各地に友人がいる。これからしばらく、何度でも出かけてゆくことにしよう。
この学会の主題は、要するに、科学の知の共有化・社会化をどうはたすか、というもの。専門知の迷路に入りこむのではなく、各分野の最新の研究成果を、安易な通俗化ではなく、しっかりとした理解に立って人々に知らせる。受け手のこっちはどんな分野に関してもまったくのしろうとだから、ともかく教わり、疑問を発する。
サイエンス・ライティングは非常に大切な分野だし、そこではオーディオヴィジュアルな提示のために、ディジタルメディアは不可欠。実際、われわれDC系の中でも、こうした分野に手を染める人がぜひ出てきてほしいものだと思っている。科学写真、森林や河川の変遷のシミュレーション、生態学的ドキュメンタリー制作、飛行や登山やカヌーのナヴィゲーション、考えられる展開はいくらでもあるだろう。
ディジタルコンテンツを中国語では「数位内容」というのだと、初めて知った。これは恥ずべき無知だった! 上記の学会、日本からは黒田玲子、渡辺政隆、佐倉統といった方々が基調講演者として参加。この顔ぶれからも、どんな問題意識に立って組織された会合かがうかがえる。
午後、国立政治大学コミュニケーション学部(伝播学院)の盧非易先生に案内されて、政治大学を見学した。台北市南東の山麓、動物園の隣にある広大な美しいキャンパス。こんな大学で学びたかった、と思うような環境だ。
同学部はジャーナリズム学科(新聞学系)、広告学科(広告学系)、テレビラジオ学科(広播電視学系)に分かれていて、その本格的な設備に目をみはる。テレビ制作のスタジオ、楽器の揃った録音スタジオ、本格的な舞台つきの階段教室、ずらりと並んだコンピュータ演習室、なんでもござれ。学生たちが運営するラジオ局、インターネットテレビ局、日刊の学生新聞などがあり、活気とやる気にみちているのが、よくわかる。
アメリカの大学ではあたりまえの姿だが、日本ではとてもここまでやっているところはないだろう。学部図書室もすごい。主だった雑誌は、関連各分野、大概そろっている。学部の図書予算が年間500万圓だというから、日本円にして1500万円は下らないだろう。教員ごとの推薦図書の棚があるのだが、半分以上は英語の研究書。学生たちもそれを当然と思っているので、みんなそれを借り出して勉強する。
盧さんは南カリフォルニア大学でテレビ番組制作や映像理論を学んだ人だが、いま手がけているのは科学関係のインタラクティヴな提示。CGによって人体解剖の手順を学べるシステムなどを、最近では作ってきたらしい。この春には東京にいらっしゃるというので、秋葉原サテライトキャンパスでちょっとした集いをもてたらと思っている。
このきっかけを作ってくれたのは、中国語の林ひふみ先生のところに毎週来ている、一橋の博士課程に留学中の黄さん。どうもありがとうございました。おかげでいろいろ、おもしろい展開につながりそうです。ひふみ先生は中国語世界の有名コラムニストだが、「新井一二三」というその名前を書いてみせると、盧さんもすぐにわかってくれた。中国語を学んだ日本人の歴史の中でも、中国語での著書が10冊を超え台湾でも香港でも大陸でも広く読まれている人なんて、空前絶後だろう。
用件が済んでから、台北の新名所、タイペイ101に。すさまじい高さ。ここの4階にある書店ページ・ワンは、近くのもうひとつの大書店エスライトと並んで、すごい品揃えだ。感心するのは、英語の本の品揃えのよさ。洋書コーナーとして独立させるのではなく、各分野の中国語書籍と隣り合わせに置いている。しかしその点数と内容では、東京の書店は(ジュンク堂でも紀伊國屋でも丸善でも)まったく太刀打ちできない。
台北はまた地下鉄とモノレールのシステムがよく整備されていて、どこでも簡単に自力で移動できるのがうれしい。
夜はシアトル時代の親友一家と、のんびり食事。さいわい、台湾には台北から高雄まで、各地に友人がいる。これからしばらく、何度でも出かけてゆくことにしよう。
Sunday, 11 January 2009
冬のブラジル日?
日曜日。如水会館に行ってみたが、会場が小さくて人がぎっしり。あきらめて出る。ハンドアウトをもらったので、これで見当をつけることにしよう。外でイラン研究の鈴木均さんに会う。大学院時代の友人。イランをすみずみまで旅している人だ。また春休みにでも、ゆっくり話を聞きたい。
それから、やっと最終日寸前、現代美術館の「ネオ・トロピカリア」へ。ぼくの趣味でいうと、おもしろかったのはヴィック・ムニーズの砂糖写真、ホジェリオ・テガキのニット模様の油彩画。またリジア・パペの光と糸の彫刻(?)。
来るたびに思うのだが、この美術館は本当に設計が悪い。人の流れをまるで考えていない。これだけの規模の建物を作るんだから、もう少しどうにかならなかったものか。
ついで同時開催の森山大道、ミゲル・リオ=ブランコ写真展。タイトルが日本語では「共鳴する静かな眼差し」、英語ではA Quiet Gaze, Echoing Worldsとなっていて、ずいぶん意味がちがう。それはともかく、さすがに充実。森山がサンパウロを、リオ=ブランコが東京を撮るという趣向。リオ=ブランコはあいかわらずウーパールーパーだのフグだの、なまなましい生物が好き。森山は世界のどこに行っても森山大道で、GR21でばしばし撮りまくる姿勢のいさぎよさが、会場で上映されていたドキュメンタリーでもうかがえた。
白川清澄から表参道へ。ひさしぶりに青山ブックセンターに寄ると、ちょうど洋書バーゲンだった。書店イベントのたびにお世話になっている須藤さんに会う。なんと7割引きだというので、ついふらふらと大きな写真集を買ってしまう。ラルフ・ギブソンのBrazil (Damiani, 2005) は、さすがにうまい。プロ中のプロ。が、「どんな写真でも撮れる」という感じが、ちょっと強すぎるかも。
そして人工衛星から見た世界各地の山岳写真集Mountains from Space (Abrams, 2005)を。これはすごい。アルプスもアンデスもハワイも、ジオラマに見える。恐ろしい光景だ。あとは野生のイヌ科動物の子たち(狼、コヨーテ、各種キツネなど)の小さな写真絵本。狼の子は目が青いのに、成長するにつれて金色に変わるというのに興味を覚えた。
と道草を食っているうちに、いつのまにか日没。今週はこれから忙しくなる。
それから、やっと最終日寸前、現代美術館の「ネオ・トロピカリア」へ。ぼくの趣味でいうと、おもしろかったのはヴィック・ムニーズの砂糖写真、ホジェリオ・テガキのニット模様の油彩画。またリジア・パペの光と糸の彫刻(?)。
来るたびに思うのだが、この美術館は本当に設計が悪い。人の流れをまるで考えていない。これだけの規模の建物を作るんだから、もう少しどうにかならなかったものか。
ついで同時開催の森山大道、ミゲル・リオ=ブランコ写真展。タイトルが日本語では「共鳴する静かな眼差し」、英語ではA Quiet Gaze, Echoing Worldsとなっていて、ずいぶん意味がちがう。それはともかく、さすがに充実。森山がサンパウロを、リオ=ブランコが東京を撮るという趣向。リオ=ブランコはあいかわらずウーパールーパーだのフグだの、なまなましい生物が好き。森山は世界のどこに行っても森山大道で、GR21でばしばし撮りまくる姿勢のいさぎよさが、会場で上映されていたドキュメンタリーでもうかがえた。
白川清澄から表参道へ。ひさしぶりに青山ブックセンターに寄ると、ちょうど洋書バーゲンだった。書店イベントのたびにお世話になっている須藤さんに会う。なんと7割引きだというので、ついふらふらと大きな写真集を買ってしまう。ラルフ・ギブソンのBrazil (Damiani, 2005) は、さすがにうまい。プロ中のプロ。が、「どんな写真でも撮れる」という感じが、ちょっと強すぎるかも。
そして人工衛星から見た世界各地の山岳写真集Mountains from Space (Abrams, 2005)を。これはすごい。アルプスもアンデスもハワイも、ジオラマに見える。恐ろしい光景だ。あとは野生のイヌ科動物の子たち(狼、コヨーテ、各種キツネなど)の小さな写真絵本。狼の子は目が青いのに、成長するにつれて金色に変わるというのに興味を覚えた。
と道草を食っているうちに、いつのまにか日没。今週はこれから忙しくなる。
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