Tuesday, 11 December 2007

「打ち上げ」とは?

何か、一仕事片付いたとき、それを祝って集まることを「打ち上げ」といいながら、その元来の意味を知らない。もともとどんな業界の、どんな場合に使われてきた呼び名なのか。

思ったのは、英語のlaunchingのこと。たとえばbook launching といえば本の出版記念イベント、ふつう朗読会やサイン会が一緒になっている。launching 自体はロケットの「打ち上げ」のことでもあり、この「送り出す」儀式という意味はどうも日本語の「打ち上げ」の意味に近いような気がする。

手がかりを求めてネットを検索したら、ぜんぜん関係ないこんな画像にぶつかった。

http://www.seihin.com/s/2007/02/26_2327.php

なるほど、たしかにこれも「打ち上げ」。発明者はデヴィッド・レターマンのショーにまで出ている。

こうして連想の糸が、またひとつ人類の愚行を教えてくれたのだった! どうも最近はこうして無意味の森をさまようことが多くなってきた。そのせいで生きる時間をむだにしないようにしなくちゃ、と自戒。

Sunday, 9 December 2007

アフリカのポップカルチャー(一橋大学)

ひさびさに国立へ。一橋大学でのアフリカ文化研究会を見物に行く。

第1部は大学院博士課程の3人の発表。

まず岩崎明子さんが、三重県のマコンデ美術館にある来館者の感想ノートの分析。これがアフリカだ、本物だ、とさしだされるモノに対して日本人が見せる反応の奇怪さが興味深い。スゴイものをまのあたりにして胸の高まりに耐えきれなくなると、つい意味不明なイラストを描いてしまったり。そもそも、なんで三重県にマコンデ彫刻の専門美術館ができたんだろう? これはいちど行ってみなくちゃ。

つづいて小川さやかさんがタンザニアのスワヒリ語ラップ(+いろんなジャンルの融合)である「ボンゴ・フレーバ」を概説。ボンゴとは「脳みそ」のことらしい。ということは「脳みそ風味」か。ストリート音楽だが、路上商人(マチンガ)たちの意識のキーワードである「ウジャンジャ」がおもしろい。スワヒリ語で「かしこさ、ずるがしこさ、狡猾さ」を意味するのだそうだ。生活感覚、問題解決、いろんな場面でのとっさの判断のバランスのよさ。わからないことをわからないままにしたり、都合をつけあったり、許しあったり。じつは相当な普遍性のある知恵なのではないかと思った。

最後に古川優貴さんの大変におもしろい発表。ケニアの聾学校に住みこんで調査を続けてきた彼女がYouTubeその他から拾ってきた映像を編集した12分の作品をまず見て、それからその背景の解説。歩くこと、人々の動きのシンクロの秘訣としての呼吸、手話とその反転。結論にはむすびつかないが、なんとも興味深い。思考がでこぼこしている感じ。

休憩を挟んで後半は、最高の顔ぶれ。まず、アフリカのストリート音楽の研究で知られる鈴木裕之さんがワールドミュージックの展開をまとめて話してくれて、90年代前半、じつは東京にはすごくいろいろなアフリカのミュージシャンが来ていたことを知る。重要な働きをした組織のひとつがカンバセーション(まえにディジタルコンテンツ学研究会のゲストとして来ていただいた前田圭蔵さんの会社)。ぼくはそのころずっと日本にいなかったので、何の動きも記憶にないのは当然だった。

ついでわれらがレゲエ博士、鈴木慎一郎さんの登場。聞かせてくれた焼津のレゲエ歌手パパユージがおもしろかった。今年、「焼津魚市BASH2007」というイベントがあったそうだ。

http://www.uoichibash.com/

焼津旧港のかまぼこ型の建物の保存を訴えていたのだが、その願いもむなしく、建物はすでに解体されたという。レゲエと「郷土愛」というテーマの存在を教えられた。

それから岡崎彰さん。最近は土日はずっとYouTubeでfield trip(調査旅行)をしているそうで、アフリカ音楽だけでもものすごい数の映像=音がアップされては消えてゆくらしい。そしてひとりのミュージシャンのスタイルの変遷まで、場合によっては追えるそうだ。ディジタル人類学はもはや夢想ではなく実用・実践の段階に入っていて、ふつうなら見られない聞けないものが、ごろごろと畑のじゃがいものように埋もれて転がっていることを再確認。

もちろん、十分じゃない。もちろん、ただのイメージと音でしかない。でもそれが見せてくれるものの意外さとゆたかさは、相当いろんなことを教えてくれる。

とっぷり暮れて、岡崎さんのお話が終わらないうちに失礼したら、外は雨。遠いアフリカ(どこの?)を思いつつ、濡れて帰ったら風邪を引いた。

Saturday, 8 December 2007

「読んで生き、書いて死ぬ。」(高山宏)

これは「学魔」高山宏さんが紀伊國屋書店のサイトで連載しているウェブ書評のタイトル。現代日本の孤高最大の英文学者が発するこのひとことに、戦慄せずにいられる人はしあわせだ。「読んで生き、書いて死ぬ。」彼の覚悟に比べたら、われわれは誰も何も読んでいない。

そのコーナーで高山さんが『秘密の動物誌』(ちくま学芸文庫)について、鋭利かつゆったりとしたひろがりのある書評エッセーを書いてくださったのを、友人が教えてくれた。これはほんとうにうれしい!もちろん、それは二人のカタロニア人原著者の栄光なのだが、翻訳者という名の代書人だったぼくとしても、それなりに非常にうれしい。これで、「豆本」的体裁の文庫本として生まれ変わった本書が救われた。

高山さんは原著者二人の「制作ノート」のためだけにでも、この本は買う価値があるとおっしゃっている。かといって、みんな、そこだけ立ち読みですまさないでくれよ。ひとつひとつの写真のバチバチと火花が散るほどのおもしろさは、それでは味わえない。ぜひ机の上に一冊、並行世界への扉として、この際そろえておこう。

『秘密の動物誌』につづいて、高山さんの書評はすでに田中純さんの出たばかりの『都市の詩学』(東京大学出版会)も取り上げていた。これは畏怖すべき書物で、ぼくにとってはクリスマスの宿題、熟読しなくちゃ。ぼくもせめて「少しだけ読んで生き、少しだけ書いて死ぬ」気持ちを持ち続けようと思う。

紀伊國屋書店のこの「書評空間」、充実している。旅と文章の達人・大竹昭子さんも書いている。在野の哲学者として充実した仕事を重ねてきた中山元氏も書いている。印刷媒体とちがって長さの制限にしばられないのがいい。ぼくも十年前、「カフェ・クレオール」でやっていた「コヨーテ歩き読み」のようなウェブ書評を、そろそろ復活させようか。

Thursday, 6 December 2007

冬の音楽祭(洗足学園音楽大学)

作曲家の宮木朝子さんから、以下のお知らせをいただきました。音楽と映像のむすびつきに関心のあるみんな、土曜日にはぜひ出かけてみてください。洗足学園は生田からも遠くないし。きっといろんな着想が得られると思います。

(以下、引用)

現在、川崎・溝ノ口の洗足学園音楽大学にて、冬の音楽祭という恒例のイヴェントが開かれております。今週末、8日(土)の午後から夜にかけて、所属の音楽・音響デザインコースで担当しております「音楽音響空間創作ゼミ」のイヴェントが学内スペースでひらかれます。

武蔵野美術大学映像学科のクリストフ・シャルル、三浦均両氏をお迎えし、ご担当の映像学科ゼミ生の映像と8スピーカーのリアルタイムコントロール音響空間で音と映像のコラボレーションイヴェントを行います。

音大、美大の学生の交流の目的もあり、学生主導のプロデュース、作品となります。

ご多忙のところ間際のご案内で恐縮ですが、ご都合よろしければぜひご来場いただき、ご高評いただければ幸いです。入場は無料となっております。(期間中、学内数カ所にて様々なコンサートもひらかれております。)

下記のページに情報がございます。

http://ssc.o-oku.jp/1208.html

Wednesday, 5 December 2007

FIGARO Japon(12/20)

本日発売の「フィガロ・ジャポン」12月20日号は「目覚めよ、私! フィガロの読書案内」と題した恒例の読書特集。ぼくはアメリカの小説家エイミー・ベンダーへのインタビュー(pp.44-45)と「フィガロ読書倶楽部」に推薦本3冊の紹介文(p.53)を寄稿しました。

推薦本はガイジンのニッポン滞在記で、以下のとおり。

イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社)
ポール・クローデル『天皇国見聞記』(新人物往来社)
ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』(みすず書房)

ぼくが訳したエイミー・ベンダーの短編集『燃えるスカートの少女』は今月22日に角川文庫版が発売されます。また第2短編集『わがままなやつら』も来年早々、やはり角川書店から刊行です。

今年のクリスマスには『燃えスカ』を読もう、贈ろう! 

Tuesday, 4 December 2007

シンポジウムは成功!

2日の日曜日はまずまずおだやかな一日で、朝からお茶の水へ。「新領域創造専攻」のシンポジウムが午前と午後の2部構成で行われた。

午前の「安全学系」は、現代社会生活におけるいろいろな安全への配慮をめぐって、多岐にわたる興味深い議論がていねいになされた。ついで午後がわれわれの「ディジタルコンテンツ系」で、この分野の未来、「次の一手」を占う、という大きな目標を掲げた。ぼくは午前、午後とも、あいまにアナウンス役で舞台の裾に立ったのみ。DC系の構想は、みずからアーティストでもある宮下芳明さんのヴィジョンに、すべておまかせ。

まず、メディアアーティスト岩井俊雄さんの新楽器TENORI-ON。パンチカードのようなものを入れる手回しオルゴールを逆回転させることから思いついたという、開発にいたる長い歴史がテンポよく語られ、ぐんぐん引きつけられる。たとえばシンセサイザーができたとき、インターフェースとして採用されたのはむかしながらの「鍵盤」だった。20世紀のさまざまな新たな楽器で、インターフェースの問題を根本的に問い直したのはテルミンしかない。そしてこのテノリオン。そう解説されると、なるほど! と大きくうなずく。先行発売されたロンドンではすでにいろんなミュージシャンが使いはじめ、ビョークは5台も購入したらしい。まちがいなく来年はテノリオンの年だ。

岩井さんと、共同で開発にあたったヤマハの西堀さんによる、テノリオン2台の演奏に息を飲んだ。これ、欲しい。日本での発売が待ち遠しくてならない。(http://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/)

休憩後、シンポジウム。「初音ミク」の企画者、今回のゲストでいちばん若い佐々木渉さんの話に、「初音ミク」がお目当てで来た学生たちは大満足。ついで書道家の武田双雲さんは、でっかくて元気で、そこにいるだけでポジティヴなエネルギーを発散している。デジタルステージの平野友康さんは、ディジタル技術の時代ならではの新たな企業文化や人間関係をこの上なく真剣に模索しているし、ゲーム・プロデューサーの水口哲也さんの宇宙論的な発想と魅力的な話しぶりには、みんな大きな感銘を受けていた。

終了後、しばらく談笑。会場の時間切れで話し足りなかった分を、またいつかパート2としてやろうとのこと。ぜひ企画してみたい。みんな若い、熱い、真剣だ、そして心の気前がいい。発想をどんどん話し、互いにそれを受け取り、またそれぞれの場所に帰ってゆく。新しいかたちの意識の共有、そして共同作業の可能性に、ディジタル技術は大きな地平を開いてくれる。少なくともそのことだけは、強く確信させてくれる一日だった。

アカデミーホールに集まってくれたみなさん、ありがとうございました! 

Saturday, 1 December 2007

未踏領域=明治

けさ(11月30日)の朝日新聞を見た人は、社会面下の方に紙面を横断する帯のように入った広告に驚いたと思う。「シルヴィー・バルタン」や「フジコ・ヘミング」のコンサート広告、そして造幣局の「ニュージーランド銀貨幣」の広告などと並んで、明治のシンポジウム、つまりわれわれ「新領域創造専攻」のシンポジウム広告が掲載されている。

コピーは「未踏領域に切り込むのは、明治だ。」

これはわが若き同僚、宮下芳明さんの作。コピーからデザインまで、彼の率直で力強いセンスがはっきり表れている。

いよいよ明後日の日曜日だ。ゲストのみなさんも、万全の準備をもって臨んでくださることは確実。思いがけない、誰も見たことのなかった映像を見られるかもしれない、誰も聞いたことのなかった音を聞けるかもしれない。

ぜひお茶の水で途中下車してでも、明治大学アカデミーホールを覗いてみてください。