Tuesday 13 March 2012

『銀河鉄道の夜』反響集

昨年クリスマス・イヴの初演に対する観客のみなさんからの反応です。ありがとうございました! 劇自体の成長と展開を、これからも追ってください、見守ってください。

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〈今まで自分は、賢治の詩を本当には読んでいなかったんだ!〉そう思わずにはいられない、驚きと感動に満ちたパフォーマンス。古川日出男が賢治作品の真実をおそるべきパッションの炎であぶり出し、それを管啓次郎が悠然たる佇まいで受けとめる。そして小島ケイタニーラブの音楽がすべてを深く、やさしく包み込む。ゆるやかに、緊密に結ばれた三者による刺激あふれる読解=創造の劇。ぼくらが今、本当に必要としている賢治がここに誕生した!(野崎歓、フランス文学者・東京大学准教授、53歳)

古川・管の朗読が別の次元に入った一夜! 思いが夜空をかけのぼっていく。(旦 敬介、作家・翻訳家・明治大学教授、52歳)

最初から涙が止まらない。ライヴで体験する詩と物語の言葉は体に響いて伝わってくる。思いがけない音楽とおちゃめなパフォーマンスも加わって、最後は笑いも止まらない。歴史的なショーのはじまりだ。(原瑠美、翻訳者・イラストレーター、29歳)



声の表情が、声の旋律が、音節の色が、単語の匂いが、詩の生命が、タイプライターの金属音が、右から左から明瞭に、連続に、同時に、聴覚から視覚から触覚から僕の脳に洪水となって流れ込み、経験したことのない感覚を生み出す新たな回路を脳幹に焼き付けて、そこから溢れ出る感情の海に溺れ滲む涙が止まらない。「春の先の春へ」と流れる薄靄かかった大河へと漕ぎ出た彼らを見送った日の記憶は僕の2011年に深く宿り、ゆっくりと形を変えながら増殖していま新たな胎動が芽生え始めようとしている。(山田龍太、カヌーイスト、42歳)

宮澤賢治のテキストが現代の作家たちの手で2011年まで広がり、そこから先へとつながっていった夜。声と音楽に乗り忽然とあらわれた東北の銀河に、胸うちふるえる2時間でした。(大辻都、フランス語圏文学者・大学講師、49歳)



目を閉じ、耳を澄ます。北上のせせらぎ、乾いた砂を裂く水の音、それらが内なる川を呼び起こし、重なり、ひとつの大きな流れを作る。今も心に残る故郷の川。この体を貫く赤く熱い川。振り絞られた言葉の先、銀河鉄道の旅のその先で、そっとまぶたを開く。わたしはもう、目を背けたくない。向き合いたい。前を見たいんだ。(大塚あすか、会社員、32歳)

朗読というと、耳を澄ませて聞かなければと、どこか構えてしまう部分もあるのだけれど、この晩は違った。ただ身をゆだねているだけで良かった。語られる文章は本から抜け出し、音楽をともない、その時その場にしかありえない物語となって、現われ、消えてゆく。でもちゃんと体感している。物語が体じゅうに届く。興奮! 言葉は声をもち、音をもち、頭で捉えるのではなく感じるものだということに、はっとさせられた。(安田沙絵、編集者、37歳)




 2011年12月24日の「銀河鉄道」。圧倒的なパフォーマンスだった。古川日出男の身体からほとばしる声のエネルギーは管啓次郎とともにテクストにポリフォニーの陰影をつけて強烈に立体化させる。寄り添う小島ケイタニーラブの明滅する夜の音楽。かつて串田孫一は宮澤賢治の詩の大きな原動力として「怒り」があるのではないかと述べたが、どうしようもない怒り、悲しさ、寂しさが、声という命の吹き込まれた言葉によって、いっそうの力をもって立ちあらわれる。クリスマス・イヴの晩、宮澤賢治のテクストは見事に「演奏」されたのだった。また管啓次郎のテクストは賢治の空間をゆるやかにひらいていく。このパフォーマンスは「演劇」にも「朗読」にも収斂していない。ことばと音楽の協働するあたらしいポエジーの空間が出現しているのだ。(工藤晋、教員、51歳)

言葉と音楽が心の堰を切り崩して涙がとまらなかった。こういう追悼の仕方があるのだと、はじめて知った。(綾女欣伸、出版社勤務、34歳)