Sunday, 14 September 2008

さよならウルルン

『ウルルン』がついに終わった。ちょうど10年前に帰国してから、ときどき見ていた(見るようにして見ていた)唯一の番組。

むかしスペイン人女性の知人がきびしく批判していて、その批判はほとんど当たっていると思ったが、それでも見ればおもしろいことが多くて、へえっと感心すること教えられることもたくさんあった。

そして番組に与えられた枠での1週間の滞在でも、人とのふれあいには本当も嘘もない、別れの涙にも。みんなそれぞれの真実。

よく覚えている回が、もう×年前だなんて知って驚いたこともしばしば。どこかの時間帯で全体を再放送してくれれば、また見て楽しい回もいくつもありそうだ。(いろんな番組の再放送専門局とか、あってほしい。)

これで日曜夜の楽しみがなくなり、見ようと思って見る番組は、もうなくなったのがさびしい。

きょうの最終回で思ったこと。照英になついていたトルコのでっかい犬(カンガル犬)がほしい。それとギャルそねちゃんの食べっぷり、ラブレーに見せてやりたかった。

サローヤンの贈り物

アジア系アメリカ文学研究会にお招きいただいて、「サローヤンの贈り物」と題する講演を行なった。神田の学士会館にて。

アルメニア系のサローヤン、そして彼から一貫して励まされてきた日系のトシオ・モリという、ふたりのカリフォルニア作家の短篇を3つずつ選び、そこに共通する気分・思想・希望について話してみた。

それから最後に、サローヤン一家のアメリカ移住の背後にあるトルコ領内でのアルメニア人大虐殺と、それを直接に扱ったアルメニア系カナダ人の映画監督アトム・エゴヤンの『アララト』にふれる。

準備が遅れてしまい、明け方までかかったのでかなり不安だったが、きわめて反応のいい聴衆のみなさんに助けられて、なんとか話を終えることができた。ディスカッションも時間を30分延長して、大変に活発で、内容があるものとなった。

去年から、サローヤンの生誕100年にあたって何かできないかと思っていたが、これでその希望は達せられた。目的はただひとつ、彼に対する感謝のため。絶対に届くことのない感謝だが、感謝であることに変わりはない。

サローヤンとモリのいくつかの短篇をじっくりと読み直し、また大きな何かを贈られた気持ち。機会を与えていただいたアジア系アメリカ文学研究会のみなさん、ありがとうございました!

Saturday, 13 September 2008

どこでもありうる小さな町

きょうはずっとウィリアム・サローヤンおよび日系アメリカ作家のトシオ・モリについて考えていたので、参照する必要があって夕方、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』の訳本(講談社学芸文庫)を買いに、2駅先の書店へ。

帰路、年譜を見はじめたら、なんと! アンダーソンは1876年9月13日生まれだった。

よりによって、きょう、9月13日。別に意味はないが、あるといいだせば、ある。たくさんの短篇からなるグロテスクな人々の肖像。通読したことはない。モリの短編集『ヨコハマ、カリフォルニア』は直接にこのタイトルを意識していた。サローヤンもアンダーソンを愛読していた。

それからすぐ電車内で、「紙の玉」というごく短いものを読む。かなり強烈。暗い、暗い。ぜんぶ一度に読む気にはならないが、しばらく楽しめそうだ。

本書は小島信夫+浜本武雄という、職場の大先輩たちの仕事。言葉の感覚はおのずからちがうが、その電位差もまた興味深い。

Friday, 12 September 2008

火の力を撮る

サンタ・フェの広場のそばにある写真専門のギャラリーが、アンドルー・スミス・ギャラリー。そこで見たJoan Myersの写真が妙に気になっている。

http://www.andrewsmithgallery.com/exhibitions/joanmyers/brimstone/index.html

イエローストーン、ポンペイ、アイスランドを撮ったものが数枚ずつ。3つの土地をむすぶのは火の力、火山、地熱。

ここに第4の地点を付け加えるとするなら? とりあえず伊豆大島にでも行ってみようか、ゼミ旅行として。

「ひとつの生命が他の別の生命を呼ぶ時に音が生まれる」

今年の前期の大学院授業で指定したテクストのひとつが『武満徹・対談選』(ちくま学芸文庫)。その姉妹編ともいうべき『武満徹エッセイ選』が完成し、古い友人である編者の小沼純一さんから送られてきた。

これもじつにおもしろい。驚くべき言葉にみちている。武満さんが希代の読書家であったことはいまさらいうまでもないが、はらりと開いたページにこんな言葉があると、粛然とする。

「今日のように出版される書籍の数が多ければ、買い求めたものをすべて手もとにとどめておくのはわずらわしい。一、二行のことばを私の内部に保存しておけば良い。だから、読みおえた書物はなるべく他人に貸すことにしている。本だなは書物にとっては仮住まいでしかないだろう。
 いつも新鮮に響くことば、それは粗い鉱石であって私たちの日常のなかで磨かれて行く。私にとっては発見に富んだ書物だけが必要だ。私たちは本を読むことで思考し、さらにたいせつなのは、それによって歩行するということだ。とすれば、余りたくさんの書物は、かえって私たちの歩行の邪魔になりはしないか」

そのとおりだと思う。

将来の一、二年生ゼミでひとつ考えているのが、「思考の種子」集め。せいぜい二行くらいにまとめられる発想の種を、一日につき三つ、一週間で二十一くらい、ノートに書き溜めてゆく。

たとえば武満さん自身の例をあげるなら、こうなる。

「イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ」

こんな風に石つぶてのようにまとめた短い言葉を、日々反芻しつつ考えること。それが「連結的人文学」の基礎的な作業になるだろう。

Tuesday, 9 September 2008

I Think I Love You

けさ、例によってMr.ドーナツでコーヒーを飲んでいたら、あまりにもよく知った歌がカバーで流れてきた。タイトルはI Think I Love You。ところが、そのオリジナルの歌手がどうしても思い出せない。このところ、記憶力がズタズタになっている。半世紀も生きると、仕方ないとはいえ。

ともあれ、考えに考えるうちに、ふと思い出した。あれはザ・パートリッジ・ファミリー! 70年代前半の中高生のころ大好きだったテレビ番組だ。

グループの中心はデヴィッド・キャサディーだが、お姉さん役はスーザン・デイ。そのころいちばん好きだった女優が、彼女。

それなのにもう30年以上、考えたこともなかったなあ。Infatuationとはいい加減なもの。ドーナツ屋で流れてきたカバーの歌い手はVoice of the Beehiveというグループだそうだ。じつにいい名前だと思う。

(ところでかれらがこの曲をシングルで出したのは1991年のことらしい。英語圏のポップスをぜんぜん聞かなかった時期なので、まったく知らなかった!)

プエブロから戻って

ニューメキシコ州には19のプエブロ(先住民の村)がある。そのうち、もっとも南西にあるズニ、もっとも北東にあるタオス、そして空中都市と呼ばれるアコマをたずねる旅から帰ってきたところ。

強烈だった。なかでもアコマでは、守護聖人サン・エステバン(聖ステファヌス)のお祭りをじっくり見ることができた。秋の収穫祭。

アコマは1989年に初めて訪れて、それまでの人生がガラガラと崩れるような思いをした場所だ。以来、5回訪れているが、サン・エステバンのお祭りを見るのは初めて。200人を超えるダンサーたち(幼児から老人まで)の踊りに圧倒された。

ズニ、タオスのことも含めて、いずれ文章を書くつもり。でも書けないかも。

ズニの村のそば、高原砂漠を見下ろす断崖エル・モーロに初めて登り、流れる雲の影を見ていた。まだいくつも、北アメリカの荒野の中に、訪れたい地点がある。

この週末、「週刊ブックレビュー」で翻訳家のくぼたのぞみさんがエイミー・ベンダー『わがままなやつら』を取り上げてくださった模様。見逃して、残念! さあ、これから秋の仕事の嵐だ。