2009年1月29日木曜日

期末試験エレジー

期末試験たけなわ。ぼくの担当科目はすべて終わり(大学院を除く)、成績も出した。

それはいいのだが、この時期、どうにも情けないのが「期末試験における不正行為」。それを禁ずる張り紙を出さなくてはならないとは、じつにくだらないことだ。

カンニング? やめろ、くだらない。
ゴミ? せめてちゃんとゴミ箱に捨てろよ。
登下校時にはさわぐな。

それくらいのこともわきまえない幼児的な大学生を量産しているのかと思うと、つくづく情けなくなる。もちろん、学生たちの中の少数の者にちがいないのだが、どうにも目立つくらいの数がいることも事実。

2009年1月28日水曜日

深夜のコンビニから

深夜にコンビニに寄ると、日本の消費文化のスノビズムのすごさに、いつも圧倒される。とにかく、開発される新製品の数がすごい。即席麺の競合の、この激しさを見ると思う。どの世界のどんな商品において、こんな事態がかってあったことか。

お茶やその他の飲み物も。こないだ、キャップ部分をねぎりきれば抹茶の粉がはらりとミネラルウォーターに落ちて、それをシェイクして飲む、という製品を買った。なかなかさわやかでおいしいので、また買おうかと思っていたら、もう入荷されなくなっていた。やはり価格が高めなので、あまり売れないんだろう。

最近感心したのは、キリンの世界のkitchenから、というシリーズの飲料。いちいち、意表をついた発想源で、風変わりな飲み物を作ってくる。その地理的ひろがり、文化的背景を、想像するだけでも楽しい。

根本的には消費文化のこうした些末な競合が大嫌いなんだけど、でもたとえば自分の元学生がこうした開発部門でいい仕事をしたら、すごい! やったなあ! よく考えたね! と心からうれしく思うにちがいない。工夫はあったほうがいい、どんな分野でも。

それでも、どちらかというと、すべてのコンビニは夜11時から朝7時までは閉めていいと思うけれど。そうすれば、町がどれほど落ち着くことか。そしてあらゆる通勤電車のすべての吊り広告をなくすだけで、日本語使用者の魂の水準が上がるのではないかと思うけれど。

「風の旅人」36号

「風の旅人」もいつしか36号! ぼくの連載「斜線の旅」、今回は昨秋の中国旅行の話です。タイトルは「武漢」。また行きたい、武漢。蓮根とアヒルの首の武漢!

これまで隔月刊だった「風の旅人」ですが、今年から年3回刊行に。広告のまったくない誌面を維持するには、定期購読を確保することがどうしても必要です。これだけの質の写真と文章を載せつづけている雑誌は、他にありません。ぜひ定期購読をお願いします! また書肆吉成の「アフンルパル通信」の定期購読もお願いします! そして当研究室の Fringe Frenzy の不定期購読も(これは無料、原則手渡し)。

恵比寿ツアー

ティーンエイジャー向けの英語教材の仕事で、恵比寿のスタジオへ。ぼくが英日で書いたテクストを、それぞれプロの俳優が録音する。

録音スタジオに入るのも、ほんとにひさしぶり。大学を出たばかりのころバイトしてた出版社で、2、3度、つきあったことがある。20数年前か。きょうは見ているだけなので気楽だが、俳優さんたちはさすがにうまいし、じつに声がいい。技術の人たちも、テキパキ。見てるだけで興味深く、おもしろい。

大学1年のときには、教育テレビの英語会話の番組制作見学にゆき、そのころはちょっとだけ、そういう仕事もいいかなと思っていた。同僚の清岡さんはラジオのフランス語会話の収録で、しょっちゅうレナさんとこういう環境で仕事をしているんだなあ、と感慨を覚える。

終わってから明治通りを渋谷まで歩いて帰る。と、途中、ウサギ専門店があってびっくり。めちゃくちゃにかわいいけど、すごく高い。16、7万円の子ウサギたち! 小学生のころ飼っていたウサギは、結局、飽きてしまって小学校にむりやり寄付してしまった。かわいそうなぴょんきち。犬猫みたいな反応はないけど、おとなしくてきれい好きで、町中でペットとして飼うにはいいかも。

それからさらに歩くとチリチリという名前のカレー屋さんがあったので、ふらふらと入る。野菜マサラカレー、1000円。なかなか旨い。ここまで来ればもう並木橋。むかしこのあたりに友人が住んでいた。30年前のあれこれも、思い出せば5分前と変わらない。でも当時はさすがに1000円のカレーはなかっただろう。もしあっても、食べなかったにちがいない。

オープンゼミのお知らせ

2月4日と5日、アキバで、管啓次郎研究室主催の以下のセミナーを開催します。宇野澤くんの企画です。ぜひご参加ください。冬の夜が、熱く沸騰することは確実です。がらりと世界が変わって見えるかも。


管啓次郎研究室オープンゼミのご案内

明治大学理工学部新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系管啓次郎研究室では、2月4日(水)・5日(木)の2夜連続でオープンゼミを開催します。

ディジタルコンテンツ系では、幅広いメディア表象を研究対象にしています。今回のオープンゼミでは、ゲストとして映像作家かわなかのぶひろ氏とアーティスト田中功起氏に、メディア表現について制作者の立場から、それぞれの活動と体験に基づいたお話をしていただきます。
学内外を問わず多くの方に聴講していただきたいと考えております。ぜひご来場ください。(司会・進行=宇野澤昌樹)

映像表現と詩 かわなかのぶひろ(映像作家)
2月4日(水) 19時~21時30分(途中休憩あり)
我々の映像体験は、ハリウッド映画やCMなどに代表される、あらかじめ設定された物語を表象するための映像を受動的に消費するだけのスタイルが、長い間主流とされてきました。しかし、近年YouTubeなどによってより多くの人が映像を加工するようになり、鑑賞者の枠から外れた行為を行うようになっています。
かわなかのぶひろ氏は映像作家として、フィルム、アナログビデオ、デジタルビデオと、メディアの変遷を体験しています。大きな映画会社やテレビ局としての活動ではなく、個人の表現としてそれぞれのメディアを使用してきました。かわなか氏が影響を受けたアメリカの実験映画も、商業的な映画とは異なり、個人の表現としてつくられたものでした。まるで「詩」のようなパーソナルな表現が、映像の領域でも脈々と行われてきたのです。
かわなか氏が影響を受けたアメリカの実験映画とかわなか氏本人の作品の観賞と解説によって、映像が本来もつ可能性について考察します。

everything is everything 田中功起(アーティスト)
2月5日(木) 19時~20時30分
 田中功起氏は、さまざまな物質と映像メディアを用いた作品をつくっています。あえて分類すれば、インスタレーションと呼ばれる空間をつくるタイプの作品が多い作家だといえるでしょう。映像を使ったインスタレーションというと、集中して見るには耐えない散漫な作品が多いという印象がありますが、田中功起氏の作品はまったく異なります。思わず目をむけてしまう作品、不思議さと明瞭さという相矛盾するふたつの認識を見た瞬間に受け取ってしまう刺激的な作品を作り続けています。
 田中氏のつくる空間には、映像による時間感覚とモノによる物質感があります。物質感とは色・素材・形・重さなど、モノが存在することによって感覚される、その感覚そのものでしょう。時間と物質、このふたつの感覚が刺激される、知覚的な空間です。また、一度見たら忘れることができない独特のユーモアをもっています。
 田中氏の表現活動を、クロノロジカルな形式で紹介していただき、創造のプロセスや思考について解説していただきます。

■実施概要
会場:明治大学秋葉原サテライトキャンパス
東京都千代田区外神田1-18-13 秋葉原ダイビル601号室 
※JR秋葉原駅電気街口から徒歩1分
地図:http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html
入場:無料
定員:50名(先着順)
※両日ともに、開場は開始30分前(18時30分)からです。
お問い合わせ先:masaunozawa@hotmail.com (@を小文字にしてください)
宇野澤昌樹(ディジタルコンテンツ系修士課程1年)

かわなかのぶひろ
1941年東京生まれ。60年代初頭より映像制作を開始、68年<ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ>設立。69年<日本アンダーグラウンドセンター>を経て77年<イメージフォーラム>を設立、日本を代表する個人映画・実験映画作家として、また指導者として活躍。2006年、東京造形大学教授退任後も毎月新作を発表、作品数は90作品を超える。

田中功起(たなか・こおき)
1975年生まれ。主な展覧会に「国立新美術館開館記念展、20世紀美術探検」(国立新美術館)、「夏への扉」(水戸芸術館)、 「笑い展」(森美術館)、個展「Everything is everything」(広島市現代美術館)、「La Chaine」(BankART)、個展「Setting up and Taking down」(Palais de Tokyo)、「Spectacle and Situation」(Zentrum Paul Klee)、「Turning the Lights on」(Centre A)、台北ビエンナーレ06、光州ビエンナーレ08、釜山ビエンナーレ08など。作品集に『Koki Tanaka Works 1997-2007』(Akio Nagasawa Publishing Office、2007年)、『The End of Summer: Koki Tanaka』(大和プレス、 赤々舎、2008年)がある。

ピスタチオ

ピスタチオを食べるたび、この殻と銀杏の殻はどれくらいおなじ成分でできているのかなあと思う。そういうことは、どうやって調べるのかな、とも。

2009年1月26日月曜日

偶然

先週、西新宿に用があって、帰るのに山手通りを代々木八幡まで歩いた。代々木八幡社の前を通りながら、そういえばこの境内には入ったことがないなあと思いつつ、もう暗くなっていたので石段を上がることもなくそのまま帰った。

家に帰ってから『日曜日の随想・2007』という本を読んでいた。日本経済新聞の日曜随想を集めたもの。中にあった、平岩弓枝の「蜜柑」と題されたエッセーに、すっかり感心。ぼくは彼女の作品はまったく読んだことがない。文中に、自分が生まれたのは神職の家だとあるので、ちょっと気になってウィキペディアに聞いてみると、なんと彼女は当の代々木八幡の一人娘だった。

ウィキペディアの記述でもうひとつ学んだのが、日本女子大の卒業生である彼女が小説を学ぶのに師事したのは戸川幸夫だということ。あの動物文学の、日本における巨匠だ。

そこでもうひとつ、つながってくるのが、犬の研究家として知られた平岩米吉。「平岩」という姓の人は、平岩弓枝と、この人しか知らない。何か関係があるのだろうか。と疑問を抱くが、別にそれ以上調べようという気にはならない。そのうち、おのずから明らかになるときがくるだろう。

2009年1月25日日曜日

「ユリイカ」2009年2月号

雑誌「ユリイカ」の2月号は、特集「日本語は亡びるのか?」

小説家・水村美苗さんの話題の評論『日本語が亡びるとき』をめぐって、いろいろな人の論考が集められている。ぼくはエッセー「亡びてもいい、けれども」を寄稿。

同書を評価するにせよ批判するにせよ、一通り考えられる意見は出つくしているようだ。興味がある人は、『日本語が亡びるとき』とこの「ユリイカ」2月号を、必ずこの順に(!)読んでみてください。

2009年1月22日木曜日

サイエンス・ライターと人類学者

建築や物理や機械といった学科の同僚たちとのミーティングで、理工学部をより魅力的な場所にするために必要なことについての意見を求められた。ぼくの答えは、次の二つ。

(1)サイエンス・ライティングを必修にする。そのために、サイエンス・ライターをひとり専任として雇う。
(2)人類学者をひとり雇う。学部のプロジェクトとして、理工学部のエスノグラフィーを書いてもらう。

冗談のつもりは、まったくない。(1)では、科学の各分野がやっていることをよく理解し、研究の前線のおもしろい話題を誰でも共有できる言葉で書く練習をする。学生たちにしてみれば、自分の学科が知の全般的な地形の中のどこでどんな活動をしていて、それがどんな風に社会に関わっていくのかを説明できるようにするのは、自己認識のためにも未来への指針としても、非常に役に立つ。おまけに、日本語作文に関する訓練としても最適。

(2)はきっとおもしろいと思う。明治の理工でも150名の大所帯、分野は千差万別だし、研究室ごとのエートスもぜんぜんちがう。ひとつの私大の理工学部に、はたしてどれくらいの知的資源があるのか。お金はどう流れ、どんな成果が発表されてゆくのか。博士論文か単行本の2つや3つは、これを素材にして書ける。そして学部としてはこの人類学者を一種のコミュニケーターとして特任教授の枠で雇い、その間、授業はもたなくていいことにして代わりに毎週、理工学部の研究活動を広報してもらう。いい投資だと思うが、どうだろう。

サイエンス・ライティングのことは前から考えていて、それでこないだは台北にも行ったし、今年の新学年の総合文化ゼミのひとつはその方向(もっとも読むだけ)。そしたらおりしも、いま発売中の「中央公論」が大学の理工教育の危機みたいな特集を組んでいて、物理学者でサイエンス・ライターの竹内薫さんが寄稿していた。たとえば竹内さんのような人を「物理学科」ではなく「総合文化教室」の同僚に迎えることができるなら、理工学部はその分だけ確実におもしろくなるはず。

DC系を志望するみなさん、たとえば「サイエンス・ライティングの研究」や「理工学部のエスノグラフィー」は、立派な大学院の研究主題になります。興味がある人は、真剣に考えてみてください。

2009年1月21日水曜日

『非常線の女』

20日、ディジタルコンテンツ学研究会。映画研究の御園生涼子さんに「サスペンスと越境 国境を横断する文化・メディアの<近代性>」と題して、小津安二郎の『非常線の女』(1933年)と『その夜の妻』(1930年)という2本のサイレント作品の分析をうかがった。

おもしろかった。特に『非常線の女』でのレコード店での会話シーン、聞こえていないはずの会話が成立している場面のおもしろさを指摘されて、強い興味を覚える。「視覚のエスペラント」と呼ばれたサイレント映画が、トーキーに代わろうとするまさにその時期にのみありえたゆらぎ。

このころの小津はまだ20代! これからまとめて観ることにしたい。御園生さんにはこの春から理工学部の非常勤講師として英語を担当していただく。またいろいろ教わる機会ができるだろう。

『非常線の女』ではちんぴらのお姉さん役でギャングのジョージ(主人公)に惚れられる水久保澄子という女優がとてもいいが、彼女はこのあとあれこれトラブルがあって映画界を去ったらしい。むかしむかしの話は、まるでパラレルワールドの話みたい。

2009年1月18日日曜日

マリオ曼荼羅

17日、恵比寿のマジックルーム(新しいナディフの4階)で、田内マリオのドローイングとジェイクの即興ギターの共演パフォーマンスを体験。音と線の自然成長性をたっぷり味わうことができた。

マリオ曼荼羅のくにゃくにゃした白い線は、思いがけない展開を見せながら黒い紙面を埋めてゆく。植物の根が芽がのび、空気が渦を巻き、炎がゆれ、水が泡立つみたいに。ジェイクのギターも、2時間聴いててもぜんぜん飽きない。エフェクターの並びに興味があったので、あとで写真を撮らせてもらった。

マリオくんのマジックルームでのこのシリーズは、今年は毎月、全12回の開催を予定しているとのこと。

http://www.sukimaweb.com/mario-mandala/

未体験の人、ぜひいちどはどうぞ!

パフォーマンスが終わって、マリオくんはこうして曼荼羅を描くことを「祈りみたいなもの、ただし何かの神さまに祈るのではなく、行為自体に祈るような」と説明していた。

これはよくわかる。ある行為に対するdedicationには、つねにpiety がある。そこにはcredoがある。

かってハイデガーは、「何かにむかって祈るのではなく、ただ祈ることができるから祈る」という境地を語っていた。芸術のみならずすべての技芸において、真剣に何かにとりくんでいると必ずぶつかることになる問いだと思う。

2009年1月16日金曜日

台北

台北に行ってきた。24年ぶり。市内の科技大楼で開催されたサイエンス・コミュニケーションの学会に合わせていったのだが、飛行機の大幅な(日付が変わる)遅れのせいで、こちらにはほとんど参加できず。それでも展示の説明をうけ、素食(ベジタリアン)のお昼をごちそうになって、楽しくすごす。

この学会の主題は、要するに、科学の知の共有化・社会化をどうはたすか、というもの。専門知の迷路に入りこむのではなく、各分野の最新の研究成果を、安易な通俗化ではなく、しっかりとした理解に立って人々に知らせる。受け手のこっちはどんな分野に関してもまったくのしろうとだから、ともかく教わり、疑問を発する。

サイエンス・ライティングは非常に大切な分野だし、そこではオーディオヴィジュアルな提示のために、ディジタルメディアは不可欠。実際、われわれDC系の中でも、こうした分野に手を染める人がぜひ出てきてほしいものだと思っている。科学写真、森林や河川の変遷のシミュレーション、生態学的ドキュメンタリー制作、飛行や登山やカヌーのナヴィゲーション、考えられる展開はいくらでもあるだろう。

ディジタルコンテンツを中国語では「数位内容」というのだと、初めて知った。これは恥ずべき無知だった! 上記の学会、日本からは黒田玲子、渡辺政隆、佐倉統といった方々が基調講演者として参加。この顔ぶれからも、どんな問題意識に立って組織された会合かがうかがえる。

午後、国立政治大学コミュニケーション学部(伝播学院)の盧非易先生に案内されて、政治大学を見学した。台北市南東の山麓、動物園の隣にある広大な美しいキャンパス。こんな大学で学びたかった、と思うような環境だ。

同学部はジャーナリズム学科(新聞学系)、広告学科(広告学系)、テレビラジオ学科(広播電視学系)に分かれていて、その本格的な設備に目をみはる。テレビ制作のスタジオ、楽器の揃った録音スタジオ、本格的な舞台つきの階段教室、ずらりと並んだコンピュータ演習室、なんでもござれ。学生たちが運営するラジオ局、インターネットテレビ局、日刊の学生新聞などがあり、活気とやる気にみちているのが、よくわかる。

アメリカの大学ではあたりまえの姿だが、日本ではとてもここまでやっているところはないだろう。学部図書室もすごい。主だった雑誌は、関連各分野、大概そろっている。学部の図書予算が年間500万圓だというから、日本円にして1500万円は下らないだろう。教員ごとの推薦図書の棚があるのだが、半分以上は英語の研究書。学生たちもそれを当然と思っているので、みんなそれを借り出して勉強する。

盧さんは南カリフォルニア大学でテレビ番組制作や映像理論を学んだ人だが、いま手がけているのは科学関係のインタラクティヴな提示。CGによって人体解剖の手順を学べるシステムなどを、最近では作ってきたらしい。この春には東京にいらっしゃるというので、秋葉原サテライトキャンパスでちょっとした集いをもてたらと思っている。

このきっかけを作ってくれたのは、中国語の林ひふみ先生のところに毎週来ている、一橋の博士課程に留学中の黄さん。どうもありがとうございました。おかげでいろいろ、おもしろい展開につながりそうです。ひふみ先生は中国語世界の有名コラムニストだが、「新井一二三」というその名前を書いてみせると、盧さんもすぐにわかってくれた。中国語を学んだ日本人の歴史の中でも、中国語での著書が10冊を超え台湾でも香港でも大陸でも広く読まれている人なんて、空前絶後だろう。

用件が済んでから、台北の新名所、タイペイ101に。すさまじい高さ。ここの4階にある書店ページ・ワンは、近くのもうひとつの大書店エスライトと並んで、すごい品揃えだ。感心するのは、英語の本の品揃えのよさ。洋書コーナーとして独立させるのではなく、各分野の中国語書籍と隣り合わせに置いている。しかしその点数と内容では、東京の書店は(ジュンク堂でも紀伊國屋でも丸善でも)まったく太刀打ちできない。

台北はまた地下鉄とモノレールのシステムがよく整備されていて、どこでも簡単に自力で移動できるのがうれしい。

夜はシアトル時代の親友一家と、のんびり食事。さいわい、台湾には台北から高雄まで、各地に友人がいる。これからしばらく、何度でも出かけてゆくことにしよう。

2009年1月11日日曜日

冬のブラジル日?

日曜日。如水会館に行ってみたが、会場が小さくて人がぎっしり。あきらめて出る。ハンドアウトをもらったので、これで見当をつけることにしよう。外でイラン研究の鈴木均さんに会う。大学院時代の友人。イランをすみずみまで旅している人だ。また春休みにでも、ゆっくり話を聞きたい。

それから、やっと最終日寸前、現代美術館の「ネオ・トロピカリア」へ。ぼくの趣味でいうと、おもしろかったのはヴィック・ムニーズの砂糖写真、ホジェリオ・テガキのニット模様の油彩画。またリジア・パペの光と糸の彫刻(?)。

来るたびに思うのだが、この美術館は本当に設計が悪い。人の流れをまるで考えていない。これだけの規模の建物を作るんだから、もう少しどうにかならなかったものか。

ついで同時開催の森山大道、ミゲル・リオ=ブランコ写真展。タイトルが日本語では「共鳴する静かな眼差し」、英語ではA Quiet Gaze, Echoing Worldsとなっていて、ずいぶん意味がちがう。それはともかく、さすがに充実。森山がサンパウロを、リオ=ブランコが東京を撮るという趣向。リオ=ブランコはあいかわらずウーパールーパーだのフグだの、なまなましい生物が好き。森山は世界のどこに行っても森山大道で、GR21でばしばし撮りまくる姿勢のいさぎよさが、会場で上映されていたドキュメンタリーでもうかがえた。

白川清澄から表参道へ。ひさしぶりに青山ブックセンターに寄ると、ちょうど洋書バーゲンだった。書店イベントのたびにお世話になっている須藤さんに会う。なんと7割引きだというので、ついふらふらと大きな写真集を買ってしまう。ラルフ・ギブソンのBrazil (Damiani, 2005) は、さすがにうまい。プロ中のプロ。が、「どんな写真でも撮れる」という感じが、ちょっと強すぎるかも。

そして人工衛星から見た世界各地の山岳写真集Mountains from Space (Abrams, 2005)を。これはすごい。アルプスもアンデスもハワイも、ジオラマに見える。恐ろしい光景だ。あとは野生のイヌ科動物の子たち(狼、コヨーテ、各種キツネなど)の小さな写真絵本。狼の子は目が青いのに、成長するにつれて金色に変わるというのに興味を覚えた。

と道草を食っているうちに、いつのまにか日没。今週はこれから忙しくなる。

2009年1月10日土曜日

次回のDC研

1月のディジタルコンテンツ学研究会は、20日(火)に生田キャンパスで開催します。

講師は映画研究の御園生涼子さん。
主題は小津安二郎のサイレント時代の作品『非常線の女』と同時代のハリウッド映画について。
時間は16時から。場所は中央校舎のスタジオ教室です。

学外の方も、お気軽に遊びにきてください。

ガザを想像するために

外語大の研究者たちによる、イスラエルのガザ侵攻を考える緊急集会が開かれます。できるかぎり、ぼくも行ってみたいと思っています。


緊急集会「イスラエルによるガザ侵攻を考える」

昨年12月27日にイスラエル軍が開始したガザ地区への攻撃が激しさを増しています。1月3日からは地上侵攻も始まり、6日現在でパレスチナ側には600人を超える死者と3000人近い負傷者が出ています。パレスチナにおけるこの事態を受けて、東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクトでは緊急ワークショップを開催します。中東地域・パレスチナに長年関わってきた学内外の研究者を中心に、今の状態を招いた背景と今後の展望、訴えていくべき内容や取るべき行動について考えます。 皆様のご来場をお待ちしております。

日時 1月11日(日) 11:00 ~ 14:00(11時開場、11時15分開始)
会場 如水会館 1階 如水コンファレンスルーム(参加費:無料、最大100名まで)
東京都千代田区一ツ橋2-1-1(Tel 03-3261-1101(代))
アクセス http://www.kaikan.co.jp/josui/company/access.html
・地下鉄東西線 竹橋駅下車 1b出口 徒歩4分
・地下鉄半蔵門線・三田線・都営新宿線 神保町下車 A8・A9出口 徒歩3分

講演者

酒井啓子(東京外国語大学・教授)
臼杵陽(日本女子大学・教授)
川上泰徳(朝日新聞・編集委員)
飯塚正人(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・教授)
黒木英充(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・教授)
山本薫(東京外国語大学・助教)
錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・非常勤研究員)

問合せ先
東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクト事務局
Tel &Fax 042-330-5568/5618

『ダンシング・ヴードゥー』終了

佐藤文則さんの写真展が9日(金)、最終日を迎えた。

冷たい雨の一日だったが、文学部の越川芳明さんが学生たちと一緒に訪れてくれて、さらに編集者の長谷川さんも加わり、いい締めくくりになった。

午後7時から、佐藤さん、宇野澤くん、鬼丸さんとともに撤収作業。ぼくはほぼ見てただけで、すみません。過ぎてしまえば短い展示期間だったけど、強く記憶に残る、いい展覧会になったと思う。

片付けながら、これを沖縄でもやりたいね、と話していた。北海道や東北でも展示してみたい。興味のある方は、佐藤さんご本人にでも、ぼくにでも、お気軽にご連絡ください。

越川さんはキューバのサンテリアに夢中になっているところ。サンテリア、ヴードゥー、カンドンブレ。こうしたアフロ=クレオール宗教の共同研究をやってみるのも、おもしろそうだ。そのときにはブラジルの逃亡奴隷の村でパーカッション修行を続けてきた翁長巳酉さんにも加わってもらおう。

そして今年は、今年の企画にむかって。

2009年1月7日水曜日

そしてガザはいま

ガザ地区でのパレスチナ人の死者は635人に達した。朝日コムからの引用。

「イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの地上攻撃は6日も続き、人口が密集している北部のガザ市を包囲、イスラム過激派ハマスとの本格的な交戦状態が続いている。それに伴い生活基盤の破壊や民間人の犠牲も相次ぎ、多くの住民が絶望的な状況に追い込まれつつあるようだ。AFP通信は、空爆開始からの犠牲者数は635人に達し、そのうち160人以上が子どもだと伝えている」

「大勢の民間人が巻き添えで殺されている模様だ。AP通信によると、ガザ市では5日、ミサイル爆撃で母子5人が死亡。AFP通信は、ガザ市南部のゼイトゥン地区への空爆で6日、一家12人が殺され、うち7人は子どもだったと伝えている」

わずか360平方キロの土地が、完全に囲い込まれ、それを封鎖している強大な軍事国家からの、すさまじい攻撃を受けている。

ふたたびイスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスの報告を、「エスペランサの部屋」(http://esperanzasroom.blogspot.com/)から引用。

「60万人から70万人のガザ住民が、水のない状態におかれている。なかには、そんな状態が1週間も続いている人たちもいる。/約100万人が停電下にあり、汚水がそのまま通りを流れる場所もあちこちに見られる。とくにガザ地区北部では汚水が溜まって氾濫する危険が高まっている。/修理しようにも、砲撃と道路状態の悪化のために、修理人が駆けつけられない。携帯電話も地上電話も、ガザ地区のネットワークは、空爆と電力不足のために深刻なダメージを受けてしまった。次第に、ガザ住民は親戚や地方当局、救援、救急の連絡先に電話する手段がなくなってきて、孤立感とパニックが高まっている」

なんとかならないのか、なんとかできないのか。イスラエルには、ただちに軍事行動を中止してほしい。

Nekoten

能登半島七尾市の能登島は、その不思議な地形のせいで以前から行ってみたいと思っている土地。その海岸に、案山子窯という陶芸の工房がある。

http://kakasigama.com/index.html

そこで現在、山田緑さんの絵画展Nekotenが開催されている。

緑さんは、ぼくが翻訳したエイミー・ベンダーの『私自身の見えない徴』のカバー絵を描いてくれた人。おなじく、文庫版の『燃えるスカートの少女』の表紙絵も。

じつは案山子窯は、緑さんのご実家なのだ。

いつかDC系の体験旅行として、窓からイルカが泳ぐのが見える、この不思議な工房に行ってみたいもの。手を動かす、モノにふれる、その経験があってこそ生きてくるのがディジタル情報の世界だ。

2009年1月5日月曜日

年の初めに

ゼミ初め、といっても授業は8日からで、きょうは生田に集まってみんなでだらだらとビデオを見た。参加者は、宇野澤、パコ、伊藤、昂陽。終了後、例によって味良で新年会。

見たのは市川崑の『ビルマの竪琴』。1956年版と1985年のリメイクを、続けて。最大のちがいは、なんといっても、白黒かカラーか。ビルマの赤い土が言葉で表現されるか、実際に映されるか。あとは「現地」の人々の顔と風景の描写。

だが、それでもやはり1956年版のほうが圧倒的に優れている。テレビが覇権を握って以後の時代の映画は、何よりも俳優たちの演技が妙に軽くなり、演出が全般的に妙にわかりやすく、説明過剰になっている。これは1960年代後半以降の映画の一般的な傾向だが、テレビ局が製作に関与しているこの1985年版では、それがいっそう感じられる。

映画の基本は省略と飛躍にあった。テレビは桁違いの視聴者を念頭に置くせいか、いちいち説明的、循環的に過ぎることが多い。映画史研究の専門家には、このへんをうまく説明してくれる人がきっといるにちがいない。

それはともあれ、今年も修士課程のみんなにはバカみたいに勉強してほしい。

2009年1月3日土曜日

ガザ空爆1週間

ガザ地区へのイスラエルの空爆が一週間を迎え、パレスチナの死者は425人に達した。その多くが、別にハマスを支持しているわけでもなく、その多くが、戦闘とは無関係な子供たちだ。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090102-OYT1T00290.htm?from=top

イスラエルには空爆の即時停止を求めたい。国連による調停以外のシナリオは今後どこまでいってもありえないのだから、力を誇示するための殺人をただちに辞めて、第三者の介入を(それがサルコジのフランスであっても)受け入れてほしい。

とにかく、殺すな。殺すな。引き延ばされた攻撃のあいだに死ぬ者の身にもなってくれ。

それが遠い土地の、自分とはまるで無関係な人々の命であり、想像するにもなんの手がかりもないと思う人は、たとえばここでイスラエル人のジャーナリスト、アミラ・ハスの現地からのレポートを読んでみてください。

http://esperanzasroom.blogspot.com/

世界に、めちゃくちゃなことは、身近にも、遠くにも、限りなく起きている。そのすべてに関わることは、誰にもできない。「関係/無関係」の見極めは、それ自体、残酷で身勝手で非常にイヤなことだ。それはそうだけれど。

いうべきことは全方位的にたくさんあるだろうけれど、いまは。

イスラエルよ、ガザ地区への空爆をただちに停止してください。