2008年5月29日木曜日

The Bestest TV commercial EVER!

Check this out.

http://www.youtube.com/watch?v=ao6JntNIPHc&feature=related

2008年5月27日火曜日

トヨダヒトシさんのスライド

昨年、生田でも上映会をやっていただいた、ニューヨーク在住の写真家トヨダヒトシさんのスライド・ショー。

彼は「終われば白いスクリーン以外何も残らない」スライドという形式を、唯一の発表形態としている人。痛切なしずけさ、しんとした一回限りの感覚は、ちょっと較べられるものがない。

今回は、場所がまたすごい!

5月31日(土)は多摩川河川敷(丸子橋付近)。
6月13日(金)は旧四谷第四小学校校庭。

へえ、こんな世界があったのか、と思うことは確実。ぜひどうぞ! 

予約情報は彼のサイトから。

http://www.hitoshitoyoda.com/

では会場で会いましょう。

2008年5月26日月曜日

藤部明子さんの写真が

小説家の石田衣良さんの新著『傷つきやすくなった世界で』(日経プレミアシリーズ)を書店で見かけたら、ぜひ手にとってみてほしい。

カバーおよび各章の扉の写真は、藤部明子さんの作品。光と色のパターンに見る者の注意を集中させる、高度に美学的な写真ばかりだ。

すでに『The Hotel Upstairs』および『Memoraphilia』という2冊の写真集で知られる彼女だが、この本に使われた連作がまた新しい写真集にまとめられる日も近いだろう。近いことを願っている。

彼女の写真を見るたび、「画家の写真だなあ」と思う。そして絵画と写真の関係という、どう考えればいいのかよくわからない問いを考えてみたいという気になる。

寺山修司『月蝕書簡』

歌の良し悪しを論じられるほどには歌を知らないが、歌も詩であればまるでわからないということもありえない。

寺山修司を論じられるほどにはその作品を知らないが、きょう書店ではらはらと立ち読みをしているとおもしろくてつい買ってしまったのが、彼の「未発表歌集」。『月蝕書簡』という題名がいい。岩波書店刊。

こちらの無知なるがゆえの先入観に反して、ユーモアの感覚が冴えている。わかりやすいのが、たとえば

 みみずくに耳奪われし少年が算盤塾に通う夜の森

少年は「みみ」を奪われ、代わりに「ずく」を与えられた。算術の成立。思わずにっこりする、見事に内在的なユーモアだ。

フィクショナルな家族ものは概してわざと重く暗いが、ふと、ふわりと明るいユーモアが漂うのは、次の一首。

 霧の中酔いたる父が頬を突くひとさし指の怪人として

そして思わずビクッとしたのが、次の非常に完成されたサブライムな光景。

 あじさいを霊媒として待ちおれば身におぼえなき死者ばかり過ぐ

これであじさいの季節が待ち遠しくなる。

ときどき、ほんのときどきだが、寺山の唐突な語の結合にフェデリコ・ガルシア・ロルカを感じることがあり、vice versa。当たっているかどうかは知らないが、それで青森とアンダルシアが近くなる。

青森にまた行きたい。

2008年5月24日土曜日

「辛いそば」の作り方

中国語の同僚は林ひふみさん。知るヒトぞ知る、料理名人でもある。

彼女に教わったのが、簡単味付けの「辛いそば」。

(1)まず、カイエン・ペッパー(粉末)を用意し、同量の水でしめらす。雨降ってかたまった地面みたいに。湿らすのは焦がさないため。

(2)それをごま油に入れて熱する。焦がしたら、まずくて食えないよ。

(3)熱くなると、いい香り。

(4)あらかじめ用意しておくのが、すりごまと同量の醤油。ここに熱した油をかける。

(5)別にゆでておいた麺(日本そば)に、これをかけて和える。小細工なく、がつんと食べる。以上。

麺はたぶんそばでなくても、そうめんでも焼きそば麺でもオーケー。具も何もなく素朴な味わいが、麺ピュアリストにはうれしい。

ぜひいちど試してみてください!

2008年5月22日木曜日

万事快調!

この春から明治理工の同僚に加わったのが、カリスマ・フランス語教師、清岡智比古さん。

先日、開設されたばかりの彼のブログが、はやくも絶好調だ。

http://tomo-524.blogspot.com/

語学教師の資質の決めてはサービス精神。ぼくには欠けていて、黒田さんや清岡さんにあるのが、それ。

教室での彼の楽しい授業を彷彿させる、親しめる語りが、日々のうたかたを綴ってくれる。それでこっちも刺激をうけ、新たにやる気が出る。

毎日が消化すべきルーティン・ワークなんかにならないよう、つねに清岡さんとあれこれ情報交換をしながら、フラ語のクラスを運営していきたい。

これはすごい、すごい、すごい!

強烈だった。

無知を認めるにはいつもやぶさかではないが、あの有名なジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)を、きょうの午後はじめて見た。なんという傑作! 矢継ぎ早にくりだされる映像が、「演劇とも文学とも異なる映画言語」を追求している。ただあっけにとられ、あっというまに1時間あまりが過ぎる。ゴダールたちが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗ったことの意味を、いまにして知った。

不覚、もちろん。でもどんな不覚だって、改めるに遅すぎることはないだろう。ジガ・ヴェルトフ万歳!

そしてもう1本、135分の長篇は1964年のミハイル・カラトーゾフ監督『私はクーバ』(怒りのキューバ)。

これほど完成度の高い作品があるだろうか。ストーリーは非常に公式的。売春(マリア)、搾取(ペドロ)、反体制運動(エンリケ)、革命への参加(マリアーノ)という4つのステップが、それぞれに苛烈なエピソードによって描かれる。

問題はカメラだ。当時すでに携帯カメラを使用していたという撮影監督セルゲイ・ウルセフスキーの、信じがたい天才。息つくまもなく、ひとつひとつの場面が心にしみわたる。その運動感。その深み。その鋭いしずけさ。

結局、見せつけられたのは、ソビエト連邦において、公式イデオロギーとは無縁にものすごいレベルの美学的達成をなしとげていた人たちがいたこと。かれらから学ぶためだけにでも、ロシア語をこれからやりたいと思った。

ロシア語のために、わが友人・黒田龍之助さんに、改めて弟子入りしよう。

ギター音楽はいま

若き友人カワチくんから、カーキ・キングがブルーノートに出演したことを聞いて、しまったと思った。知っていたら、絶対に行ったのに! ブルーノートは高いので、はじめからあきらめているから、スケジュールすらチェックしてなかった。

カーキ・キングはほんとにすごい。小さな体でどこにあのパワーが? あの超絶技巧が? 創意工夫が? ソウルが?

彼女に限らず、ギター(それもアコースティック系、ただしみんなさすがに電気を通しているが)がここまでおもしろくなった時代はひさびさなのではないだろうか。

Kaki King
Rodrigo y Gabriela
Erik Mongraine
Monte Montgomery

みんな、ワオワオの連続だ。

こないだミスター・ドーナツでは、いきなりSylvain Luc がかかって、それもうれしかった。南フランスのジャズ・ギタリストである彼とは、2001年9月11日の朝、成田まで一緒に電車で行った仲(たまたまだけど)。

ギターを手にとる時間を増やしたい。そして過去30年まったく上達していないこの腕を、どうにかしたい。

2008年5月21日水曜日

畠山直哉「Ciel tombe」

隅田川沿いのタカ・イシイ・ギャラリーに、畠山直哉さんの新作「シエル・トンベ」を見に行く。

すばらしい。思い切り横長のフォーマットで、パリの地下に潜む秘密の空間が明るみに。畠山ファンにはおなじみの「LimeWorks」や「Underground」の延長上にあるが、そのシンとした力強さは、いよいよ洗練の度合いを加えている。

この連作に合わせたテクストを書くことを夢想しているのだが、現実にこの空間に行ってみないことにははじまらないかも。ともあれ、今週一杯で終わりなので、ぜひ見に行ってほしい。

いずれは写真集になると思うけど、でっかいオリジナル・プリントが与えてくれる衝撃は、写真集とはぜんぜん別のものだから。

早稲田の夜

20日、火曜日。早稲田の文学部+文化構想学部の「カリブ海地域文化論」に、ゲストとしてフォトジャーナリストの佐藤文則さんをお迎えし、ハイチの現代文化におけるヴードゥーの位置についてのお話をうかがった。

さすがに20年におよぶ深い取材のエッセンスは、すごい迫力。思わず膝を打つこと(実際に打つわけではない)の連発。この不思議なカリブの島国に対する好奇心が、猛然とかきたてられた。

佐藤さん、なんといっても写真の感覚がすばらしい。別にアートをめざす写真ではなく、「報道」を第一義にするものだということは誰よりもご本人がおっしゃっているが、それにしても色も造形感覚も、日本で「報道写真」の名の下に日々新聞その他で流通しているものとはぜんぜんレベルがちがう。美しい、そして、恐い。ハイチとはなんという苛酷な社会かと、言葉を失う。

とりわけ、ハイチ国内での巡礼の聖地をとらえた写真は、圧倒的。信仰って何、かれらが求めているのは何と、答えようのない疑問がこみあげてくる。

終了後、聞きにきてくれた早稲田法学部の立花英裕さんや学生のみんなと連れ立って、近くの香港料理店「太公望」へ。

ここは最高。無愛想な店主がひとりでやっていて、料理にすごく時間がかかる。時間がかかるから、いろいろ注文するのをいやがる。いやがりながらも、こっちが注文したものの微妙な重なりを正して(鶏が重なるから豚にしたらどうだ、とか)さりげなく助言をくれる。

あの独特な、怒っているのかと思うような無愛想さに、学生時代の香港人の友人たちを思い出して、ついニヤニヤ。じつにいい店だ。

途中、ぼくが一件用をすませるため外に出たとき、店がいっぱいだったので、外からちらりと3人連れで店内をのぞいた人たちが、あきらめて帰るところに遭遇。でもあの人は! いま早稲田の大学院に通っているという、あの有名女優そのヒト。

これでまた、この店に通う理由が増えたような。

2008年5月19日月曜日

横浜でアフリカ

日曜日、所用で横浜に行ったついでに横浜美術館へ。1階の無料ギャラリーで開催中のアフリカ写真展が、特筆すべきすばらしさだった。

アフリカはマリ共和国の首都、バマコ。ここで隔年開催されるのがアフリカ・バマコ写真展。

ギャラリーでは2007年の第7回の同写真展から、5人の写真家の作品を選び、展示している。

コンゴ民主共和国のサミー・バロジ (Sammy Baloji, b.1978)
ブルキナファソのサイドゥ・ディッコ (Saidou Dicko, b.1979)
ジンバブエのカルヴィン・ドンド(Calvin Dondo, b.1963)
マリ共和国のモハメド・カマラ (Mohamed Camara, b.1983)
マダガスカルのソアヴィナ・ラマロソン (Spavina Ramaroson, b.1977)

それぞれに強烈なヴィジョンの持ち主ばかり。やっぱりアフリカはおもしろい! これのためだけにでも、みなとみらいに出かける価値あり。

そして隣のギャラリーではジャイカが主催する、アフリカで活動する青年海外協力隊の人たちの姿。こちらは写真家の名前さえクレジットされていないけれど、どれもはつらつとした人々の姿をよく捉えた、気持ちのいい写真だ。

2000年、ぼくが明治で最初に教えた学生のひとりも、青年海外協力隊でタンザニアに2年間住み、小学校で算数を教えていた。その後、アメリカでパイロット免許をとり、いまは日本に戻って念願のパイロットとして仕事をしている。

自分がもしいま20代だったら、このプログラムに参加していたかもしれないなと、以前から何度か思ってきた。実際の20代のときには、それだけの決断ができなかったけれど。

ともあれ、6月1日までに、また横浜に行ってみよう。そして来年、2009年には、バマコに行くぞ!

http://www.pro2m.net/fotoafrica/article.php3?id_article=56

Bloody, bloody!

マイ・ブラディ・ヴァレンタインが、またやってくれた。はやばやと予約していたコンプリート・ボックスが、正式に発売中止。きょう通知が来た。まあ、仕方ないか。といっても口をつくのは"Bloody!" 英語の授業で「使ってはいけない単語」として教えているものでした。

新連載開始! 

講談社現代新書のメールマガジンに、5月18日号から連載をはじめました。

タイトルは「アメリカ・インディアンは何を考えてきたか?」

1989年にとりくみはじめたテーマですが、少し手をつけてはなかなか進めないうちに、ここまで来てしまいました。

こんどこそ、月1、2回の更新で、全24回ほどでまとめたいと思っています。

講読申し込みは、現代新書のサイトから。よろしく!

http://shop.kodansha.jp/bc/books/gendai/

北海道新聞

11日の北海道新聞に掲載された、堀江敏幸さんによるエイミー・ベンダー『わがままなやつら』の書評が、オンラインで読めるようになりました。

http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/index.html

ぜひごらんください。

2008年5月18日日曜日

札幌の読者

Fringe Frenzy に、札幌で古書店・書肆吉成をいとなむ吉成くんが、感想を寄せてくれました。以下、彼のブログから引用します。

*****
 ひとめ見て、どこかの異国の街路の壁に、いろんな広告や落書きにまざって何気なく貼ってありそうなフリーペーパーだなぁと思いました。(西部劇の食堂の壁の「WANTED!!」とメニューの貼り紙の間にあって風に吹かれてそうなくらいかっこいい紙面です。)
「ディジタルコンテンツ系」の名の研究室からこの手作り感満点のペーパーを発行するということ自体、ものすごくかっこいいです。「地方主義」と「はずれ」「へり」「周縁」にこだわる編集がとても刺激的です。そこに差し挟まれる旅、ジャズ、写真。
 特に大辻都さんという方の文章はとても読ませられました。
 実際の放浪を、健康と若さによる青春時代の特権と言い切ってしまうことにある清々しさを感じました。そして虚弱者の旅として、かえってたくさんの人たちの想像力に訴えることは、何か救いのような感じさえします。
「想像力を介してのこの転身を「旅」と考えてもいいのではないか。」
ここを読んで、日常の中心の延長のままでいる観光旅行のような旅ではなく、はたまた力任せの冒険でもなく、「わたし」の境界(へり)を危機にさらして変幻させてしまうような想像力による旅の肯定と思いました。いつどこでだって(いまここでだって)旅にしうる力は誰にだってあるんだ、と思いました。
*****

以上、http://diary.camenosima.com/より。

本当にうれしい感想で、みんなよろこんでいます。吉成くん、ありがとうございました。

札幌といえば、池田葉子さんの小さな快著『マイ・フォト・デイズ』の出版記念写真展が、来週から開催されます。

http://blogs.yahoo.co.jp/happa214/53301770.html

ぼくは行けないけど、札幌在住のみなさん、ぜひどうぞ!

2008年5月17日土曜日

「島めぐり」林巧編

リバティ・アカデミーの「島めぐり」、きょうは作家・妖怪研究家・チャイナタウン研究家の林巧さん。気合いの入ったオバケ話と間合いのいい提示を、たっぷり楽しめた。

さすがに長年の取材からの数々のおもしろい写真が効いているし、お話が非常にうまい。

思ってもみなかったことをたくさんうかがって茫然とするほどだったが、ひとつだけあげるなら、バリ島の先住民部落の話。島がヒンドゥー化されるまえからの先住民たちが、いまも城壁で囲まれた村で閉鎖的な生活を送っていて、そこでは一見、バリ寺院風の祭祀場があっても、じつはその正体はまったくちがうのだ、ということ。

世界の混淆宗教はすべてそうだろうが、バリにそれがあるとは。

あとは香港にあった国民党系の村、ボルネオの本気の「首狩族」など。世界は深い、とても想像がつかない。まずは行ったことのないバリ島にも、いちどは出かけてみようか。

石川直樹「Vernacular」

東京駅に行ったついでに、やっとINAXギャラリーに。石川直樹さんの新作展は「Vernacular」と題されている。副題は「世界の片隅で」。28日まで。

いよいよ充実している。映像人類学的、といってぴったりくる写真ばかり。去年、DC研の講師をお願いしたときはちょうどベナンに旅立つ直前だったが、そのベナンでのヴォドゥン儀礼を撮ったものが、とりわけすごかった。

おそるべき歩行者だ。マラルメがランボーを評した言葉を借りれば、un passant considérableか。定着された光の、すさまじいひろがり。

彼の旅を見ていると、もう自分はどこにも行かなくていい、という気になるが、それでもこっちもまだまだ。石川さんをお呼びする機会を、ぜひまた作りたい。

Enjoy the Ride

友人に教わって以来、なんどもくりかえして見ているのがMorcheeba のEnjoy the Rideのビデオ・クリップ。

http://www.youtube.com/watch?v=w16JlLSySWQ

これはいい。すごくいい。ケモノ、ゾンビとヴードゥー、ソウル・ミュージック、アニメ、サーフィンが好きな人なら、絶対に大好きになります。歌も歌詞もよくて、このアニメがとにかくすごい、おもしろい。

アルバム全体も非常にいい出来映え。お勧めです!

2008年5月16日金曜日

説明会のあとで

本日午後、「新領域創造専攻」の学内向け説明会を開催。理工学部の4年生のみならず3年生もかなり参加し、満員の盛況だった。各系の修士1年のみんなの話が、非常によかった。DC系では、中村くんと大塚さん、ごくろうさま。

そして終了後、うれしい驚き。学外から参加した人はごくわずかだったと思うのだが、このブログを見て開催を知ったという中国からの留学生が、話を聞きにきてくれたのだ。

彼女は写真や映像を作ることに興味があって、特にDC系で兼任講師をお願いしている北島敬三さんの写真が大好きなのだそうだ。北島さんの授業は後期に秋葉原で開講。乞うご期待。

彼女によると、北島さんの名前は中国でもよく知られているという。現在、新領域全体で、留学生は2名(カナダと韓国)だが、これからどんどんいろいろな国の人が来てくれると、非常にうれしく、おもしろくなると思う。

そして不思議なケミストリーから、何か見たことも聞いたこともない表現や思考が生まれるのを、心から待ち望んでいる。

(思えば北島さんのお名前は、中国では、代表的現代詩人である北島(べい・だお)を連想させずにはいないだろう。)

秦如美写真展「日常」

6月1日が「写真の日」だそうで、この日の前後に「東京写真月間」があるそうだ。

その中で、わが同僚・倉石信乃さんが企画した写真展が開かれる。案内の葉書、なんということもない水泳プールが、不思議に美しい。みなさん、ぜひどうぞ!


秦如美写真展 日常
Chin Yomi: Everydayness
−東京写真月間2008 倉石信乃企画−

会期:2008年5月19日(月)〜31日(土) 日曜休
12:00〜19:00(最終日は17:00まで)
会場:表参道画廊
東京都渋谷区神宮前4-17-3アーク・アトリウムB02
TEL/FAX:03・5775・2469
E-mail: info@omotesando-garo.com
http://www.omotesando-garo.com/
※オープニング・パーティー 5月24日(土)18:00〜20:00

日常にまつわる心の働きには「期待」がある。期待とは差異のことだ。時の移行のなかに定常的であることが期待され、定常的な時のなかに移行が期待される。このずれにおいてもう一つの心理、「不安」が到来する。不安によって日常は、安んじて帰還できる手軽な楽園とみなされ、いまここではない「いつかどこか」を呼び寄せるため の祈禱所となる。こうして日常は期待と不安のサーキットを形成する。しかし秦如美の写真が伝えているのは、そんなサーキットの心理学ではない。そうではなくサーキットの周囲にある、逃げ場のない、直面する物理的な心の震えである。震えているのは「この私」ではなく「周囲の事物」であり、その中に「私という物」もある。
              
  倉石信乃(批評家・明治大学大学院准教授)


作家略歴
1964年東京生まれ。1992年朝鮮新報社写真部に入社、退社後フリーランスの写真家と なる。2002年東京綜合写真専門学校研究科卒業。同年、写真集『月の棲家』(冬青社) を刊行、また新宿ニコンサロンで個展開催。2004-5年国際交流基金主催・笠原美智子キュレーションによる国際巡回展「アウト・オヴ・オーディナリー」展に出品。現在、東京在住。

2008年5月15日木曜日

日本経済新聞(5月18日)

18日(日)の日本経済新聞にエッセー「遠い島の火口湖で」を寄稿しました。ラパ・ヌイ(イースター島)の話。また行きたい、もういちど行きたい、何度でも行きたい島でした。

2008年5月14日水曜日

「東京の夏」音楽祭

このところ毎年楽しみにしているのが、「東京の夏」音楽祭。今年も、はやばやと送られてきたパンフレットに、あれにもこれにも行きたいと、希望をふくらませていた。

ところが。先行予約をずるずると先延ばしにしているうち、一般発売日もとうに過ぎて。気がついてみれば、目玉のエギベルト・ジスモンチが、すべて売り切れ。オーケストラ曲と、あの10弦ギターのソロと、二晩予定されているコンサートが、すべて。ああ。

ま、これも自分の無意識が望んだことなのだと思えば、あきらめもつく。

それ以上に楽しみにしていたブラジル、アマゾンの「カラジャ族の芸能」と「サハラの声、トゥアレグの伝統音楽」は、ちゃんとチケットを購入できた。よかった、よかった。

7月12日から13日にかけては、「アマゾン・インディオとサハラ遊牧民と行く奥多摩の森、音楽キャンプ」という催しもある。これは、むちゃくちゃに楽しそうだなあ。泊まりがけの奥多摩か。学期末だというのが、ちょっと苦しいところ。

花が開く音

以前、きわめて多産なノンフィクション作家であるマーク・クーランスキーが、新聞記者の質問に答えて"write up the day"という表現を使っていて衝撃を受けたことがある。

つまり、何があろうと、その日にあったことをその日のうちにノートにきちんと書き記してまとめておくということ。それができるならすごいが、彼はそこにいたるまえに日々の取材があり、調べ物があり、執筆があり、あいまには風景のスケッチをしている。テレビは見ない(たしか)。そこまでやっての、あの膨大な執筆量なのだろう。

とてもまねできないが、せめて数行でも記しておくといいなあとは、いつも思う。

12日は肌寒い月曜日。図書館ギャラリー・ゼロは予想以上に立派なできばえで、ちょっとした現代美術系のギャラリーにはぜんぜん負けない。セレモニーも、簡素で、よかった。あとは内容だが、記念すべき最初の展示作品はすばらしい!

迎山和司さんと宮下芳明さんの共作になるFlowersだ。観客の動きにつれて花開く、映像の花。それにつけられた音は、花の開花促進遺伝子の配列と翻訳プロセスをそのまま音の表現に置き換えたもので、宮下さんならではの驚くべき発想。楽しい作品だ。

メディアホールでの迎山さんの講演のあと、みんなで大学院演習室に集まり、ポテトチップスとコーラで思いっきりジャンクなパーティーをした(まだあとで授業がある人がいたのでアルコールなし)。

ところで、昨日、きょうの、このお天気はすばらしい。曇り、肌寒く、大好きな光。5月の適正気温だと思う。

12日、さらに感動したのは、サイバー大学の阿部和広さんが見せてくださった、100ドル・ラップトップの現物。2年ばかりまえに話題になったOne Laptop per Child の、全世界に届けられているそのものだ。ずっしりしたプラスティックのボディは、ちょっとお弁当箱みたい。しかしこれで、1000ドル級のマシンにできることは、たいがいできる。閉じれば防水。膝に載せたとき熱くないよう、熱はディスプレイ裏に集中させる。ディスプレイは90度回転させることができ、消費電力は極端に少なく、無線LANは1キロ以上離れたところからも使える。

コンピュータ文化は、経済格差に目をつぶって発展してきた。そこに、貧しい国の田舎の小学生たちにも、とにかくコンピュータを支給し、ふれさせてみようという運動がはじめられた。このかわいいマシンについての阿部さんの丁寧な説明のうち、ぼくがちゃんと理解したのはごくわずかだが、これを頭に載せてバランスをとりながら小学校に通う子の姿を想像できるようにはなった。

いろんな国の子供たちにこれを送ろうという、一口100ドル(たぶん)の募金もあるそうだ。

2008年5月12日月曜日

エイミー話ふたつ

エイミー・ベンダー『わがままなやつら』の新しい書評が、11日の北海道新聞に掲載された。評者は堀江敏幸さん。送ってくれた吉成くん(書肆吉成)、どうもありがとう。

堀江さんはたぶんいまの日本でいちばん書評のうまい人のひとりだが、これもじつに見事。わずかな字数に、作家の天性の構想力がたっぷり注ぎこまれている。そしてあふれるばかりのみずみずしさ。

「しかし、彼女の言葉は、雪の結晶のように、気温と湿度によって形を変えながらつねに安定していて、必要とあらば、熱くたぎる矛盾の雪だって降らせることができる。血の滴るようなやさしさを、そっと私たちに吹き込むことだってできる。」

オクシモロン、撞着語法、形容矛盾。「熱くたぎる矛盾の雪」であり「血の滴るようなやさしさ」。オクシモロンこそアイロニーの中心的な修辞であり、アイロニーとはよく訳されるような「皮肉」なんかじゃないことが、わかってもらえると思う。それは楕円の二つの焦点の一方から、もうひとつの焦点をうかがう視線。ひとつの引力に身をまかせることをけっしてせず、もうひとつの引力の存在をつねに意識し、引き裂かれた心で生きることだ。

エイミーの心のこの本質を、堀江さんは作家的に見抜き、最後にこういう。「そのよじれがあるからこそ、ベンダーの小説は美しく、恐ろしいのだ。」

これでエイミーの翻訳は、ぼくにとって、ほんとうにやってよかったと思える仕事になった。

ところでエイミーの唯一の長篇に『私自身の見えない徴』がある。あの傑作(そう、人によっては「ベンダーは短篇作家」だなどと平気で口にするが、あの本はそれ自体、特異な傑作だ)がついに映画化されるようだ。主演は、あのアメリカ・フェレーラ!

http://www.time.com/time/specials/2007/time100/article/0,28804,1595326_1595332_1616652,00.html

なるほど、ユダヤ系ばかりのご近所で育ったホンデュラス系移民の娘である彼女ほど、モナの役にふさわしい女優もいないかもしれない(でもUgly Bettyのイメージが強すぎるかも)。

これは楽しみ、あまりに楽しみ。完成が待ち遠しい。

「新領域創造専攻」に来ませんか?

5月31日の学内選考をまえに、「新領域創造専攻への進学を考えてみませんか」と題する講演・説明会を開催する。

今週の金曜日、16日。情報は明治大学ホームページと理工学部のトップページに掲載。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0002680.html

2008年春に明治大学理工学研究科に開設された新しい大学院コースが「新領域創造専攻」。われわれディジタルコンテンツ系は、その3つの系のひとつだ。

当日は、以下のようなプログラムで進行。

(1) 「新領域創造専攻への進学のメリット」菊池雅史(明治大学教授、建築)
(2) 「現役大学院生が語る新領域創造専攻の魅力」

日時:2008年5月16日(金)午後1時から2時半
会場:明治大学生田校舎 第二校舎A館4階マルチメディアルーム

主な対象:明治大学理工学部3年生及び4年生
     ※他学部・他大学生も参加可能です。是非ご参加ください。
主催:明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻
参考サイト:http://www.meiji.ac.jp/sst/nac/index.html

DC系からは、中村くんと大塚さんが、開始後まもないわれわれのプログラムの現状を報告してくれる。

当日は、もちろん、ぼくもいます。他学部、他大学からの人も、気楽に出席し、声をかけてください。

佐藤文則さん、ヴードゥーを語る

今年、早稲田の文学部+文化構想学部で、「カリブ海地域文化論」を担当している。

そのゲストとして、フォトジャーナリストの佐藤文則さんをお迎えすることになった。

日時 5月20日(火)18:00〜19:30
場所 早稲田大学戸山キャンパス34号館452教室
題目 「ヴードゥーと人々 現代ハイチの生活と文化」

第一線のフォトジャーナリストである佐藤さんは、過去20年にわたってハイチへの滞在と取材をくりかえし、「世界最初の黒人共和国」にして「西半球の最貧国」と語られることが多いこの国の人々の生活を、つぶさに見てきた。その経験から生まれたいくつかの認識を、すばらしいスライドの映写とともに、率直に語っていただけることと思う。

ハイチおよびカリブ海に興味のある方にとっては、またとない機会。ぜひみんな、気軽に参加してほしい。

佐藤文則(さとう・ふみのり)1954年生まれ。フォトジャーナリスト。

主な著書として『慟哭のハイチ—現代史と庶民の生活』(凱風社)、『ダンシング・ヴードゥー』(凱風社)、『ハイチ 圧政を生き抜く人びと』(岩波書店)がある。

佐藤さんのホームページは
http://www.k2.dion.ne.jp/~satofoto/


それでは20日に!

2008年5月11日日曜日

明治大学国際日本学部 開設記念講演会

明治にこの春からできた新学部が国際日本学部。

その開設記念講演会が24日(土)午後2時からアカデミーホールで行なわれる。

英文学の高山宏さん、フランス文学の鹿島茂さんという、新学部のために明治に移籍してきた超大物のおふたりに加えて、あの『太陽の黙示録』のかわぐちかいじさん(明治の卒業生だそうだ、知らなかった)の講演。かわぐちさんの紹介にあたるのは、これも筑摩書房の名編集者にして評論家として知られていた藤本由香里さん(やはり今年から同学部に勤務)。

かわぐちかいじ「マンガ表現の面白さについて」
鹿島茂「サン・シモン主義と澁澤栄一」
高山宏「メディアの近代史 イグナチウス・デ・ロヨラとマーシャル・マクルーハン」

この題目となると逃すわけにはいかないが、24日か。なんとか都合をつけて行きたい。

2008年5月10日土曜日

CD=ねずみごろし説

CDにおいて殺されているのは、ねずみの鳴き声だった。

というのが、きょう、くぼたのぞみさんと話していて得た結論。

くぼたさんの家の猫は、おなじ曲でも、CDで聴かせると無反応。それがむかしのレコードをむかしのプレーヤーで聴かせると、まるでねずみの気配を感じたようにびくっとし、プレーヤーに近寄って、じっとあたりをうかがっているのだそうだ。

CDが人間の可聴音域外の音を切り捨てているのは周知の事実。むかしのレコードには、人には聴こえず猫ちゃんには聴こえる音が、たくさん詰まっているのだろう。

殺されたねずみたちの幽霊は、いったいどこに行ったのか。

「世界文化の旅・島めぐり編」はじまる

明治大学の一般向け連続講座であるリバティーアカデミー。お茶の水駅からすぐの箱形建築、アカデミーコモンで開かれている。

昨年のちょうどいまごろ、法学部の中村和恵さんを中心とする顔ぶれで「世界文化の旅・アフリカ編」というシリーズをやった。そのシリーズは、いま単行本として製作中。

今年はその延長上で、「島めぐり」。きょうがその第1回で、翻訳家のくぼたのぞみさんがハイチ出身の作家エドウィジ・ダンティカの『アフター・ザ・カーニバル』を中心に、世界最初の黒人共和国であるハイチの文化と、ハイチ社会でカーニバルがもつ意味について論じた。ハイチのグループ、ブクマン・エクスペリアンスの曲をいくつかはさみながら。カーニバルの映像もあり、非常に興味深かった。

以下、こんな顔ぶれがつづく。

小説家の林巧さんによるボルネオ、香港。レゲエ博士・鈴木慎一郎さんによる(もちろん)ジャマイカ。ぼくのラパ・ヌイ(イースター島)。翻訳家の旦敬介さんがキューバ。最後に、中村和恵さんがあちらこちらと話を爆発させておしまい、という予定。

「島」という以外の共通項がないシリーズだが、きっと楽しめるはず。これから7月にかけて、ぼくら自身にとっても、他の人たちの話を聞くのは大きな楽しみだ。

2008年5月8日木曜日

第9回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

すでにお知らせしたギャラリー・オープニング・イベントをもって、第9回のDC研とします。お気軽にどうぞ!


第9回 ディジタルコンテンツ学研究会を開催します(5/12)

日時  5月12日(月)14時〜15時半
場所  生田キャンパス 中央校舎 5F メディアホール
ゲスト 迎山和司(公立はこだて未来大学 准教授)
ホスト 宮下芳明(理工学研究科 新領域創造専攻DC系 専任講師)

「Flowers: the interactive picturesの裏側 / 直感的コンピュータインタラクション」

明治大学生田図書館に新しくオープンした「Gallery Zero」で展示されるメディアアート作品「Flowers: the interactive pictures」。このディジタルコンテンツ研究会では、この作品を支える技術や、直感的なコンピュータ・インタラクションを効果的に見せることについて講演していただきます。


明治大学生田図書館「Gallery Zero」では、下記の日程でこの作品の展示を行っております。
併せてお立ち寄りください。

「Flowers:the interactive pictures」
迎山和司(映像)+宮下芳明(音響)

2008年05月12日[月]-06月06日[金]
開館時間 | 平日 8:30-22:00 / 土 8:30-19:00 / 日・祝 10:00-17:00

この作品は映像画面のまえに鑑賞者がたつと花が咲くというメディアアート作品です。花は定点撮影で撮られた実写映像で植物の時間の流れを体験できるようになっております。また音響においては、植物DNAにおける開花促進遺伝子の配列を可聴化し、「ヒラケハナ」というメッセージを聞くことができるようにしております。

チラシ/地図
http://www.dc-meiji.jp/flowers.pdf

2008年5月7日水曜日

Fringe Frenzy 創刊!

ぼくの研究室が発行するフリーペーパーとして、Fringe Frenzy が創刊された。編集は宇野澤昌樹。ゼミ生はあとはパコ(フランシスコ・ガルシア)だけだが、教養デザイン科修士課程の伊藤貴弘くんはなぜか単位にならないゼミに毎回来てくれるので、彼も編集部レギュラーということで。A3両面コピー印刷のささやかな媒体、これからひっそりやってゆく。

まずはパイロット版ゼロ号が完成し、本日行なわれた新領域創造専攻新入生歓迎会で配布。一部に衝撃を与えた。

ゼロ号の内容は、以下のとおり。

特別対談 「いつだっていちばん熱いのは<へり>」細川周平+管啓次郎
エッセー 「虚弱者の旅」大辻都
エッセー 「即興の力について」工藤晋
エッセー 「ジョナス・メカスの地方主義」宇野澤昌樹
写真   伊藤貴弘
旅日記 「リスボン日記」(1)管啓次郎
Review (Documentary) "Life and Debt by Stephanie Black" Francisco García
Review (Exhibition) "holy green by Takako Hojo" Keijiro Suga

この週末に本格的に印刷します。講読は、テキトーに連絡してください!

Gallery Zero 来週オープン!

明治大学生田図書館内に作られたギャラリー・ゼロが、いよいよ5月12日にオープンする。

最初の展示は、メディア・アーティストで公立はこだて未来大学准教授の迎山和司さんによるインタラクティヴ・ピクチャー、Flowers。これに音響面で、われらが同僚・宮下芳明さんが協力する。

http://www.lib.meiji.ac.jp/news/detail/news_disp00000573.html

生田の学生のみんなは、必ず、全員見てほしい!

また5月12日にはオープニング・イベントを午後2時から、中央校舎メディアホールで行ないます。二人のアーティストに、その創造の秘密を聞く、絶好のチャンス。

ギャラリー創設にまでこぎつけてくれた生田図書館担当の副図書館長・浜口稔さん、図書館スタッフのみなさま、ありがとうございました。

たまには古い本を

たまには古い歌を聴く必要があるように、たまには昔読んだ古い本をひっぱりだして読み直してみなくてはならない。すると、がつん! と衝撃をうけることがある。

それできょうは。

「ボイスは実際にウサギを人間のひとつの器官として、つまり外部器官として理解している。ウサギのもつとほうもない豊饒、その鉤を打ち込む能力、何度も往来する性質、ステップ地帯を起源とすること、刻み込むような狂気、その暗い性格、これらすべては彼にとってウサギが生まれながらに縁のある動物であることを思い知らせ、ボイスを感動させたのだった。ウサギとウサギをともなったすべての動物たちが、人間の進化にとって触媒であったとの確信をボイスは強めたのである。ボイスは語っている。『動物たちは身を捧げた。まさにそのことによって人間は現在の人間になりえたのである。』」

(ハイナー・シュタッヘルハウス『評伝ヨーゼフ・ボイス』(山本和弘訳、美術出版社、1994年)

なんという認識!

2008年5月6日火曜日

24年めの真実

24年前、ぼくは1年間ブラジルでぶらぶら過ごしていた。ラジオ付きウォークマンを持っていて、一日中聴いていた。その年、はやっていた歌の中でいちばん好きだったのが

coração ligado なんとかかんとか

という歌詞の歌。なんとかかんとかの部分はbench selerado と聞こえて、なんのことかわからなかった。他には当時のスーパースター、特に子供たちには絶大な人気のあったXuxaのE de chocolate が大流行していた。

ところでいまはGoogleとYouTubeの時代。それなのに今日まで、検索することすら考えつかなかったのはなぜだろう。まず、Xuxaを探すと、当時はラジオでしか知らなかったこの歌が、楽しい画像つきで見られる。

つづいてcoração ligadoで検索すると、これも一発! Metrôという歌手のBEAT ACELERADOという歌だった。そうだったのか。24年後にはじめて知った、この真実。

http://youtube.com/watch?v=8kGYYT34BbI&feature=related

この部分、「ビーチャセレラード」という風に聞こえる。いま聴いてもいい歌、いいメロディー、いいビートだ。

うれしかった。

2008年5月5日月曜日

『船、山にのぼる』

5月5日、小岩コミュニティーホールにて、ドキュメンタリー『船、山にのぼる』の上映があることを宇野澤くんから教わった。こないだまでユーロスペースで公開されていたのだが、注意を払ってなかった自分が悪い。

http://fune-yama.com/trailer.html

この予告編を見ただけで、ひどい胸騒ぎを覚える。残念ながら明日は行けそうにないが、いつかきっと見たい。そしてまた、舞台となったダム湖を、ぜひ見に行きたい。

2008年5月4日日曜日

ヒナゲシ

いまはポピーの花のまっさかり(をちょっとすぎたあたり)。うちの周囲でも、この数年、めっきり増えたような気がする。車道沿いにほとんどびっしり生えていて、花の道。これからさかりになるサツキツツジもそうだが、やはり気候に完璧に適合している種なんだろうか。

これからの仕事はポピーの種の収穫。つぶつぶをたくさん溜めて、バター・トーストにまぶして食べるとうまい。(かもしれないと想像しているだけ。)

ポピー、ヒナゲシ、コクリコ。ところが漱石の小説の題名にある『虞美人草』がやはりヒナゲシのことだとは、ついこないだまで知らなかった! あまりにいいかげんな読者だった。

2008年5月3日土曜日

作文ふたたび DC系コラム(4)

木曜に話した「作文の心がけ」をまとめておきます。いちおう書評の場合を念頭に。

(1)手持ちの資源では書けない

どんな短い文を書くときにも、必ず「ちょっと調べる」ことを心がけたい。たとえば最初の課題のときは、著者(鷲田清一さん)の背景を想像するために、「現象学」や「メルロ=ポンティ」について、ちょっとだけでいいから何かを見てみる。それでぜんぜん結果がちがう。

(2)読む時間を確保する

あたりまえのことだけど、読まずに書評は書けない。とはいっても、本を読むときに最初から最後まで一貫した強さで読める場合は、そうはない。2時間なら2時間で読むと決めて、濃淡をつけた読み方をするのもひとつの方法。あるいはダイビングのように。本がひとつの岬なら、その周囲の海をぜんぶ知ることなんて、とてもできないだろう。丘に立って、ポイントを3つ選ぶ。そのポイントごとに、5ページなら5ページ、潜水し、熟読する。5ページなら5メートル。10ページなら10メートル。もちろん、深く潜れば潜るほど、学べることは大きい。慣れないうちは、1ページ(1メートル)であっぷっぷ。でも必ず慣れてゆく。ポイントも増やせる。

(3)書く前の儀式

いざ書く時には、ちょっとした儀式をする。自分がお手本だと決めている著者の文章を、2、3ページ読んでから書く、ということ。するとリズムとか温度とかが整ってくる。

(4)一晩寝かせる

書き終えた文を必ず一晩寝かせて、翌朝「他人の目」で読んでみる。徹底的に批判的に。気に入らなければ、できそこないの茶碗のように床に叩きつけて割る。そしてもういちど最初から。何度でも、最初から。

ということで、次回もよろしく。

さあ、ツアー初日

港大尋『声とギター』ツアーの初日。神楽坂のシアターイワトにて。

まずは、音楽批評の三橋圭介さんと会場隣の「高級モスバーガー」で腹ごしらえ。へえ、こんな店あるんだ、と驚く。

いよいよはじまり。小雨模様にもかかわらず満員の会場が、ギター(でCDジャケットのデザイナーでもある)スティーヴこと沢和幸さんの爆笑トークで瞬時にほぐれる。それから、すべてのすばらしい歌。その歌のうまさ、アレンジの素朴なよさ、ソウルのこもった演奏、歌詞の圧倒的なすばらしさ。どれをとっても、本当に心に残るコンサートだった。

会場にはピアニストの高橋悠治さんや写真家の中平卓馬さんの姿も。じーんとしびれるような感動の中、演奏終了後のトークはつけたし。でもその場に参加することのできたよろこびをかみしめながら、夜の大江戸線で帰る。

きょうのステージを逃した人は、17日、下高井戸をめざせ! しずかな戦慄の時間が約束されてます。