この本です。
http://www.amazon.co.jp/世はいかにして昭和から平成になりしか-中島-岳志/dp/4560080941/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1284153890&sr=8-1
中島岳志、雨宮処凛、能町みね子、清岡智比古のみなさんの、このうえなく率直な回想を通じて、時代がどんな気分の中で推移してきたのかが浮かび上がってきます。
中島さんと雨宮さんが1975年生まれ、能町さんが79年生まれ。かれらは「昭和」をはっきり記憶に留めつつも、「平成」に自己形成を行ってきた人たちだといっていいでしょう。清岡さんは58年生まれ。いわばすでに「完成品」として平成を迎えた世代です。ぼくは清岡さんとおない年。まだ「昭和」に住んでます。
近い過去とは、何かすべてが、どこかまちがった絵のように見えてしまうもの。4人の文章を通じて、「そのころ自分は」と思い出してみるのも楽しいにちがいありません。ぜひ、どうぞ。
本書を企画した故・須山岳彦さんに誘われて、ぼくは序文を書きました。時代知らずの手探り感だけの文章ですが、これも読んでみてください。
Wednesday, 8 September 2010
『サラダボウル展』いよいよ
ディジタルコンテンツ系修士課程の学生6名によるアートとデザインの展示が、いよいよ金曜日に開幕です。明治大学生田図書館gallery ZEROにて。
http://www.lib-ref.jp/meiji/opennews/NewsViewAction.do?id=NS00000606
意表をつく力作ぞろいです。感動を呼ぶか、でっかい「?」をもたらすかは、蓋をあけてみないとわからない(現時点で、ぼくもまだその全貌を知りません)。
ぜひごらんください。
http://www.lib-ref.jp/meiji/opennews/NewsViewAction.do?id=NS00000606
意表をつく力作ぞろいです。感動を呼ぶか、でっかい「?」をもたらすかは、蓋をあけてみないとわからない(現時点で、ぼくもまだその全貌を知りません)。
ぜひごらんください。
『世はいかにして昭和から平成になりしか』
ちょっとまえの時代、忘れてしまいそうな昨日を語りながら、現在の位置を考え直す。少しずつ世代のちがう4人の著者によるエッセー集が、来週発売されます。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201010/1012.html
われわれの多くが共有してきた(未成年のみんなは生まれてなかったけど)そんな移行の時を、これを機会に思い出してみましょう。こんなはずだったのか、今日は? なんだか重い気持ちになりますが、とりあえず。
ありえない顔ぶれの4人。青山ブックセンターのイベントも絶対におもしろいにちがいない。行きましょう!
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201010/1012.html
われわれの多くが共有してきた(未成年のみんなは生まれてなかったけど)そんな移行の時を、これを機会に思い出してみましょう。こんなはずだったのか、今日は? なんだか重い気持ちになりますが、とりあえず。
ありえない顔ぶれの4人。青山ブックセンターのイベントも絶対におもしろいにちがいない。行きましょう!
太平洋の島々から見える世界
明治大学リバティアカデミーと太平洋諸島センターの共催で、オープン講座を開催します。オープン、すなわち無料、事前予約。詳細はリバティアカデミーで検索してください。
まず10月30日に、ドキュメンタリー映画監督の海南友子さん。11月20日に冒険家・写真家の石川直樹さんをお招きします。ぼくは司会・進行。いずれも土曜日の午後2時から4時です。
映像も写真もふんだんに見られるはず。ぜひどうぞ!
まず10月30日に、ドキュメンタリー映画監督の海南友子さん。11月20日に冒険家・写真家の石川直樹さんをお招きします。ぼくは司会・進行。いずれも土曜日の午後2時から4時です。
映像も写真もふんだんに見られるはず。ぜひどうぞ!
Friday, 3 September 2010
マウイ、ラハイナ、片岡義男、中上健次
マウイ島ラハイナに来ています。マウイに来たのは22年ぶり。日系人の多い島で、明日からいくつかの墓地を訪ねるつもりです。
ラハイナといえば片岡義男さんの『ラハイナまで来た理由』。胸が苦しくなる傑作です。日本のまともな文芸批評家で片岡さんを論じている人はいない。その理由は、かれらには理解できないから。20世紀後半の日本語文学に孤独にそびえたつ、唯一の優れた日系ハワイ系文学です。
太平洋を半分わたる機内で、文庫になったばかりの高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』を憑かれたように読んで、文字通り、震えました。本書を読まずして中上さんを語ることはできないし、中上を知らずして日本文学を語るな。少なくとも大江健三郎以上に、中上健次はノーベル文学賞を受けるべきだったし、それが起きなかった時点で、世界のあらゆる「文学賞」はどうでもいいものだと思える。
ラハイナにはアメリカ合衆国領土で最大のバニヤンの樹があり、日没時には鳥たちが堪え難いほどやかましく鳴いています。なんという島、なんという樹木。今年12月のわれわれのギャラリー展示は「樹木」が主題ですが、そこに「鳥」を抜きにしては何も語れないことが、改めて痛感されました。
ところで来週、9月11日。以下の5つの選択肢を思いつつ、どうするべきかを決めかねています。
(1)2001年9月11日を思いつつ、アメリカ批判をじっと考える。
(2)柄谷さんの長池講義に行く。
(3)横浜にドだけに調律した寒川さんのピアノのコンサートを聴きにゆく。
(4)神保町に片岡さんの対談を聴きにゆく。
(5)何もしない。
そして改めて思う、このような選択肢が成立することこそ、われわれの問題なのだと。
「マウイ」といえば中上さんの『異族』『野性の火炎樹』の重要な登場人物。中上作品の中では必ずしも高く評価されていないそれらの作品がいかにすばらしく重要であるかを、まだこれから、説明しなくてはならないでしょう。
ラハイナといえば片岡義男さんの『ラハイナまで来た理由』。胸が苦しくなる傑作です。日本のまともな文芸批評家で片岡さんを論じている人はいない。その理由は、かれらには理解できないから。20世紀後半の日本語文学に孤独にそびえたつ、唯一の優れた日系ハワイ系文学です。
太平洋を半分わたる機内で、文庫になったばかりの高山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』を憑かれたように読んで、文字通り、震えました。本書を読まずして中上さんを語ることはできないし、中上を知らずして日本文学を語るな。少なくとも大江健三郎以上に、中上健次はノーベル文学賞を受けるべきだったし、それが起きなかった時点で、世界のあらゆる「文学賞」はどうでもいいものだと思える。
ラハイナにはアメリカ合衆国領土で最大のバニヤンの樹があり、日没時には鳥たちが堪え難いほどやかましく鳴いています。なんという島、なんという樹木。今年12月のわれわれのギャラリー展示は「樹木」が主題ですが、そこに「鳥」を抜きにしては何も語れないことが、改めて痛感されました。
ところで来週、9月11日。以下の5つの選択肢を思いつつ、どうするべきかを決めかねています。
(1)2001年9月11日を思いつつ、アメリカ批判をじっと考える。
(2)柄谷さんの長池講義に行く。
(3)横浜にドだけに調律した寒川さんのピアノのコンサートを聴きにゆく。
(4)神保町に片岡さんの対談を聴きにゆく。
(5)何もしない。
そして改めて思う、このような選択肢が成立することこそ、われわれの問題なのだと。
「マウイ」といえば中上さんの『異族』『野性の火炎樹』の重要な登場人物。中上作品の中では必ずしも高く評価されていないそれらの作品がいかにすばらしく重要であるかを、まだこれから、説明しなくてはならないでしょう。
Wednesday, 1 September 2010
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