Sunday 17 June 2007

メディア教育(テレビ編)

いつかも書いたとおり、ぼくはほとんどテレビを観ない。テレビ番組の大部分は、情報の集約度が低くてまどろっこしいし、美しくないからだ。だがきょうは疲れていて、夜しばらくテレビに見入ってしまった。

まず『世界ウルルン滞在記』。きょうはタヒチ。『ウルルン』は看板だった相田翔子が消えて(別に彼女ひとりの番組でもなかったのに)すっかりおもしろくなくなったが、あまりのセッティングの美しさに、最後まで見てしまう。タヒチの中でも離れ島に、初老の夫婦だけが暮らしている。そこに18歳の女の子が泊まりにいった。

考えられない生活だ。ぼくがタヒチを訪れたのは15年前、昨年は『フランス領ポリネシア』(白水社)という翻訳も出した。ずっと興味をもっている。でも白いオオアジサシの羽が、快晴の日、青く染まって見えることまでは知らなかった! 海の青は空の青の反映だ。それがさらに鳥の翼に映り、青く染める。信じがたい美しさ。現実に見たい。

ついで11時、見るつもりもないままに『宇宙船地球号』。きょうは沖縄本島北部、ヤンバルの固有種の生存をおびやかすマングースの駆除に導入された犬の話。ジャーマンシェパードを、琉球大学の女子学生が訓練している。モデルはニュージーランドのプレデター・ドッグたち。特定種を探し当てるように訓練され、それを罠で狙い撃ちする。

マングースは明治末期にハブの駆除のためにインドから導入された種。それをいま捕獲するとはヒトの勝手な都合でしかないが、ヤンバルクイナをはじめ格好の餌食になる種がこれだけ絶滅の危機にさらされては、いかんともしがたい。

ついで11時半、『世界遺産』。きょうはイギリスの奴隷貿易港だったリヴァプールだ。今年はおりしもイギリスの奴隷貿易廃止二百周年だったそうだが、その二百年はあまりに短かった。19世紀、20世紀のヨーロッパ諸国の圧倒的なゆたかさの背景は奴隷貿易であり、その後はアフリカの富(特に地下資源)のほしいままの略奪だった。現在のアフリカが、なぜあそこまで破綻した社会になり、あれだけの人々が飢えているのか。その咎はすべてイギリス、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国にある。これは歴然たる事実。

結局、過去五百年の世界は、ヨーロッパが他の地域の富を奪い、固有の文化を破壊するかたちで進行してきた。それをいかに相対化し、生き方を変えてゆくかを考えない限り、文化研究にはなんの意味もない。「経済」原理やそれに奉仕する調停の一形式としての「政治」を、根本から批判できる視点は「文化」が教える。

ところで、学生たちと話していて、かれらはスイスやベルギーの高級チョコレートが、原材料からそれぞれスイスやベルギーでできると思いこんでいるのに愕然としたことがある。チョコレートひとつとっても、アメリカスとアフリカとヨーロッパががんじがらめに結びつく植民地主義の問題であることは、ことあるごとにくりかえさなくてはならないのだろう。