2011年11月28日月曜日

この言葉が

新聞は読んだり読まなかったり。読んだ日の新聞は処分するが読めない日の新聞は積んであって時にはずっと後で読む。それで驚くこともよくある。

11月16日の「朝日新聞」文化欄で、畠山直哉さんの言葉が紹介されていた。池澤夏樹さんとの対談からのものらしい。引用。

「思い出すと、幽霊になったような、地面から30㌢くらい上に浮いたような状態で、ふわーっと漂いながら写真を撮っている。そんな気持ちでした。」

11月25日の「朝日新聞」夕刊には、南三陸町の詩人・須藤洋平さんが紹介されていた。『みちのく鉄砲店』(2007年度・中原中也賞)でわれわれに衝撃を与えた彼の新詩集は『あなたが最期の最期まで生きようと、むき出しで立ち向かったから』(河出書房新社)。今年ぼくが読んだもっとも強烈な詩集です。ぜひ読んでください。

以下、引用。

逝ってしまった者たちを追いかける前に、私は生き残ったことを
確認しあえたあの時の歓喜を思い出すようにしている。
狂ったように泣き合い、泥をこねるようにして抱き合った歓喜を。
あの時のことを、私は生涯忘れないだろう。(「ハレルヤ」)

穏やかな海にしぶきをあげてもぐり
私たちは何度も何度も
死ぬ真似をしながら生きてゆく (「合掌」)

つまんだら潰れてしまう小さな虫のような
奇跡たちが全身にはびこり、
この雪のぱらつく南三陸の空を自在に飛びまわる。(「宿命論」)

そしてある荒れた日あなたは岸に打ち寄せられた。

なおちゃん、あなたがあがるまでの131日間、
片時も忘れずにずっと、あなたのことだけを想い続け、
すごしてきた人たちがここに確かにいるよ。 (「片時も忘れずに」)

鋭いガレキの中を、
私は歩き続けねばならない。 (「20195人」)