Friday 12 September 2008

「ひとつの生命が他の別の生命を呼ぶ時に音が生まれる」

今年の前期の大学院授業で指定したテクストのひとつが『武満徹・対談選』(ちくま学芸文庫)。その姉妹編ともいうべき『武満徹エッセイ選』が完成し、古い友人である編者の小沼純一さんから送られてきた。

これもじつにおもしろい。驚くべき言葉にみちている。武満さんが希代の読書家であったことはいまさらいうまでもないが、はらりと開いたページにこんな言葉があると、粛然とする。

「今日のように出版される書籍の数が多ければ、買い求めたものをすべて手もとにとどめておくのはわずらわしい。一、二行のことばを私の内部に保存しておけば良い。だから、読みおえた書物はなるべく他人に貸すことにしている。本だなは書物にとっては仮住まいでしかないだろう。
 いつも新鮮に響くことば、それは粗い鉱石であって私たちの日常のなかで磨かれて行く。私にとっては発見に富んだ書物だけが必要だ。私たちは本を読むことで思考し、さらにたいせつなのは、それによって歩行するということだ。とすれば、余りたくさんの書物は、かえって私たちの歩行の邪魔になりはしないか」

そのとおりだと思う。

将来の一、二年生ゼミでひとつ考えているのが、「思考の種子」集め。せいぜい二行くらいにまとめられる発想の種を、一日につき三つ、一週間で二十一くらい、ノートに書き溜めてゆく。

たとえば武満さん自身の例をあげるなら、こうなる。

「イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ」

こんな風に石つぶてのようにまとめた短い言葉を、日々反芻しつつ考えること。それが「連結的人文学」の基礎的な作業になるだろう。