2008年1月28日月曜日

パラオを思い出して

日曜日の最終日、またまた駆け込みで世田谷美術館に行ってきた。千歳船橋から環八沿いに歩いて25分くらい。展覧会は『パラオーーふたつの人生』と題されている。夭折した作家の中島敦と、画家で詩人の土方久功(ひじかた・ひさかつ)のパラオ滞在に焦点を充てた、非常に充実した、感動的な展覧会だった。

中島敦は、ぼくは中学生のころからのファンで、全集ももっていたが大学時代のある日、血迷って古本屋で売ってしまったのが悔やまれる。端正な文章、まっすぐ刺さる主題、その彼の本格的な作家生活がわずか8ヶ月だったとは驚きだ。この展覧会では、何よりその字のうまさが目立つ。自筆原稿をファクシミリした『弟子』を、つい買ってしまった。お習字のお手本にします。また日本に残してきた幼い息子に宛てた葉書の数々もほほえましい。息子からの手紙の誤字を叱る手紙などは、なんという教育パパかと驚く。そして、30歳で死んだ。南洋に行かなければもっと長生きしたかも、と思う人も多いだろうが、それは意味のない仮定。

土方については、学生時代から興味をもっていたが、特に追求することもなかった。著作集も手にとったことがなかった。今回、彼の絵を、彫刻を、詩を、書簡を見ると、ぐっとくる。彫刻がすばらしい。四本指でしっぽのある平行人類としかいいようのない二人が抱き合う作品など、驚くべき力強さ。猫と犬のあいのこみたいな「猫犬」の愛らしさ。そして詩がすばらしい。詩人の詩ではなく画家の詩だが、直截的な力のある、すなおな言葉が続く。そして日記では、9歳下の敦のことを弟のようにかわいがるまなざしが、なんとも温かい。

土方の詩にあった。言葉は忘れたが、自分が歩んできたこの道は結局、自分だけのためにあったもの、という内容。アーティストの道は、そのとおりだろう。自分の論理だけを追求し、他には目もくれない道。アーティストじゃなくても、ほんとうはそんなふうに生きたいのに、ついつい他人本位になってゆく。「自分本位」という、漱石がこだわった言葉を、たまには思い出したいもんだ。

武藤政彦という人の「ムットーニのからくり書物」も印象に残った。ジオラマ狂いの少年が成長し、文学作品の一部をマルチメディアの電気紙芝居的作品として構成する。楽しい、楽しい。「自動人形師」というそうだ。いままで知らなくて、バカだった!

もう少し早く見ておけば、みんなに勧めることもできたなあ。これから、できるだけ、そうする。美術館。たまには出かけてみよう、排気ガスの雲の中を歩いてでも。

2008年1月26日土曜日

金曜午後に駆け足で

午前中に大学の仕事をひとまず切り上げ、そのまま東京方面へ。丸善にちょこっと寄ったあと、銀座のキャノンギャラリーで中野義樹さんの写真展「Moments paisibles」を見る。一日の時間の推移と人々のライフサイクルを重ね、それが雨上がりの光により希望につながり、最後の「裏側から見た時計」でしめくくられるという構成。

最後の一枚だけがカラーで、これが効いている。中野さんとは文芸雑誌「すばる」の仕事で昨年ご一緒した。長い年月を重ねて、ある都市(もちろんその名は明らかなんだけど表には出ない)への訪問をくりかえし撮りためた写真から選ばれたものだ。「その街」から、ぼくもずいぶん遠ざかっている。また行ってみたいものだ。

ついで日比谷まで歩き、地下鉄で白金台へ。東京都庭園美術館で土曜日からはじまる「建築の記憶」の内覧。われわれは、実際にそこにいけない以上、建築の大部分を写真として体験している、という当たり前だが本質的な事実。すると現代建築も、100年前の建築も、写真によりおなじ平面に並ぶ。

非常に興味深く充実した展覧会だ。石元泰博さんの写真にぐっとくる。今年でもう80代後半だが、いまも毎日写真を撮り続けておられるようだ。畠山直哉さんの「アンダーコンストラクション」がDVDのスライドショーとして公開されていて、びっくり。これは市販されるなら欲しいなあ、写真集はもちろんもってるけど。でも発売されることは、ない。鈴木理策さんが雪の青森県立美術館を撮った連作も印象的。こうなると、現物も模型もない。青森犬に雪が積もり、奇妙な帽子をかぶったかたちになっていて、おもしろい。

そのまま夕闇迫る中を歩いて恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館。3階の「土田ヒロミのニッポン」、2階の「スティル/アライヴ」、地下1階の「文学の触覚」を続けてみる。「ニッポン」では現代も残る奇怪な習俗のための扮装のでっかいパネルがおもしろい。

2階では屋代敏博という人の「回転回」というプロジェクトがクレイジーでおもしろかった。地下では、先日ディジタルコンテンツ学研究会に来ていただいたドミニク・チェンさんも参加しているDividualの作品展示を見ることができた。それと印象的だったのは、入り口近くにあった石井陽子「情報を降らせるインターフェース」。自分の掌に短歌の文字が、光が、降ってくる。そして終り近くにあった児玉幸子のモルフォタワー。回転するドリル状のものにどろどろした黒い油がからみ、もちあげられ、また流れ落ちて、作り出す気持ち悪いパターンに不思議な美しさ。油みたいなものは「磁性流体」なのだそうだ。砂鉄混じりの油みたいなものか?

みんないろんなことをやってるなあ。こうして駆け足のあとは駆け足で満員電車に乗り込み、帰宅。山手線の内側に住めば便利にちがいないと思うが、密度が。むかしの江戸は、いまの感覚からすると森閑とした、すばらしい都市だったにちがいない。そしてそれも、わずか百五十年ばかり前のことだ。

2008年1月20日日曜日

Chabrol/chabrot

辞書はほんとうにおもしろい、知識の宝庫、無限の啓蒙の源泉だ。何の気なしに仏和辞典(小学館プログレッシブ)を開くと、こんな記述があった。単語はchabrol あるいはchabrot。「地域」という但し書きのもとに、こうある。「(フランス南西地方の)シャブロル、シャブロ」そしてそれは「皿に残ったスープに赤ワインをついで飲むワインスープ」なのだそうだ。

へえ。これから雪が降ろうかという今夜、それを聞くと、それだけでぽかぽか温まるような話。

そういえば幼いころ、祖父母が煮魚を食べたあとの骨と煮汁に熱湯を注いだものを「ぜんもんじる」と呼んでいたのを思い出す。子供のころは好きでもなかったが、だんだんそういう味もいいと思うようになってきた。成長してしばらくして、ある日突然、それが漢字をあてるなら「禅門汁」なのだということに気づいた。つまり禅寺の修行僧たちみたいな、つつましいスープということか。

シャブロルのほうにはそんなアスケーシス(節制、苦行)の含意はまったくなさそうで、何かまったくの楽しみの領分にあるような気がするが、どうなんだろう。そして映画監督のクロード・シャブロルは、この簡単な料理とどんな関係があるのか?

さあ、夜半からの雪を待とう。

2008年1月10日木曜日

倉石さんの仕事

この春から開設する大学院ディジタルコンテンツ系のために、写真史/美術史の専門家としてお迎えしたのが倉石信乃さん。元は横浜美術館のベテラン学芸員で、2007年度から明治理工の同僚になっていただいた。

倉石さんの活動からも、目が離せない。DC系に進学を希望しているみなさんで写真に興味がある人は、倉石さんの写真史関係の授業と、北島敬三さんの「写真家としての写真論」の授業を、ぜひ組み合わせてとってください。

暮れにはニューヨークで巨匠中の巨匠ロバート・フランク氏に会ってきた彼、18日には東京都写真美術館で開催中の「土田ヒロミのニッポン」展のために、土田ヒロミさんとの対談を同美術館でやるそうだ。

詳細は倉石さんのブログから。

http://fiatmodes.blogspot.com/

現代写真の最前線にふれつづけるためには、最高の情報源です。

また土田ヒロミさんのホームページの扉にある作品「Ageing」は必見!

http://www.hiromi-t.com/ageing/06.ageing.html

時間を凝縮するとこうなるのか。

2008年1月7日月曜日

音楽など

うちのそばのCD屋さんが、今月いっぱいで店じまいすることになった。大学に入ってこの町に引っ越してきたころから30年のつきあいだったので、なんか悲しい。小学校のそばの老舗の文房具店も、昨年末に店じまい。うちの犬が遊びにいってはカウンターのわきにすわり「店長」を務めていた店なので、非常に悲しい。大規模店舗やネット販売とともに、小売業界は激動をつづけている。

CD屋さんは、典型的なパパ=ママ店舗。むかしはもちろん「レコード屋」だった。いろんなLPを買った。いろんなCDを買った。バイト代が入るたび! 節約を重ねて! でもいつのまにか、CDを買うのはぼくと同世代の層までだけになってしまった。お店はこれではやっていけない。

その一方で、去年はYouTubeのおかげでいろいろ音楽を楽しめたことは何度もいった。いくつか、去年の発見を記しておこうか。

まず、衝撃的な「ヨイトマケの唄」
http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg

ついで「正調・五木の子守唄」
http://www.youtube.com/watch?v=k7Jl_XBuXSA&feature=related

モントリオールのギタリスト、エリック・モングレイン
http://www.youtube.com/watch?v=9Sxdg7RQ7cs

メキシコのギター・デュオ、ロドリゴとガブリエラ
http://www.youtube.com/watch?v=vNc5o9TU0t0

こうしたすべてをYouTubeで知り、音質も画像もけっしてよくないけれど、それなりにわくわくさせられ、楽しむことができた。

音楽でも文学でも、長いあいだそれを「商品」として知るのがあたりまえだった。いまもそれらは「商品」のパッケージのもとに送り出され、流通する。でもその中から、お金のやりとりをともなわない部分も飛躍的にふくらんでいる。

もうCDも本も買わないかも。

2008年1月3日木曜日

さあ、新年

あけましておめでとうございます。いよいよこの春から大学院の新しいプログラムが始動する。まだいくつか、準備を進めておかなくてはならない。第2期入試は2月28日です。映像、音楽、デザイン、ウェブ関係のあれこれに興味があるみなさん、ぜひアキバを本拠地とするディジタルコンテンツ系に来てください。

今年の大きなテーマは「整理整頓」。何がどこにあるのか、ほんとにわからなくなってきた。本なんか、見つかれば運がいいという程度。暮れには二十年間見たこともなかった本がごろごろ出てきて、呆然とした。段ボールにつめているかぎり、本は地下の埋蔵金みたいなもんだ。

はっきりいって、もう二度と本を買わなくても、たぶん生涯、読むものには事欠かない。逆にいうなら、「さて、この本を熟読するぞ!」という過去の自分の約束を、それだけはたしていないということになる。

これからは、昔からもってて読んでない本、わかってない本を、何度でも手に取ることを中心に考えたい。これは別にDC系とは関係ない決意だが、言語記号の並びをまるごと把握するという作業は、いまでも構想力にいたる唯一の道だ。DC系の基礎作業は「読書」です。

そしてぼくの場合、埋もれた本を棚に出し空気にあて、金槌やのこぎりや鉋を手入れするように、よく手入れしていつでも使える状態にしたいと思う。

結局、読み書きも手仕事。逃れるすべはない。