2012年3月31日土曜日

がんばれ龍太!

わが友人、モエレ沼の雪中ビバークにも富士山登頂にも同行してくれたカヌーイストの山田龍太が、いよいよ4月1日から、環北太平洋単独行4年間の旅に出発します。

http://www.saitama-np.co.jp/news03/30/08.html

がんばれ龍太! 一度はどこかで合流したいもの。

2012年3月28日水曜日

アップリンクで

フランシスコ、ナターシャとぼく、アップリンクで。

ごらんください!

http://www.webdice.jp/dice/detail/3467/

『チェルノブイリ』作者インタビュー

「日刊サイゾー」にフランシスコとナターシャのインタビューが掲載されました!

http://www.cyzo.com/2012/03/post_10238.html

2012年3月22日木曜日

「詩は何を語るのか?」

以下のようなシンポジウムを開催します。ぜひいらしてください!


*****


「詩は何を語るのか? What Does Poetry Say?  シンポジウムと朗読」


 <現代>を流れてゆくすべての言葉の中で、<詩>の言葉はどんな役割を担っているのでしょうか? 何を語り、何を果たそうとしているのでしょうか? 第1部ではこの問いを、日頃から大学での文学研究や言語教育に携わりながら作品を書いている4人の詩人が考え、議論します。第2部では実際の創作において詩人たちがどのような言葉をさしだしているのかを、肉声を通じて経験していただきます。


 ぜひお誘い合わせの上、お気軽にご来場ください。


日時 2012年4月29日(日) 14:00〜17:00 (13:40開場)
場所 明治大学アカデミーコモン2階会議室 (JRお茶の水駅より徒歩3分)
主催 明治大学理工学研究科・新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系 管啓次郎研究室
(入場無料・予約不要)


討議と朗読
  新井高子(詩人、埼玉大学)
  中村和恵(詩人、明治大学)
  山崎佳代子(詩人、ベオグラード大学)
  管啓次郎(詩人、明治大学)


第1部 討議「詩は何を語るのか?」14:00〜15:30
第2部 朗読(それぞれの作品から)15:40〜17:00


参加者紹介


 新井高子(あらい・たかこ) 1966年、群馬県桐生市出まれ。詩人、詩と批評のロングラン雑誌『ミて』編集人(現在、118号を準備中)。埼玉大学日本語教育センター准教授。詩集として『詩集 覇王別姫』(緑鯨社)、『タマシイ・ダンス』(未知谷、小熊秀雄賞)。英訳詩集に『Soul Dance』(ジェフリー・アングルス他訳、ミて・プレス)。アングルス共演のバイリンガル詩朗読映画『ヴォイス・シャドウズ』(監督・鈴木余位)に主演。


 中村和恵(なかむら・かずえ)1966年生まれ。詩人、エッセイスト、比較文学者、明治大学法学部・大学院教養デザイン研究科教授(文化論)。著書は『キミハドコニイルノ』(彩流社)、『降ります』『地上の飯』(平凡社)、編著に『世界中のアフリカに行こう』(岩波書店)、詩集『トカゲのラザロ』(紫陽社)。翻訳にアール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房)。いま考えているのはジーン・リースとオーストラリア先住民のこと。


 山崎佳代子 (やまさき・かよこ) 1956年生まれ。静岡出身、ベオグラード在住。詩人、翻訳家。ベオグラード大学文学部教授 (日本語・日本文学専攻課程)、セルビア文藝協会会員。詩集に、『みをはやみ』(書肆山田)、『アトス、しずかな旅人』(書肆山田)など。翻訳書に、ダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』(東京創元社)、『死者の百科事典』 (東京創元社)、『庭、灰』(河出書房世界文学全集)など。エッセイ集に『そこから青い闇がささやき』(河出書房新社)など。谷川俊太郎、白石かずこのセルビア語による翻訳詩集を編む。セルビア語と日本語で創作活動。作曲家・松下耕の合唱曲組曲のために作詞。


 管啓次郎(すが・けいじろう)1958年生まれ。詩人、比較文学者、明治大学理工学研究科・新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系教授(コンテンツ批評)。主な著書に『コロンブスの犬』『狼が連れだって走る月』(河出文庫)、『斜線の旅』(インスクリプト、読売文学賞)、『野生哲学 アメリカ・インディアンに学ぶ』(小池桂一との共著、講談社現代新書)、詩集『Agend'Ars』『島の水、島の火』(左右社)など。翻訳にサンチェス+ブストス『チェルノブイリ、家族の帰る場所』(朝日出版社)など。




お問い合わせは
明治大学理工学部 管啓次郎 (044−934−7275)

2012年3月21日水曜日

『フクシマの嘘』

デイリーモーションでアップロードされているドイツのテレビ番組『フクシマの嘘』、必見です。SFを超えているよ、われわれの現実は。電力会社はどれだけの嘘を塗り重ねてきたことか。

http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news

そのメタ物質が

「大気圏外空間から来た、異なるものを結合するという観念に欠けている生物を想像してもらいたい。彼がいた惑星では、幅跳びに専念する者がいる一方で、翡翠の彫像を収集する人もいるし、ロココ風庭園を設計する人もいるが、誰もこういうこと全部をまとめてしようとは夢にも思わない。この地球の文化に到着したそういう訪問者はまず、故郷でしていたようにそういうもののなかから選択しなければならないと考えるが、やがて地球上で最低限の努力でこれら全部のものの間を往来するためには、とくにある一つのものが存在することを発見する。それは一種のメタ物質というか、ほかのすべての事物の魔の抽出物であり、その名は金(カネ)である。」(テリー・イーグルトン『ゲートキーパー』滝沢・滝沢訳)

2012年3月20日火曜日

釧路の夜、夜

3月17日(土)、釧路の老舗ジャズ喫茶This Isにて『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)朗読会。「谷地の夜の朗読会」という名前をつけてくれたのはディジタルコンテンツ系が誇る若きアーティスト中村絵美。

著者からは新井高子さんとぼく。友人たちからは志村みどりさんと矢本理子さんが参加。そして札幌からかけつけてくれた歌人の山田航さんが特別ゲスト(啄木をめぐる長歌のすばらしさ!)。さらにわが同志、小島ケイタニーラブさんが数曲の弾き語りでみんなの気持ちを温めてくれました。霧の夜でした。お店のマスター、小林東さんに心からの感謝を。

3月18日(日)、階上ギャラリーで開催中の展覧会に合わせた「土地、神話、美術 ネイティヴ感覚と現代美術の可能性」と題したミニ・シンポジウム。参加は富田俊明さん、中村絵美さん、ぼく。長時間にわたったけれど、充実した内容で終了後その場での懇親会も楽しかった。展示は富田さん、絵美ちゃんという二人の美術作品のほか、高比良哲さん(版画)、小笹純弥さん(写真)、秋元さなえさん(美術)。いずれも土地・場所と人々の関係をじっくり根源的なところで見据えた、興味深い作品ばかり。終わって外に出ると、凍てついた路面に粉雪が幽霊のベールのように吹き舞う夜でした。

両日を通して、This Isを中心に展開する釧路のアート・シーンを実感できて、非常におもしろかった。参加してくださったみなさまにお礼を申し上げます。東さん、毎日が革命ですね! そして全体を構想し進行してくれた中村エミーニャ、これからもがんがんやろう。

釧路。すばらしい街です。

2012年3月19日月曜日

「週刊朝日」3月30日号

「週刊朝日」の「週刊図書館」にドリアン助川『夕焼けポスト 心がラクになるたったひとつの方法」の書評を書きました。いい本です。お勧めします!

2012年3月17日土曜日

My Postwar Life

カリフォルニアの小説家、エリザベス・マッケンジー編集の現代日本・沖縄文学のアンソロジーが出ました。タイトルはMy Postwar Lifeです。

http://www.amazon.com/My-Postwar-Life-Writings-Okinawa/dp/0984778802/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1331910145&sr=8-4

小説では山里勝己さん、高野吾朗さんが英語で書いた作品を発表。また崎山多美さんの作品の英訳も。そして詩のセクションは、高良勉、金時鐘さんとぼく。ぼくの作品は第1詩集『Agend'Ars』にも収録した、2009年に佐々木愛さんと一緒にやった展示WALKINGのための連作の英訳(自作自訳)です。

ごらんください!

ありがとう、フランシスコ、ナターシャ

13日(火)。ドキュメンタリー映画『プリピャチ』上映後のアップリンクで、『チェルノブイリ、家族の帰る場所』の作者ふたりと対談をしました。

スクリプトのフランシスコはぼくと年齢も近いのですが、なぜか「シャイなスペイン人」という新しいカテゴリー! 考え込みつつ、うつむきつつ、小さな声で受け答え。一方、母親がリオ・デ・ジャネイロ出身のブラジル人でイビサ島で育ったナターシャは、若い陽気なモレーナ(褐色の肌の女性)。さすがに絵がむちゃくちゃにうまく、ぼくのリクエストに答えてあっというまに牛のイラストを描いてくれました。

楽しかった! そしてかれらが生んだすばらしい作品が、これからさらに日本で読者を獲得してゆくのを見守りたいと思います。それは日本もスペインもなく、ウクライナもベラルーシもなく、私たちすべてが共有する問題のため。

チェルノブイリと福島をつなぐ歴史的/地理的な線を、みんなで考えてゆきましょう。

2012年3月13日火曜日

『銀河鉄道の夜』反響集

昨年クリスマス・イヴの初演に対する観客のみなさんからの反応です。ありがとうございました! 劇自体の成長と展開を、これからも追ってください、見守ってください。

*****
〈今まで自分は、賢治の詩を本当には読んでいなかったんだ!〉そう思わずにはいられない、驚きと感動に満ちたパフォーマンス。古川日出男が賢治作品の真実をおそるべきパッションの炎であぶり出し、それを管啓次郎が悠然たる佇まいで受けとめる。そして小島ケイタニーラブの音楽がすべてを深く、やさしく包み込む。ゆるやかに、緊密に結ばれた三者による刺激あふれる読解=創造の劇。ぼくらが今、本当に必要としている賢治がここに誕生した!(野崎歓、フランス文学者・東京大学准教授、53歳)

古川・管の朗読が別の次元に入った一夜! 思いが夜空をかけのぼっていく。(旦 敬介、作家・翻訳家・明治大学教授、52歳)

最初から涙が止まらない。ライヴで体験する詩と物語の言葉は体に響いて伝わってくる。思いがけない音楽とおちゃめなパフォーマンスも加わって、最後は笑いも止まらない。歴史的なショーのはじまりだ。(原瑠美、翻訳者・イラストレーター、29歳)



声の表情が、声の旋律が、音節の色が、単語の匂いが、詩の生命が、タイプライターの金属音が、右から左から明瞭に、連続に、同時に、聴覚から視覚から触覚から僕の脳に洪水となって流れ込み、経験したことのない感覚を生み出す新たな回路を脳幹に焼き付けて、そこから溢れ出る感情の海に溺れ滲む涙が止まらない。「春の先の春へ」と流れる薄靄かかった大河へと漕ぎ出た彼らを見送った日の記憶は僕の2011年に深く宿り、ゆっくりと形を変えながら増殖していま新たな胎動が芽生え始めようとしている。(山田龍太、カヌーイスト、42歳)

宮澤賢治のテキストが現代の作家たちの手で2011年まで広がり、そこから先へとつながっていった夜。声と音楽に乗り忽然とあらわれた東北の銀河に、胸うちふるえる2時間でした。(大辻都、フランス語圏文学者・大学講師、49歳)



目を閉じ、耳を澄ます。北上のせせらぎ、乾いた砂を裂く水の音、それらが内なる川を呼び起こし、重なり、ひとつの大きな流れを作る。今も心に残る故郷の川。この体を貫く赤く熱い川。振り絞られた言葉の先、銀河鉄道の旅のその先で、そっとまぶたを開く。わたしはもう、目を背けたくない。向き合いたい。前を見たいんだ。(大塚あすか、会社員、32歳)

朗読というと、耳を澄ませて聞かなければと、どこか構えてしまう部分もあるのだけれど、この晩は違った。ただ身をゆだねているだけで良かった。語られる文章は本から抜け出し、音楽をともない、その時その場にしかありえない物語となって、現われ、消えてゆく。でもちゃんと体感している。物語が体じゅうに届く。興奮! 言葉は声をもち、音をもち、頭で捉えるのではなく感じるものだということに、はっとさせられた。(安田沙絵、編集者、37歳)




 2011年12月24日の「銀河鉄道」。圧倒的なパフォーマンスだった。古川日出男の身体からほとばしる声のエネルギーは管啓次郎とともにテクストにポリフォニーの陰影をつけて強烈に立体化させる。寄り添う小島ケイタニーラブの明滅する夜の音楽。かつて串田孫一は宮澤賢治の詩の大きな原動力として「怒り」があるのではないかと述べたが、どうしようもない怒り、悲しさ、寂しさが、声という命の吹き込まれた言葉によって、いっそうの力をもって立ちあらわれる。クリスマス・イヴの晩、宮澤賢治のテクストは見事に「演奏」されたのだった。また管啓次郎のテクストは賢治の空間をゆるやかにひらいていく。このパフォーマンスは「演劇」にも「朗読」にも収斂していない。ことばと音楽の協働するあたらしいポエジーの空間が出現しているのだ。(工藤晋、教員、51歳)

言葉と音楽が心の堰を切り崩して涙がとまらなかった。こういう追悼の仕方があるのだと、はじめて知った。(綾女欣伸、出版社勤務、34歳)

『銀河鉄道』の春

11日、レイニーデイブックス&カフェでのイベント。

第1部は『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)関連朗読会。同書に参加した工藤庸子、小沼純一、柴田元幸のみなさんとぼく。そしてヴァイオリンの金子飛鳥さん、ピアノの中島ノブユキさん。ばっちり決まる。工藤さんのユーモア、小沼さんの温厚さ、柴田さんの迫力、いつもながらそれぞれの持ち味をたっぷり味わうことができました。

第2部はそれを受けて、朗読劇『銀河鉄道の夜』の春ヴァージョン。古川日出男、小島ケイタニーラブとぼくに、金子飛鳥さんの参加。クリスマス・イヴのときとは違った次元が開けてきました。これを東北につなげてゆく。

それからわれらが小池アミイゴさんのドローイング・ワークショップをはさみ、第3部は飛鳥さんとノブさんの力量全開のすばらしいコンサート。ローリングストーンズの懐かしの「アンジー」の飛鳥ヴァージョンは壮絶! まちがいなくロック・フィドルの最高峰です。アミイゴさんが東北で描いてきたドローイングのスライド映写もすごくよかった。

午後6時から始まり10時半まで、満員のお客さんにも楽しんでいただけたと思います。ぼくらにとっては、これが「劇の旅」の始まり。

なおこの夕べの報告を、読売新聞の待田記者が書いてくださいましたので、ごらんください。

http://www.yomiuri.co.jp/book/kawanohikari2/diary/20120312.htm


それでは、次の場所で、お会いしましょう。

2012年3月10日土曜日

「Télérama」日本特集

フランスの雑誌「テレラマ」の現在の号(3月7日号)は日本特集、Les écrivains japonais brisent le silence (日本作家たち、沈黙を破る)です。ぼくのインタビューも掲載されています。現物を手にしていないのですが、パリ在住の友人、中村隆之くんが報告を書いてくれましたのでごらんください! フランスにいる人は雑誌も見てね。

http://mangrove-manglier.blogspot.com/

「かれらの声を捕まえてきた」

わかった、とパパ・ロングエはいった。おまえさんはかれらが恐いのか? つまり、ラ・ロッシュとサングリとあの娘のことだが? かれらはあそこにいる、かれらは命令する。おれのような老いぼれには、かれらがどんなふうに話すかも、なぜそんなことをいうのかも、わからないと思うのか? われわれにはわかるよ、われわれにはわかる。かれらがわれわれの頭ごしに話をしていたそのころ以来、われわれは網を張ってかれらの声を捕まえてきたんだが、かれらはそれを知らない。かれらは知らない、われわれにもあの人たちはこれこれなんだといえることを。おまえはおれの樽をよく見ようとしないが、まちがっているよ。おれと一緒に戻ろうじゃないか、若者たちよ、おまえはかれらの頭上を流れる砂を見るだろう……。」(グリッサン『第4世紀』より)

2012年3月9日金曜日

13日(火)はアップリンクへ!

13日の夜、ドキュメンタリー『プリピャチ』上映中のアップリンクで、『チェルノブイリ、家族の帰る場所』(朝日出版社)の著者二人と公開対話をします。

http://www.uplink.co.jp/pripyat/news.php#2217

ぜひどうぞ。映画も、本も、われわれ(とあなたと)の話も!

2012年3月8日木曜日

「中央公論」2012年4月号

「中央公論」の4月号「新刊この一冊」のコーナーに中村和恵『地上の飯』の書評を書きました。新聞よりも字数が使えるので、ゆったりと、たゆたう湯気のように、この本の良さを語ることができました。

2010年の年頭、新宿で(ゾマホンさんややママドゥさんたちとともに)アフリカ・イベント(『世界中のアフリカへ行こう』刊行記念)をやって以来、2年間日本を留守にしていた和恵さんがまもなく帰国します。再会が楽しみ、楽しみ。

書評も、本も、ぜひごらんください!

『チェルノブイリ』のために

この作品のために書いた紹介文です。本をぜひ読んでみてください!

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 バルセロナ、西地中海の文化的拠点のひとつであるこの都市から、あの「チェルノブイリ」を巡るグラフィック・ノヴェルが届いた。手渡されたぼくは、読んだ。打たれた。人間的経験としての「チェルノブイリ」に関して、ぼくらが取り逃がしていたものが描かれている。そのもっとも重要で胸に迫る部分、その核心が描かれている。それはこの土地をまるごと愛し----耕される田園、町、森や川を愛し----それなのに突然そこを追われなくてはならなかった人たちが、心に抱く風景だ。家族の歴史と深く絡み合った、奪われた風景とその匂いが、丁寧な取材に立つ二人のアーティスト(シナリオ+作画)の仕事によって、遠い土地に住むわれわれに提示される。遠い土地? ちがう、チェルノブイリを遠いと考えたことが、すべてのまちがいの始まりだったのだ。

 一九八六年四月に起きた、当時人類史上最悪のチェルノブイリ原発事故は、その途方もない規模と事後の放射能汚染の拡大ぶりによって世界に衝撃を与えた。与えた、はずだった。でも現在の目で見ると、それはまだどこか「あの遠い国での遠いできごと」としてSF的次元の嘘っぽさで受け止められていた部分があったと思う。「鉄のカーテン」という二十世紀用語に端的に表れていたように、われわれは隣国としてのかつての「ソビエト連邦」を「あちら側」と考えることにあまりに慣れていて、「何かとんでもないことが起きたらしいけれど、あっちの話だから」といえばそれですむと考えていた。実際には日本列島も、世界の他の地域とおなじく、影響を受けないはずがないのに。そして現実に甚大な影響を受けながらも、事故の本質も、原子力技術がもつ意味も、事後の経験についても、何ひとつ学ばないまま、考えないまま、われわれは「福島」を迎えた。ありうるとわかっていたことが、すべてなおざりにされ、現実に起こり、想像をはるかに超える被害をもたらした。非常事態がつづき、終息はありえない。十年後はおろか百年後にも、その終わりはやってこない。

 このグラフィック・ノヴェル『チェルノブイリ 家族の帰る場所』は、そんな遠い出来事だというふりをしていた「チェルノブイリ」に表情と風景を与え、一気にわれわれの現実にむかって再提示してくれた。いま、改めて四半世紀前の事故とその後の状況を想像しなおすために、これほど多くを与えてくれる作品はない。コミックというジャンルの優れた特性を、ぼくは改めて考えた。コミックには音がなく、動きがない。それはわれわれが日常的に経験している心理的な無音と不動の瞬間、時の外に出てしまったような時を、完璧に表現することができる。むしろそれは何かが開示されるそんな瞬間をとりだして、つなげてゆく。この手法によりコミックは回想というメカニズムと強い親和性をもち、じつはドキュメンタリーという目的のために、フィルム以上にふさわしいメディアかもしれない。その恐るべき創作力、すなわちリアルな写真・映像としては誰も体験することができなかったイメージを提示できるという特性が、それに加わる。そしてわれわれの心の活動の大部分が回想と想像によってできあがっている以上、断片化された言葉と連続する絵が物語をしめすコミックこそ、心の教育にもっともふさわしいメディアだとさえ、いっていいと思う。

 誤解しないでほしい、この作品はチェルノブイリを過去に、空想に、送り返そうとしているのではない。それとは正反対に、現在に、現実に、取り戻そうとしているのだ。それを通じて、いまここで起きている状況に対するアティチュードを教えてくれようとしているのだ。チェルノブイリの土地に住んだ人たちがいた。かれらはきみの祖父母だった。チェルノブイリの事故で死んだ男たちがいた。かれらはきみの父だった。チェルノブイリの土地を追われた家族がいた。かれらはきみの家族で、その子供はきみだ。少なくともきみの一部がたしかにその子供でもあることを自覚したとき、このフィクショナルな迂回を経て、福島を中心とする土地で現実にいま進行していることの意味が改めて痛切にわかるだろう。やっと、わかりはじめるだろう。

 地球上における生命の活動にとってまったく無用かつ有害な原子力とその廃棄物が、二十世紀が残した最大の負の遺産だということを、われわれの共通認識としよう。いま現に福島の土地を追われた人々と、想像力において連帯しよう。この作品がそんな動きのためのきっかけとなることを、作者たちも強く願っているにちがいない。
 

『3・11を心に刻んで』

岩波書店のホームページで連載されていたエッセーを集めた本『3・11を心に刻んで』が出版されました。赤坂憲雄さん、石牟礼道子さん、中村和恵さんらとともに、ぼくも参加しています。短いけれども、いろいろな考えと感情を呼び覚ます文章が集められています。

もっともぼくは「3・11」という言い方がきらいで、自分では絶対に使わないけれど。これからも「2011年3月11日とそれに続く日々のできごと」という言い方をするつもり。

岩波書店からは、今福龍太・鵜飼哲編『津波の後の第一講』も出版されました。各地の大学で、授業という枠組で、どんな言葉が発せられたか。こちらも示唆するところの多い本です。

2012年3月5日月曜日

「ユリイカ」3月号

「ユリイカ」の今月号には明治大学父母会主催の倉橋由美子文芸賞の受賞作が発表されています。赤塚絵理「魔法使いの庭」です。本人の談話とともに、ぼくの「選評」が掲載されています。

明治の学生諸君! 来年(も)、ぜひ応募してください。小説を書くなら明治、という流れを作ってください。

「現代詩手帖」3月号

「現代詩手帖」3月号に、昨年のクリスマスイヴに演じた朗読劇『銀河鉄道の夜』のスクリプトが掲載されています。台本=古川日出男、音楽と歌=小島ケイタニーラブ、詩=管啓次郎。これからさらに変更し普遍化したヴァージョンを、3月11日、レイニーデイで初演します。

この号には新井高子さんのエッセー「『ろうそくの炎がささやく言葉』をめぐる断章」と、Saravah東京のオーナーであるアツコ・バルーさんのエッセー「カタリザール(catalyseur)としての場所」も掲載されています。

ごらんください! そして次の日曜日はレイニーデイにどうぞ!

2012年3月4日日曜日

読売書評 #4

デクラン・カイバード『「ユリシーズ」と我ら』(坂内太訳、水声社)。3月4日掲載。

自分でいっても忘れてた

清岡智比古さんと「文庫クセジュ」をめぐる対談をしたのは2010年6月。このとき、クセジュの1冊の『ジプシー』について、こんなことをいってたのをすっかり忘れていた。

 「僕はジプシー系の音楽が好きなんです。それで3冊目は『ジプシー』。
ジプシーといえば、北インドに起源のある民族がユーラシア大陸を遠く西の方までいって、 各地に散らばって移動生活を続けているようなイメージで捉えられがちですが、この本によると、 あちらこちらの社会に多様な形で、マージナルな位置におかれた人たちがジプシーと呼ばれていて、 決して民族の話には還元できないということがはっきりと語られています。

面白いと思ったのは、「カロー」という言葉の由来です。 僕はアメリカとメキシコの国境地帯にわりと長く住んでいましたが、メキシコ系アメリカ人たちのギャングが使う言葉を「カロー」と言うんですよ。スペインのチカーノ、つまりジプシーたちがカローという言葉で指しているのは、黒人のことなんですね。つまり黒人に対する差別語がカローであり、そこから来て、今のメキシコ系のギャングたちの、 隠語がたくさん入った言葉がカローと呼ばれることが分かった。

それから、メキシコでグリンゴといったら、アメリカの白人を馬鹿にして呼ぶ言い方なんですね。これも色んな語源がありまして、 例えばアメリカのドルがグリーンのインクで印刷されているので、グリーンのお金を使う奴らという意味でグリンゴだ、というのが一番広く知られているる説でしたが、 この本によると、プロヴァンス語の「グレゴ」という言葉は「悪魔」という意味だそうです。 これがひょっとしたらメキシコに繋がっていって、メキシコでグリンゴと言ったらアメリカ白人を指して、悪魔と呼んでいるのかな、と思い当たりました。 こんな風に小さな発見がいくらでもあるのが、このシリーズの非常に嬉しいところです。」



http://www.junkudo.co.jp/UQ_report.html


カローとグリンゴ。その後どこでも使わなかった(話さなかった)ため、すっかり忘れていた。メキシコにイベリア半島からもちこされたさまざまな単語が微妙に意味を変えながら生き延びていることも、すっかり考えなくなっている。


今年はそろそろ、またメキシコに行きたい。

『チェルノブイリ、家族の帰る場所』

スペインのふたりのアーティストによる傑作グラフィック・ノヴェル、『チェルノブイリ、家族の帰る場所』(朝日出版社)が発売されました。シナリオはフランシスコ・サンチェス、作画はナターシャ・ブストス。翻訳はぼく。

すごくいい作品です。ぜひごらんください。そして考えましょう、チェルノブイリを、福島を。かれらの現在を、われわれの現在を。

「水牛のように」3月号

「水牛のように」、更新されました。

http://www.suigyu.com/sg1203.html#15

「犬狼詩集」もいつのまにか52まで。10年で240、20年で480片。30年で720片。それくらいのところをめざしたいものです!

いつまでも、どこまでも。

2012年3月2日金曜日

口頭言語創作の場面

この老人はハイエナのようで自分に降りかかる不幸のことばかり考えていた。あまりに早口でしゃべるので虜の身の三人は、老人の話のほんの一部分を夜の嵐がもたらすときおりの稲妻のようにとびとびに理解しただけだった。彼は言葉に、自分の生地の言語の思い出が薄らぐたび、あるいはその言語が新しい状況を言い表すことのできる言い回しを許してくれるたびに、まったく知らない表現をまじえて話すのだった。」(エドゥアール・グリッサン『第四世紀』)

3月11日

3月11日をどう過ごすかは自分で決めなくてはなりません。ひとりじっと川や海や空を見つめながら何かを考えるの、いいですね。

たぶんいろいろな催し物が重なると思いますが、ぼくらが準備したのは、これ。高樹町のレイニーデイ・ブックス&カフェでの「本・つながる・未来」第8回、「レイニーデイ、新しい春のために」です。

http://www.switch-pub.co.jp/events/045120001.php

朗読と、芝居と、音楽。とりわけ、音楽。あるいは、言葉と音楽。つまりは歌。

昨年のクリスマス・イヴに上演した朗読劇『銀河鉄道の夜』の春ヴァージョンを初演します!

あまり多くの人が入れない会場ですが、ぜひ予約して、来てください。終演後にはみんなで話をする時間もあると思います。