Thursday, 30 April 2009

楽しいゲスト

きょうのゼミと授業(「コンテンツ批評」)に、外部ゼミ生に登録した志村さんがひょっこり訪ねてきてくれた。もちろん初対面なんだけど、そんな気もしない。2コマ連続で参加してもらい、おかげで学生のみんなにもいい緊張感。それぞれのショート・プレゼンテーションがもりあがっておもしろかった。

木曜日は基本的に午後ずっとアキバにいます。ただし今日みたいに、まず映画館に出かけている場合もあるので、参加希望の人は事前に確認してもらうのが無難ではあります。外部ゼミ生のみなさん、よろしく! きっと全員にとって楽しく刺激的な場になります。

『子供の情景』

岩波ホールで『子供の情景』。あの天才サミラ・マフマルバフの妹ハナ・マフマルバフ。やっぱり驚異の天才でした。

1988年9月3日生まれの彼女が18歳のときに撮ったのがこの作品。ターリバーンによりあの巨大な石仏が破壊されたアフガニスタンのバーミヤン、子供たちの遊びは......。冷厳な筋立てが、非情なまでに乾いた美しすぎる風景の中で進行する。完成された、すきのない想像力。すでに巨匠の風格をたたえています。

バクタイ役の少女の顔が、すごい。泥まみれのアッバスとともに、けっして忘れられない顔。まいりました。

『ソラニン』

おくればせながら、『ソラニン』。これにはじんわり感動。ストーリーについては絶対に話せないが、物語作法上の禁じ手をおかしつつ、その「なぜ?」に読んでいるほうも全面的にまきこまれてゆく。

最初から描かれている風景があまりに目になじむ。あ、和泉多摩川か。

ソラニンというとじゃがいものあの毒成分をだれでも思い浮かべるが、そのうち「空耳」のような「空人」があるのかと思えてきた。

作者は1980年生まれ。明治でぼくが最初に受け持った学生たちと同い年だ、たぶん。アジア各地を旅しては写真を撮っていたアキラは、驚くほど短期間でみるみる写真がよくなっていったが、それを仕事にする道はめざさなかった。人なつこいおじいちゃん子のコバは卒業後もときどき連絡をくれた。年賀状の返事書かなくてごめん(今年は誰にも出さずじまい)。パイロットになるといってた神谷は、アフリカ、アメリカを迂回してほんとにその夢を果たした。おめでとう。途中で大学を辞めたコーサクは、たったひとりで各地でがんばって、その後何年かかけてカナダの大学をぶじ卒業した。えらかった。3年から地元関西の大学に転入していったユキムラさんは、その後どうしているだろう。

(かれらのクラスは英語の授業だったが、2000年の総合文化ゼミナールは「オートポイエーシスとアフォーダンス」だった。そのときは3人しか学生が集まらなかったけど、そろそろまたとりあげてみようかとも思う。)

世代には世代の表現あり。でもヒトの考えること感じることは100年や1000年では変わらないので、われわれはおなじような物語をいつまでも読み、いつでも泣く。浅野いにお。他の作品も読んでみよう。

Wednesday, 29 April 2009

アーティスト・ファイル2009

おくればせながら国立新美術館で。さすがに充実している。特に彫刻。大平實の廃材利用、村井進吾の黒御影石は、それぞれ木と石の「やわらかさ」にぞくぞくする。

石川くんの写真は、でっかいプリントで見ると写真集よりいちだんといい。何かのまちがいで儲かったら、いつかオリジナル・プリントを購入したいもの。

金田実生の作品では水溶性クレヨンと鉛筆だけで描かれた「冬の呼吸」に見とれた。津上みゆきは色遣いにより自分がまったく別の反応をしめすことに、むしろ驚く。絵も結局は画面と見る者とのインターフェイスでどのようにでも変わるわけか。

ペーター・ボーゲルスのビデオで眠る少女の(別々の日付をもつ)顔が、一瞬の目覚めでシンクロするところに、クリス・マルケルの「展望デッキ」のあの有名なまばたきのシーンを100倍に増幅したスリルを感じた。

川村記念美術館にロスコを見に行きたいが、なかなか行けず。連休も苦しい。

大洞敦史の36冊

外部ゼミ生、大洞敦史くんの36冊です。まだこれから変わるかもしれません。著者名、書名、(訳者)、出版社、出版年の並べ方は、この形式にそろえてください。各カテゴリー内の並びは順不同でかまいません。まずは、みんなの参考まで。

1.考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊

プラトン『国家』(藤沢令夫訳、「プラトン全集」11、岩波書店、1976年)
アリストテレス『ニコマコス倫理学』(西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2002年)
エピクテトス『要録』(鹿野治助訳、「世界の名著」13、中央公論社、1968年)
『デカルト=エリザベト往復書簡』(山田弘昭訳、講談社学術文庫、2001年)
『二宮尊徳』(「日本の名著」26、中央公論社、1970年)
G・I・グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』(浅井雅志訳、平河出版社、1990年)
アラン『わが思索のあと』(田島節夫訳、「アラン著作集」10、白水社、1982年 
シモーヌ・ヴェーユ『カイエ4』(冨原眞弓訳、みすず書房、1992年
管啓次郎『トロピカル・ゴシップ——混血地帯の旅と思考』(青土社、1998年) 
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社、1993年)
鶴見和子『コレクション鶴見和子曼荼羅 水の巻——南方熊楠のコスモロジー』(藤原書店、1998年) 
米山優『モナドロジーの美学——ライプニッツ/西田幾多郎/アラン』(名古屋大学出版会、1999年)


2.専門と呼びたい分野(教育)の12冊

工藤庸子・岩永雅也『大人のための「学問のススメ」』(講談社現代新書、2007年)
佐藤卓己・井上義和編『ラーニング・アロン』(新曜社、2008年)
森信三『修身教授録』(致知出版社、1989年) 
大越俊夫『幻の鯉のぼり——師友塾物語』(白揚社、1995年) 
宮川俊彦『親のぶんまで愛してやる』(サンマーク出版、2004年)
伊藤隆二『なぜ「この子らは世の光なり」か』(樹心社、1990年)
長谷川宏『おとなと子どもの知的空間づくり——赤門塾の20年』(明治図書、1990年) 
橋本義夫『だれもが書ける文章——「自分史」のすすめ』(講談社現代新書、1978年) 
オリヴィエ・ルブール『学ぶとは何か——学校教育の哲学』(石堂・梅本訳、勁草書房、1984年)
イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』(東洋・小澤周三訳、東京創元社、1977年) 
鶴田義男『現代アメリカの生涯教育哲学』(新風社、2006年) 
野嶋栄一郎・鈴木克明ほか『人間情報科学とeラーニング』(放送大学大学院教材、2006年) 


3.「現代性」を主題とする12冊

工藤庸子『ヨーロッパ文明批判序説』(東京大学出版会、2003年) 
磯貝日月編『環境歴史学入門——あん・まくどなるどの大学院講義録』(アサヒビール、2006年)
ジグムント・バウマン『コミュニティ——安全と自由の戦場』(奥井智之訳、筑摩書房、2008年) 
フランコ・カッサーノ『南の思想』(ファビオ・ランベッリ訳、講談社選書メチエ、2006年) 
井筒俊彦『イスラーム生誕』(中公文庫、1990年) 
野尻武敏『転換期の政治経済倫理序説』(ミネルヴァ書房、2006年) 
佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年) 
宮内勝典『惑星の思考——〈9・11〉以後を生きる』(岩波書店、2007年)
今福龍太『群島——世界論』(岩波書店、2008年) 
坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(大和書房、2008年) 
岡野守也『聖徳太子「十七条憲法」を読む』(大法輪閣、2003年) 
仲島陽一『共感の思想史』(創風社、2006年) 

Tuesday, 28 April 2009

Pandemic?

ついにパンデミック到来か。

ニューヨーク在住の、帰国中の友人が、木曜日にむこうに帰るのが怖くてたまらないと怯えている。実際、スペイン風邪なみの大打撃を人類がこうむることは、まあいつ起きてもおかしくない。

ヴェルナー・ヘルツォークの南極を舞台にしたドキュメンタリー Encounters at the End of the World を思う。何をやっても人類は遠からず滅ぶし、人類が滅んでも地球と生命は当分は続く(それも終わりを運命づけられてはいるけれど)。

この絶対的ニヒリズムに抗いつつ生きてゆくことを試みるのは(結局は破れるとしたって)、ただただ決意の問題。

生存を保証してくれる海辺ではなく南極大陸の山脈にむかって、死にむかって、ひとりよちよちと歩いてゆくペンギンの衝撃は、まさにそれがわれわれひとりひとりの姿だから。

生存の方向を選びたいね、いましばらくは。生存にむかって歩いてゆくことを選びたいね。さあ、どうすれば?

ちょっと追加、結局10名

「外部ゼミ生」募集をしめきったといったけど、昨日マチョイネ講義で会った河内くんが「ワシを入れんとはどういうつもりやワレ」と河内弁ですごむので(嘘、嘘)その河内くんと、わが友人タロパンことジャズピアニストの工藤さんが加わることになりました。これで10名。初年度はとにかく、これでやってみます。みんな、人生のある一年を、のんびり歩いていきましょう。