一昨日の東京新聞掲載の書評が、もう「中日ブックウェブ」で読める。
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2009032903.html
スティールパンみたいに本を鳴らそう!
Tuesday, 31 March 2009
閉店
ひさびさに成城学園前に寄ったら、江崎書店がきょう3月31日をもって閉店とのこと。1974年開店。さほど大きくないが、土地柄か、文芸関係が充実した書店だった。
さほど大きくないといっても、大岡昇平先生の『成城だより』には「駅の向こうの大書店」として出てくる。文豪の散歩の目的地だった。
ちょっと残念。もっとも成城でいちばん残念だったのは、もうずいぶんまえ、栄華飯店が店じまいしたとき。鶏そばが最高にうまかった。大江健三郎先生の作中、イーヨーとその父親がパーコータンメンを食べにゆくのはこの店。
どんな店も、たぶん20〜30年の生活環でその寿命を終えていく。つまりはヒトの生物学的世代という枠を超えられないわけか。
さほど大きくないといっても、大岡昇平先生の『成城だより』には「駅の向こうの大書店」として出てくる。文豪の散歩の目的地だった。
ちょっと残念。もっとも成城でいちばん残念だったのは、もうずいぶんまえ、栄華飯店が店じまいしたとき。鶏そばが最高にうまかった。大江健三郎先生の作中、イーヨーとその父親がパーコータンメンを食べにゆくのはこの店。
どんな店も、たぶん20〜30年の生活環でその寿命を終えていく。つまりはヒトの生物学的世代という枠を超えられないわけか。
Sunday, 29 March 2009
高崎旅行
またまた最終日になってしまったが、意を決して朝早く出て、高崎まで行ってきた。群馬県立近代美術館へ。田中功起さんの展示を見るため。
高崎は初めて。遠近の山々がふんだんに見えて、いいところだ。地形的には大好き。山腹を走る雲の影がいい。
田中さんのセクションは『たとえばここ最近の作品をすこし違ったかたちでみせること』と題されている。「たまたま小さな椅子を持ちながら深夜の森を5時間歩いた」(ポスター)ほかのある小さな部屋から見始める。おもしろい。「そうして群馬県立美術館にたくさんのたらいが落ちる」は、くりかえされる映像の音声がしだいに波音に聞こえてくる。ぼくが勝手に「食パン飛ばし」と呼んでいるシークエンスを含む大好きな「シンプルなジェスチュアとその場かぎりの彫刻」や、ちょっと不気味な「手の中のモンスター」など、楽しめるものばかりだった。
他に展示されていた数人の作家の中では、2点あった丸山直文さんの絵にひかれる。この感じ、知っているなあ、と思いつつ、何に似ているのかをいいあてることができない。ある絵は、絵を見たとき、ああ自分も描いてみたいなあ、という気持ちを駆り立てる。もちろん、なんの技もないので、できるはずがないのだが。しかしたとえばスポーツ選手の動きが、その模倣を誘発するように、絵だって音楽だって、そういうところがあるだろう。
奥の部屋ではヨーゼフ・ボイスにささげられた、荒川修作ほかの人たちの版画作品特集。さらに奥の部屋ではスタン・アンダソンによる大がかりなインスタレーション「東西南北 天と地 六合の一年」。これも充実していた。12月に公開制作をやっていたようだが、くればよかった!
森の倒木や、さまざまな動物の死骸を集めてきて、群馬県六合村の森のコスモロジーを再現しようとするもの。毛皮、骨、ミイラとなった動物たちが、ここで新たに場所を与えられて、美術館の無記の空間を、ふたたび森にしようとしている。かれらの霊をなぐさめる祭壇。木々が強い。
六合は「くに」と読むそうだ。まさに四つの方位と上下が加わった、六つの方位線が交錯する地点。それがクニ。拾われた自然素材だけのこの「彫刻」は、いうまでもなくデイヴィッド・ナッシュなんかの試みにまっすぐつながってくる。(実際、アーティストはナッシュと親交があるようだ。)
そしてナッシュは、ルドルフ・シュタイナーを介して、ボイスに。こうしてアートの試みも、あちこちでやがてはすべてがつながってくる。やること、やられたこと、考えること、考えられたことが、人の手を離れたあとで、勝手に接続を探しはじめるのがおもしろい。
高崎は初めて。遠近の山々がふんだんに見えて、いいところだ。地形的には大好き。山腹を走る雲の影がいい。
田中さんのセクションは『たとえばここ最近の作品をすこし違ったかたちでみせること』と題されている。「たまたま小さな椅子を持ちながら深夜の森を5時間歩いた」(ポスター)ほかのある小さな部屋から見始める。おもしろい。「そうして群馬県立美術館にたくさんのたらいが落ちる」は、くりかえされる映像の音声がしだいに波音に聞こえてくる。ぼくが勝手に「食パン飛ばし」と呼んでいるシークエンスを含む大好きな「シンプルなジェスチュアとその場かぎりの彫刻」や、ちょっと不気味な「手の中のモンスター」など、楽しめるものばかりだった。
他に展示されていた数人の作家の中では、2点あった丸山直文さんの絵にひかれる。この感じ、知っているなあ、と思いつつ、何に似ているのかをいいあてることができない。ある絵は、絵を見たとき、ああ自分も描いてみたいなあ、という気持ちを駆り立てる。もちろん、なんの技もないので、できるはずがないのだが。しかしたとえばスポーツ選手の動きが、その模倣を誘発するように、絵だって音楽だって、そういうところがあるだろう。
奥の部屋ではヨーゼフ・ボイスにささげられた、荒川修作ほかの人たちの版画作品特集。さらに奥の部屋ではスタン・アンダソンによる大がかりなインスタレーション「東西南北 天と地 六合の一年」。これも充実していた。12月に公開制作をやっていたようだが、くればよかった!
森の倒木や、さまざまな動物の死骸を集めてきて、群馬県六合村の森のコスモロジーを再現しようとするもの。毛皮、骨、ミイラとなった動物たちが、ここで新たに場所を与えられて、美術館の無記の空間を、ふたたび森にしようとしている。かれらの霊をなぐさめる祭壇。木々が強い。
六合は「くに」と読むそうだ。まさに四つの方位と上下が加わった、六つの方位線が交錯する地点。それがクニ。拾われた自然素材だけのこの「彫刻」は、いうまでもなくデイヴィッド・ナッシュなんかの試みにまっすぐつながってくる。(実際、アーティストはナッシュと親交があるようだ。)
そしてナッシュは、ルドルフ・シュタイナーを介して、ボイスに。こうしてアートの試みも、あちこちでやがてはすべてがつながってくる。やること、やられたこと、考えること、考えられたことが、人の手を離れたあとで、勝手に接続を探しはじめるのがおもしろい。
Saturday, 28 March 2009
塩田千春/われわれの36年の遅れ
去年、見逃して、しまったなあ、と思っているのが、大阪の国際美術館での塩田千春の個展。それと同時期に神戸芸術工科大学で彼女が行なった特別講義が、このたび本になって出版された。『塩田千春/心が形になるとき』(新宿書房)。すばらしい。驚くべき言葉が、全ページをみたしている。
なかでも気に入ったのが、彼女がドイツの美術大学で受けていた、旧ユーゴスラヴィア出身のパフォーマンス・アーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチの授業の強烈なエピソード。以下、引用。
「彼女の授業というのは断食授業でした。男女クラス合わせて一五人くらいを連れて、北フランスのお城へ住み込み、一週間断食するという授業がありました。水を飲むことだけが許されて、生徒たちは話すことも禁止されました。一週間毎日何をするかというと、無言で向き合ったり、自分の名前を一時間かけてゆっくり書く。湖の周りを一日中歩く。毎日六時くらいに起きて一二月の雪の中を裸になって外へ出て、叫びながらジャンプする、そういった授業を毎日繰り返しました」
これは苛酷! しかしそうでもしなければ、自然界の物質循環の一環としての自分に目覚めることはないにちがいない。
DC系の授業でも、せめていちど、新宿から小田原まで通しで歩くというのをやってみたい。70キロとして、18時間で着くだろう。休みなしでやっても、別に死ぬほどのことではないだろう。授業というか、大学院の入試をこれにしたら? (その後、調べたら、小田急の線路が新宿=小田原で82・5キロ。いずれにせよ、休み休みで、24時間歩くつもりなら。)
自然界における自分の物質的な位置、人間世界における自分の歴史的な位置、そうしたことを身にしみてわかるかどうかはともかく(ぼくもまだ本当にはぜんぜんまったくわかっていないけれど)、そういった問題設定があることすら思ってもみないようでは、何が大学生、大学院生だ、と思う。
いま、猛烈な焦りを感じるのは、われわれの大学のあまりの前世紀性。たとえば1973年の段階でヨーゼフ・ボイスたちが構想していた自由国際大学の理念から見ても、いったいわれわれは何をやっているのかと思う。
ボイスたちにとって大学とは
「第一に無関心、馴れ合い、煽動、戦争、暴力、環境破壊によって埋もれさせられた<生きることの価値>をふたたび活性化させるものであり、しかもそれらは教える者と学ぶ者たちとが相互に創造的に入れ代わることによって実現されるものであった。講義計画には純粋な専門分野としての芸術と並んで、つぎのような<仲介的な分野>も採り入れられた。たとえば、認識論、社会行動学、連帯論、批評の批評、芸術批評、言語理論、知覚理論、修辞論、舞台装置、パフォーマンスといった分野である。さらにエコロジーと進化論の研究所も計画された」(ハイナー・シュタッフェルハウス『評伝ヨーゼフ・ボイス』山本和弘訳)
これから見て、われわれは正確に36年遅れている。こんなことでいいのか。
この評伝には、さらに次のような一節もあった。
「継続して教えることが重要なのだ、とボイス自身が語っているとおりに、ボイスは土曜日もゼメスターがない休暇のときも、毎日大学に顔を出していた」
これは心がけたいこと。まもなく「猿楽町校舎」(旧明治大学付属明治高校)が使えるようになったら、音楽スタジオも制作用アトリエも備えたそこを拠点に、DC系独自の芸術工学的方向性を追求することにしよう。
なかでも気に入ったのが、彼女がドイツの美術大学で受けていた、旧ユーゴスラヴィア出身のパフォーマンス・アーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチの授業の強烈なエピソード。以下、引用。
「彼女の授業というのは断食授業でした。男女クラス合わせて一五人くらいを連れて、北フランスのお城へ住み込み、一週間断食するという授業がありました。水を飲むことだけが許されて、生徒たちは話すことも禁止されました。一週間毎日何をするかというと、無言で向き合ったり、自分の名前を一時間かけてゆっくり書く。湖の周りを一日中歩く。毎日六時くらいに起きて一二月の雪の中を裸になって外へ出て、叫びながらジャンプする、そういった授業を毎日繰り返しました」
これは苛酷! しかしそうでもしなければ、自然界の物質循環の一環としての自分に目覚めることはないにちがいない。
DC系の授業でも、せめていちど、新宿から小田原まで通しで歩くというのをやってみたい。70キロとして、18時間で着くだろう。休みなしでやっても、別に死ぬほどのことではないだろう。授業というか、大学院の入試をこれにしたら? (その後、調べたら、小田急の線路が新宿=小田原で82・5キロ。いずれにせよ、休み休みで、24時間歩くつもりなら。)
自然界における自分の物質的な位置、人間世界における自分の歴史的な位置、そうしたことを身にしみてわかるかどうかはともかく(ぼくもまだ本当にはぜんぜんまったくわかっていないけれど)、そういった問題設定があることすら思ってもみないようでは、何が大学生、大学院生だ、と思う。
いま、猛烈な焦りを感じるのは、われわれの大学のあまりの前世紀性。たとえば1973年の段階でヨーゼフ・ボイスたちが構想していた自由国際大学の理念から見ても、いったいわれわれは何をやっているのかと思う。
ボイスたちにとって大学とは
「第一に無関心、馴れ合い、煽動、戦争、暴力、環境破壊によって埋もれさせられた<生きることの価値>をふたたび活性化させるものであり、しかもそれらは教える者と学ぶ者たちとが相互に創造的に入れ代わることによって実現されるものであった。講義計画には純粋な専門分野としての芸術と並んで、つぎのような<仲介的な分野>も採り入れられた。たとえば、認識論、社会行動学、連帯論、批評の批評、芸術批評、言語理論、知覚理論、修辞論、舞台装置、パフォーマンスといった分野である。さらにエコロジーと進化論の研究所も計画された」(ハイナー・シュタッフェルハウス『評伝ヨーゼフ・ボイス』山本和弘訳)
これから見て、われわれは正確に36年遅れている。こんなことでいいのか。
この評伝には、さらに次のような一節もあった。
「継続して教えることが重要なのだ、とボイス自身が語っているとおりに、ボイスは土曜日もゼメスターがない休暇のときも、毎日大学に顔を出していた」
これは心がけたいこと。まもなく「猿楽町校舎」(旧明治大学付属明治高校)が使えるようになったら、音楽スタジオも制作用アトリエも備えたそこを拠点に、DC系独自の芸術工学的方向性を追求することにしよう。
Friday, 27 March 2009
「東京新聞」3月29日(日)
こんどの日曜日の「東京新聞」に、アール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房)の書評を書きました。カリブ海、カリプソとスティールパンの島からやってきた、ポストコロニアル小説の傑作。中村和恵さんの訳文と訳注が、感動的なできばえです。
東京新聞は1部100円! ぜひ買って読んでみてください。もちろん、みすずの訳本もね。
東京新聞は1部100円! ぜひ買って読んでみてください。もちろん、みすずの訳本もね。
Thursday, 19 March 2009
メールという地獄、一種の
電子メールを日常的に使うようになったのは、ぼくの場合、1995年ごろ。いまでは日々、これが外部とのコミュニケーション手段になっている。
電話はそれで時間が途切れるのがいやだし、メモをとる必要がないという利点があるので、もっぱらメールに頼ってきた。でもそろそろ、イヤになってきた、正直なところ。
たとえばきょうはジャンクメールをすべて捨てたあとの、実質のあるメールが36。すぐ返事を書かなくてはならない用件が、20いくつか。3行以上は書かないという原則をほぼ守っても、1時間は絶対にかかっている。ぼくなんてけっしてそうそう忙しいほうであるはずがないのだから、この世には毎日100以上のメールを読む人も、50以上のメールを書く人も、ざらにいるにちがいない。
かといって、コミュニケーションを遮断するわけにもいかない。携帯電話をもっていないので、気がつくといつのまにか、自分から電話をかけることはまったくなくなってしまった。大学生のころは友人たちとよく夜中に電話でえんえんと話したりしていたのも、いまから思うと嘘みたいだ。もともと筆無精だし、案外、「イエ電」にもっぱら頼っていた段階が、いちばん日常的コミュニケーションとしては充実していた時代だったのかも。
電話はそれで時間が途切れるのがいやだし、メモをとる必要がないという利点があるので、もっぱらメールに頼ってきた。でもそろそろ、イヤになってきた、正直なところ。
たとえばきょうはジャンクメールをすべて捨てたあとの、実質のあるメールが36。すぐ返事を書かなくてはならない用件が、20いくつか。3行以上は書かないという原則をほぼ守っても、1時間は絶対にかかっている。ぼくなんてけっしてそうそう忙しいほうであるはずがないのだから、この世には毎日100以上のメールを読む人も、50以上のメールを書く人も、ざらにいるにちがいない。
かといって、コミュニケーションを遮断するわけにもいかない。携帯電話をもっていないので、気がつくといつのまにか、自分から電話をかけることはまったくなくなってしまった。大学生のころは友人たちとよく夜中に電話でえんえんと話したりしていたのも、いまから思うと嘘みたいだ。もともと筆無精だし、案外、「イエ電」にもっぱら頼っていた段階が、いちばん日常的コミュニケーションとしては充実していた時代だったのかも。
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