Thursday 20 December 2007

『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー)

英語リーディング1年のクラスで、先週ときょうの2週に分けて、ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』(2004年)を見た。

http://www.darwin-movie.jp/

アフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖にかつて誰かが放った一匹の魚、ナイル・パーチが発端。外来種がときとしてそうなるように、肉食のこの魚は激増し、他の魚たちを食べつくし、生態系を崩壊させた。

大きく育つこの魚の白身をヨーロッパや日本に輸出するために、工場が作られ、人々が工場労働者になるために集まる。町ができる。現金収入へのドライヴがかかると、伝統経済は崩壊する。工場で働けるものは、まだいい。女性たちのある者は、売春で現金収入を求めるようになる。親たちから捨てられ路上で暮らす子供たちは、暴力を唯一の原理として、生存競争の毎日だ。かれらは犬をいじめる。

魚はロシアの飛行機(パイロットはウクライナ人)がヨーロッパに運ぶ。ロシア機は、いわば長距離トラック。他の国の便よりも安く仕事を請け負うのだ。そしてヨーロッパからのフライトは、人にはいえない物を積んでくる。武器。内戦の支援。アフリカのゆたかな地下資源を狙うヨーロッパ各国は、現地の部族抗争などを巧みに利用し、武器の援助をし、資金を与え、内戦を作り出してきた。

こうなると、人々の中にも戦争を望むものが出てくる。なぜならそれはビジネス・チャンスだから! ヨーロッパ諸国がお金をつぎこむ。援助物資も送られてくる。いまは夜警の仕事をしている元兵士は、戦争になれば人を殺すのはあたりまえ、ためらいはない、と言い切る。

この救いのない話が、さらに近未来においてどうなるかを考えると、戦慄が走る。あのパーチがとりつくされ、絶滅したら? 身の部分は輸出され、残った頭の腐りかかったものを油で揚げて食べている現地の人々は、さらに失職し、現金収入を失ったらどうするのか? 

クラスのディスカッションにもいろいろな意見が出た。誰もどうすればいいかがわかっているわけではない。けれどもこの丸ごとの状況をつきつけられると、もやもやした気持ちがこみあげてくる。

アメリカの軍事予算の3分の1を遣うだけで、世界のどうしようもない貧困(明日まで生きられるかどうかわからないレベルの貧しさ)のかなりの部分が救えるという。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、日本の人々が、1日あたり45セント出せば、相当いい線まで行く。ところがこれは、現在すでにノルウェイの人々が支払っている金額の3分の1よりちょっと多い額にすぎない。そして別にノルウェイ国民は、他の先進国の人々の3倍ゆたかなわけではない。といったことを、ガーナ人の父親とイギリス人の母親をもつアメリカ在住の哲学者クワメ・アッピアが書いている。

どうにも重い話だが、たとえばこうした話題を「語学」の授業でとりあげないかぎり、理工系の学生のほとんどは、意識することすらなく大学を卒業してゆくわけだ。そう考えると、語学は必要だ。それは語学のためだけではない。「世界」に対する「われわれ」の想像を変えるためには、英語もその他の外国語も総動員して、1年生のクラスでも、2年生のクラスでも、粘り強くことに当たるべきなのだ。資格試験のためのドリルなんかに大切な時間を遣っているときじゃない。

ということを再確認しつつ、この授業では、今年最後のクラスとなった。みんな、よいお年を。あとは木曜日の「フランス語1年」×2、そして金曜日の「英語コミュニケーション1年」と「英語リーディング1年」。