Sunday 23 December 2007

コスモポリタニズム

日本英文学会には昨年から「関西支部」が設立されたらしく、その第2回大会のシンポジウムのために土曜日、大阪大学まで行ってきた。大阪は雨。モノレールからの風景が外国に来たみたい。

シンポジウムはぼくが尊敬する翻訳家の若島正さん(京都大学)が組織したもの。タイトルは「コスモポリタニズムと英米文学」。まさにいま語られるべき、本質的に重要な問いをいくつも含みうる、主題の設定だ。

まず木村茂雄さん(大阪大学)がコスモポリタニズムをめぐる最近の議論をいくつか紹介した上で、サルマン・ラシュディの『道化師シャリマル』を論じた。まだ読むチャンスがないが、すごくおもしろい作品だということがよくわかる。こういう話はうれしい。ついでぼくが、自分なりの「コスモポリタニズムの5つの原則」を話し、さらにおなじ1940年生まれのブルース・チャトウィンとジャン=マリ=ギュスターヴ・ルクレジオの「世界」への志向性について話した。かれらのコスモポリタニズムは幼児期の戦争の影に対する反応だという立場。

ついで芦津かおりさん(大谷大学)がシェイクスピアのローカル化の例として、蜷川幸雄の演出とその受容を論じた。仏壇の中で戦国時代の武将が争う『マクベス』という発想がすごい。最後に若島正さんが、専門のナボコフと対比するかたちで、現代の若いユダヤ系ロシア系作家ふたりの作品を論じた。ドイツで暮らしドイツ語で書くウラジミール・カミネールとアメリカで暮らし英語で書くゲイリー・シュタインガート。若島さんの話術にひきこまれ、ふたりともむちゃくちゃにおもしろそうに思えてくる。いつか読んでみたい。最後はカリフォルニアの「バラライカ・ロックンロール」のバンド「赤いエルビス」の曲「宇宙飛行士ペトロフ」を聴かせてもらっておしまい。

ぼくが上げたコスモポリタニズムの5つの原則とは、次のようなもの。網羅的ではないが、少なくとも議論の出発点にはなるだけのものがあると思う。

(1)ナショナルな所属を(少なくとも)優先させないこと
(2)ノマディズム(移住、移動)の積極的実践
(3)多言語使用、トランスリングァリズム
(4)ヨーロッパ嫌悪、ないしは「ヨーロッパ主導の近現代」批判
(5)寛容の自己契約、非暴力主義

それからさらに、課題図書としてあげた3冊の本をひとりずつ担当して紹介した。クワメ・アッピアの『コスモポリタニズム』(ぼく)、ピコ・アイヤーの『グローバルな魂』(若島さん)、シェルドン・ポロック他の『コスモポリタニズム』序文(木村さん)。

ここまででディスカッションの材料は豊富に出ているはずなのだが、いざとなると、会場からの質問はゼロ。沈黙。これには正直なところ、愕然とした。こうなると、話しっぱなしのシンポジウムという形式など、まったく無意味だなあと思う。「学会」という場では、どんな話題でもたいがいその話題について話し手よりよく知っている人が何人かはいるものだし、逆に「そこのところぜんぜんわからなかったからもっと説明してください」という意見だって大歓迎。何より、「やりとりがある」ということが、こうした催しの最大の意味だろう。

それとも、話し手に求めるのはあくまでもエンターテインメントであり、その芸があまりに稚拙なので挨拶に困った、というあたりか。それならまあ、わからなくはない。わからなくはないが、学会に娯楽を求めてどうするんですか、とは思う。

確実にいえるのは、こうしたナショナルなくくり(「英文学」だの「仏文学」だの)での文学研究の時代は完全に、そして正当に、終わりを告げているということ。対象である文学テクスト群の有機的な関連を考えただけでそれは明らかだし、作業を実践する側の、現代世界における文学研究の意味と位置と使命を考えれば、いっそう明らかだろう。

ところで、この現在にあって、なお「コスモポリタニズム」という言葉を、まるでファッション雑誌みたいなイメージで捉えている人もたくさんいるみたいだ。別にそういう名称を使う必要はないが、その名にこめられようとしている期待や意志まで否定することはない。文学が作り出すコスモポリタニズムは絶対に必要だし、それはエリート主義とも商業主義とも、ぜんぜんちがう話。

両大戦間の芸術的コスモポリタニズムも、1960年代の対抗文化やヒッピー・カルチャー的コスモポリタニズムも、90年代以降の難民・亡命者・経済移民たちの中から芽生えてきたコスモポリタニズムも、根本にあるのは戦争や社会崩壊に対する怯えであり、それぞれの場所で生存を計るための策略なのだ。

若島さんのお話では、現代ベルリンのロシア系の青年たちが使う「ピジン・ドイツ語」が印象に残った。そんなロシア語まじりのドイツ語をそのまま理解できるだろう日本人というと、まず多和田葉子さんのことを思い出す。ぜひ多和田さんに、いつかそんな話を聞いてみたい。