Thursday 18 December 2008

思い出にもならないもの

「すべての旅はさまざまな小さな思い出 [レミニサンス] を、隠し、またあらわにする」(ミシェル・オンフレー『旅の理論』)。

旅のあいだは心が活性化されていて、ふとしたきっかけに忘れていたいろいろなことを思い出す。でも旅はまた忘却にもよくむすびついていて、自分の人生の主流をなすコンテクストから離れることにより、心を悩ますあれこれを忘れる役にも立つ。

旅を終えて日常に帰ったとき、旅を思い出すことはそれだけで心に強い刺激を与え、時空の隔たりをまざまざと実感させることになる。その陰では多くがすでに忘れられ、忘れたことさえ忘れてしまった細部は自分が出会うことのなかった世界のすべてと同列に並んで、マリン・スノウのように海底に降り注いでゆく。しずかだ。しずかだ。非情な無音。何も起こらないことの無音。

といったことを、いまこうして改めて書いてみると、それだけでなんだか暗い気持ちに。それは悲しいことを思うがゆえの悲しさではなく、展開への可能性がありながら果たされなかったあれこれが、現実へと浮上することなくいつしか実現可能性さえすっかり失ってしまったという、容赦ない事実に対する悲哀だ。世界のほとんどは、自分にとって「思い出にすらならない」という、絶対的な限定に対するさびしさ。

それに苛立ちを覚えるとき、またどこかに出かけてゆきたくなる。でもこの冬は?