2011年5月30日月曜日

Gadawan Kura

驚くべきイメージに出会った。南アフリカの写真家ピーター・ヒューゴーによるガダワン・クラの写真。

http://www.pieterhugo.com/the-hyena-other-men/

かれらは「ハイエナ使い」。ハイエナを犬のように飼い馴らしているのもすごいが、ハイエナの巨体に息を飲む。犬でいえばニューファウンドランド級だ。飼っていて、危険でないはずがない。ピットブルの100倍危険だろう。

しかしかれらは先祖代々の猛獣使いたち。ハイエナを、ヒヒを、大蛇を、飼い馴らしてきた。異様に魅力のあるイメージだ。

まったくアフリカはすべての想像を超えている。

2011年5月29日日曜日

「プロムナード」第17、18回

一部に熱心な読者のいる日本経済新聞夕刊月曜の「プロムナード」。おやつの味その他を論じた5月23日の第17回(「辛、酸、甘、塩」)につづいて5月30日の第18回は「アナカプアナ」です。ハワイ音楽の世界に、まっすぐに入ってゆきます!

5月30日 第18回 「アナカプアナ」
5月23日 第17回 「辛、酸、甘、塩」
5月16日 第16回 「サーフィン知らず」
5月09日 第15回 「安上がりで確実な旅」
5月02日 第14回 「ホノルル、パペエテ」
4月25日 第13回 「ラハイナに行った理由」
4月18日 第12回 「キモ、キル、ロウロウ」
4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


昨日の言葉 22

わたしがじぶんの本にもどると、本のページに加速度がついて、どんどん猛烈な速さでめくれて行った。そしてとうとう海上の舵輪みたいにスピンしたのだった。
(リチャード・ブローティガン、藤本和子訳)

「なぞらえる」ことによって世界を「はかる」(測る、計る、くわだてる)という認識と表現の方法(モシ語では、どちらの行為もmakeという動詞で表される)は、モシを含む黒人アフリカ社会に豊かに発達しているが、動物とくに野生動物は、そのメタファーの有力な媒体となっている。
(川田順造)

弥生時代、稲作は日本海に沿って急速に津軽地方にまでもたらされた。このように稲作が伝わったメイン・ルートは「海の道」であったのである。このような現象は、「農民」「漁民」と分けるような思考の枠組みでは捉えきれない人々の存在を意味している。私は日本に稲作をもたらしたのも、南太平洋に根栽農耕をもたらしたのも、農民でも漁民でもない「海人」ではなかったのかと考える。
(後藤明)

2011年5月28日土曜日

Agend'Ars 29


Se me secan las pupilas, dices tú
Pero nada se seca más que la lengua
Auque estoy en alerta así mirando la furiosa superficie del río
Los vagones del metro pasan otra vez sin hacer ruido
Anamorfosis, Anamnesis
En cada ola del río que continúa la recorrida hacia arriba
Anida un pequeño bosque
¿Siguiendo qué línea podré, desde esta orilla del río,
Llegar a la hacienda de aquella península tropical?
“Me dieron tres mangos bien maduros
Y los comí caminando”
Así me escribió un amigo una vez con tinta verde en una tarjeta postal
Ahora, por lo menos quiero bajar todo este río hasta la desembocadura
Y confirma que el agua cambia su espesura y su sabor
Ha pasado mucho tiempo desde que esta tierra olvidó agradecer al Sol
Acuérdate de las incesantes festividades de las flamas que bordean el Sol

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

2011年5月26日木曜日

「アフンルパル通信」11号

札幌で発行される「アフンルパル通信」、お待たせしました、11号です。今回も充実! お買い求めは、発行の書肆吉成までどうぞ。首都圏では、いうまでもなく、青山ブックセンター本店へ! ぼくはいつものとおり、詩を3片寄稿しました。

「北と南」2号

わが若き友人・河内卓(河内弁は話せず)編集・発行の雑誌「北と南」2号が完成しました。東京をめぐるインタビュー記事、充実。藤部明子さんの写真も、中村和恵さんのエッセーも、大辻都さんの小説もいい。ぼくは詩を6片寄稿しました。

どこで手に入るか? 大阪Calo Books、西荻窪・音羽館、吉祥寺・百年などだそうです。ぜひお買い求めください!

Agend'Ars 28


En una noche sofocante de verano, me di cuenta por primera vez que
Los árboles siempre emiten luz
Debajo de la corteza, hay una capa de claridad
A partir de donde la luz tenue asciende
Y al alcanzar el cielo empieza a caer susurrando como una fuente
A medianoche, en la ciudad, en la superficie del río, en el borde del agua
Cae y cae en silencio
Cae y cae en silencio
Entonces ya ni siquiera se deja ver el recuerdo
Esta llanura, que en otros tiempos era un bosque
Recobra su claridad
Esa claridad salva a los pájaros y los animales
De su desconsuelo
Gracias, Chiara, Gracias
Gracias, Lucía, Gracias
La luz verde anida en nuestras puntas de pie

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

2011年5月22日日曜日

An extreme case of inter-species friendship!

これは驚いた、感動した、信じられない、でもこうして起きているからには、ヒトが見ていない状態でも過去数万年、数十万年にわたってこうしたことが起きていたのか、そもそも犬による人の馴化も、はじまりはこうしたものだったのか。

http://www.youtube.com/watch?v=Iqmba7npY8g&feature=aso

今年の最高の本は『想像するちから』、最高の映像はこれです。

2011年5月20日金曜日

「もし私がオスカー・ワイルドなら」

水曜日の新聞を見て、思わず朝のコーヒーを吹き出した、もったいなかった。誰か知らない人がワイルド、神のごときオスカーの永遠の傑作「幸福の王子」の訳本を出したらしいんだけど、1面の広告にその「訳者あとがき」からの引用文がある。それを引用します。笑っちゃいけないよ。

「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいい、と思う作品があるはずである。もし私がオスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ」

どう? 「もし私がオスカー・ワイルドなら」だよ。Don't worry, it never happens. 仮定にもほどがあるとは思わないのだろうか。

2011年5月18日水曜日

がんばれ東京新聞!

清岡智比古さんのブログに東京新聞の気合いの入った記事が紹介されています。必読。

http://tomo-524.blogspot.com/

2011年5月17日火曜日

6月8日(水)は六本木で会おう

『野生哲学』刊行記念イベントです。青山ブックセンター六本木店。遊びに来てください!

http://www.aoyamabc.co.jp/event/wild-philosophy/

「週刊朝日」5月27日号

「週刊朝日」に松沢哲郎さんの快著『想像するちから』(岩波書店)の書評を書きました。この本はほんとにお勧めです。ヒトは他のヒト科のみなさんと、もっとつきあい、教えを乞うべきです。

隣ページでは鴻巣友季子さんがサルマン・ルシュディ『ムーア人の最後のため息』を書評しています。この本も、読もう読もうと思って読む時間がないままに過ぎている一冊。ルシュディ、クッツェー、マキューアン、デヴィッド・マルーフは、いずれぜんぶ読みたい。

Agend'Ars 27


En la era de Itinerant philosophers
Ellos fueron de gira en tren por la parte oeste de Estados Unidos
Por cada señal de distancia que marca cien millas sonaba el pitido
Al que respondían aullidos de lobos y coyotes
Ellos (y mi abuelo también) aprendieron mucho y no escribieron nada
“No hay una idea original que no se pueda expresarse con dos cientos palabras,
Decía Hoffer, pero
En ninguna parte hay un mito original que no se haya contado
entre Spokane y Seatlle”
Esto era una bravuconada de mi abuelo
A él, apodado como Cuervillo,
El ferrocarril significaba también una oportunidad de aprender el lenguaje de los seres humanos
Mi parte oeste de Estados Unidos, más de medio siglo después
Fue un triste tejido reticular de caminos pavimentados de todo tipo
En un cuarto cerrado de relámpago que olía a quemado, yo
Hacía esfuerzos desesperados para olvidar palabras

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

バルーと港

これは必見! ピエール・バルーと港千尋の対談がサラヴァ東京で行われます。

http://katarikoko.blog40.fc2.com/blog-entry-290.html

5月28日(土)は松濤町へ行こう!

2011年5月16日月曜日

『野生哲学』

お待たせしました(一部の人には)。小池桂一とぼくの共著、講談社現代新書の新刊『野生哲学 アメリカ・インディアンに学ぶ』は、いよいよ今週発売です。

20年かけて書きました。これがかたちになったいま、まったく新たにアメリカスのネイティヴ哲学にむかおうという気持ちになっています。

これまでの新書にまったくなかったタイプの一冊です。ぜひ読んでください!

「プロムナード」第15、16回

日本経済新聞月曜日夕刊の「プロムナード」、先週の「熱海シャツ」の話題につづいて、今日はサーフィングでした。いよいよ残るは6回です。最後までハワイで行きます!

5月16日 第16回 「サーフィン知らず」
5月09日 第15回 「安上がりで確実な旅」
5月02日 第14回 「ホノルル、パペエテ」
4月25日 第13回 「ラハイナに行った理由」
4月18日 第12回 「キモ、キル、ロウロウ」
4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


2011年5月9日月曜日

「ことばのポトラック」の映像

ところで3月26日に大竹昭子さん、佐々木幹郎さんらとサラヴァ東京でやった「ことばのポトラック」のようすが、映像で見られるようになっています。

http://www.youtube.com/watch?v=hb7dutweUSc

いずれその続編をやります。企画中。これから準備します。ご期待ください!

下道が架ける橋

下道基行くん、最近どうしてるのかなあと思っていたら、こんな新作を黙々と作っていたようです。

http://www.m-shitamichi.com/

最後までゆっくり見て、胸がいっぱいになりました。3月11日以後、下道はあいかわらず下道だけを走りながら、こうして何かと何かをつなぐ橋を見出しつづけていたのか!

この連作は人に勇気を与えます。ぼくは、与えられた。今週はぜひワンダーサイト渋谷に、彼の展示を見に行きたい。みんなも行ってください。

2011年5月8日日曜日

Small is beautiful を忘れていた

粉川哲夫さんの日記(3月31日)から引用します。

「70年代に謳い文句だった「スモール・イズ・ビューティフル」は、いつのまにかどこかに消え、今度は、「地球にやさしい」とか「地球温暖化」とかいうように、大きなサイズのことばかりが気になる時代になった。環境問題といいながら、原子力は「クリーンなエネルギー」だということになり、その恐るべき環境破壊機能は不問に付された。「人類」のためだと称し、いまここで生きている人間を犠牲にすることが見えなくされた。

原子力の潜在的な危険性は、国々がグローバルに協力すれば解決されると称し、地球規模の管理を徹底させる方向が促進されたが、その結果うまれるのは、地球規模で個々人が日常生活のすみずみまで、いや、脳細胞の隅々まで監視とコントロールのテクノロジーのがんじがらめになったウルトラ・セキュリティ社会(アメリカの「ホームランド・セキュリティ」はそれを先取りしたものだ)である。

原子力危険性と一体にならざるをえない超高度のセキュリティシステムは、いまわれわれが20日間も(そして今後何ヶ月も)味わっている不安といらだちのようなものを一切感じさせないはずだが、それは、われわれが忘却するからであり、韜晦されるからである。だが、そのようなシステムはまだ実現していないし、実現しないだろう。原子力のシステムと同様に、どこかで破綻を起こすだろう。ただし、いまわれわれが味わっている先が見えない日常のかぎりなき延長がだらだらと続くというパターンは、原発事故以外でも生じうるものであり、今後の「新しい」管理方法になるかもしれない。」

http://cinemanote.jp/diary/201103_d.html

2011年5月7日土曜日

ビキニ事件(1954年)と現在

「苦しんでいるさなかに不謹慎なことかもしれませんが、私は一言いいたいです。

東海村の原発とビキニ事件は大きな関わりがあるからです。だが誰の口からもビキニ事件という言葉が出てきません。ビキニ事件が当時、核、放射能の恐ろしさをあれほど警告して証明したのに、日米政府はわずか九か月で政治決着を図り握りつぶしました。私たちはその時点で被爆者ではなくなり、何の援助も補償も受けられなくなりました。

そして、こともあろうに被った膨大なビキニ被害額やアメリカの核実験容認などを取引材料にして水面下で原発技術や原子炉をアメリカに要求し、東海村に導入したのです。後にアメリカの国立公文書館からそれらの資料が見つかり明らかになりました。

原発導入に対しては、当時大勢の人たちが日本列島には活断層が網の目のように走っているから危険だ「原発は核兵器と同じもので危ない」といって反対してきました。その答えが今出ているのです。」

(大石又七、「EXPOSE 死の灰」展での配布物から)

2005年の

下記のカナダ大使館での講演会。2月だとばかり思っていたら1月だったことが、越川芳明さんのブログでわかりました。

http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=415889&log=20050112

書き留められないかぎりすべては忘れられていくものだなあと思います。ブログ文化も、すでに7、8年の歴史を経ています。これ(つまり個人ベースの無償電子出版)が世界の変化につながらないとしたら、それはわれわれの怠慢でしょう。

R.I.P. 藤本陽子さん

藤本陽子さん(早稲田大学)の訃報に接し、驚き、また深く悲しんでいます。

藤本さんは一般にはマイケル・オンダーチェ『家族を駆け抜けて』の訳者としてもっともよく知られていたかもしれません。英語圏カナダ文学研究の第一人者でした。

2005年2月にアニタ・ラウ・バダミとシャイアム・セルヴァドゥライという二人のアジア系カナダ人作家が来日した際、カナダ大使館でのかれらの講演にディスカッサントとして呼んでいただいたのが、藤本さんとの出会いでした。

その年の秋、ニュージーランドのワイカト大学での学会で一緒にパネルをやり、そのころぼくが住んでいたオークランドの自宅にも遊びに来ていただきました。

古い方の『夢のチョコレート工場』のビデオを一緒に見たり、中学1年のとき(藤本さんとぼくは同年)に公開された『小さな恋のメロディ』で知ったロンドンの魅力を語ったりしたのをよく覚えています。そうそう、ワイカト大学のあるハミルトンでは、余田真也さん(和光大学)も一緒に、2晩連続で公開されたばかりだったジョー・ライトの『プライド&プレジュディス』を見に行ったんだった。

ほんとうに優秀な研究者で、やる気のある先生で、気持ちのいい友人でした。このところお目にかかる機会がなかったのが悔やんでも悔やみきれません。

さようなら、藤本さん! 心からご冥福をお祈りいたします。

2011年5月6日金曜日

Agend'Ars 26


Haremos un poemario bilingüe
En la página izquierda, oración religiosa de una lengua indescifrada
En la página derecha, huellas de patas de pájaros que vacilan
Nada garantiza la correspondencia entre las dos por cada línea
Sólo tenemos la correspondencia entre el clima real y el mapa meteorológico
La diferencia entre la sierra real y la línea de nivel
La discrepancia entre el árbol real y el imaginario anillo anual
Qué es esta línea rigurosa que divide las dos páginas
Una línea perpendicular como ésta y el horizonte real no dejan de rondar por la cabeza
Para levantar esta línea se necesita
Una cámara especial, decía un fotógrafo de arquitectura
¿Rise? Pero lo que nos hace falta es tener un punto de vista para convertirla en bailarina
Como si la línea de arquitectura se pone de puntillas de manera exacta
A parte de eso, identificar este cuadriculado y
Exponer la ficción como la realidad equivalente
Bailar en sandalias hechas de los mismos pies desnudos

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

おめでとう、倉石さん!

わがディジタルコンテンツ系の同僚、倉石信乃さんの著書『スナップショット』が、2011年度日本写真協会学芸賞を受賞しました。

まあ、当然といえばあまりに当然の受賞。これからも写真批評の新しい道を切り拓いていってください!

http://www.meiji.ac.jp/sst/information/2011/6t5h7p00000042ve.html

そして写真批評、映像研究、文化批評、メディア論、ディジタルストーリーテリングその他の分野を志すみなさんは、ぜひディジタルコンテンツ系を受験してください。今年の入試は8月1日です。

いわゆる「文系」「芸術系」に話を限っても、専任教員として倉石信乃(写真史、美術史)、波戸岡景太(アメリカ表象文化論、文学批評)とぼく(比較詩学、デザイン人類学、創作)。兼任教員に北島敬三(写真家)、近藤一弥(グラフィックデザイナー)、陣野俊史(文芸批評、音楽文化論)がそろっています。ほとんどの授業が少人数の、親密かつこの上なくきびしい環境です。

またこの春から明治大学特任教授に就任した中沢新一さんとも、密接な協力関係を保ってゆくつもりです。

さあ、21世紀の後半を早くも視野に入れた、それどころか過去1万年と今後の1000年を見失うことのない総合的な人文=芸術知の探求に、一緒にとりくみましょう。

「プロムナード」第14回

さすがに学期の最初の週は忙殺されて。お伝えをいろいろ忘れていました。

5月2日の日本経済新聞夕刊。「プロムナード」も第14回。ひさしぶりに、ハワイ時代の友人、中国系タヒチ人兄弟のことを書きました。見逃した人はご近所の公立図書館にどうぞ!

5月02日 第14回 「ホノルル、パペエテ」
4月25日 第13回 「ラハイナに行った理由」
4月18日 第12回 「キモ、キル、ロウロウ」
4月11日 第11回 「島言葉の楽しみ」
4月04日 第10回 「ポイを食べてごらん」
3月28日 第9回 「島から島へ」
3月07日 第8回 「カツ・ゴトーのために」
2月28日 第7回 「マリアのマラサーダ」
2月21日 第6回 「太陽のような朝食」
2月14日 第5回 「遠くから訪れる波」
2月07日 第4回 「島々が生まれたところ」
1月31日 第3回 「ピコのためのプカ」
1月24日 第2回 「ペレの髪を拾う」
1月17日 第1回 「バニヤンの並木道を」


2011年5月2日月曜日

「水牛のように」5月号

「犬狼詩集」、今月は特別に4片です。「ユリイカ」の「非在の波」と合わせて読んでいただければさいわいです。

Agend'Ars 25


El experimento se puede reanudar de derecho cuando se quiera
En la orilla del río en Hangzhou o en la llanura de Nebraska
Me gustaría poner allí la luz del corazón nunca probada
Corazón opaco de triángulo deformado u ovalado
En esta mesa de meseta de lava, en el flujo cuajado
Numerosos pájaros dejaron las huellas de patas
Los que tienen conocimientos de la métrica
Son los pájaros diligentes que no vuelan más que la distancia fijada de antemano
Dentro de la altura menos elevada que Ícaro
Dentro de la latitud menos elevada que Abel Tasman
Pero a donde me dirijo es el cielo extendida en el envés
El cielo azul que ni siquiera alcanza el fugo de señal y que parece congelado
¡Mira! En el intersticio del cielo y el cielo flota una pluma
Dicen que tu poetics es raspberrics
Pero yo he estado una vez en aquella orilla del río
Y también he estado de pie en aquel Nebraska, sin duda

(Una traducción tentativa por Eiko Minami)

2011年5月1日日曜日

昨日の言葉21

太陽圏につながりをもつ、それゆえ生命の生きる生態圏にとっては完全な外部性に属する技術の作品が、いっさいの外部性を排除して、自分の内部でくり広げられるゲームにますます自閉していく経済システムの「発電機」として、ほぼ無媒介の状態で設置されているのだ。これほどのパラドックスにみちた機構で動く世界は、エネルゴロジー史上はじめての現象である。
(中沢新一  [「すばる」2011年6月号])

書字による微動こそが、人類の理想に照らして、足らざる言葉をゆすり出し、また不要となった言葉を瓦解させる。このため書字=微動の停滞は文化の停滞と頽廃と崩壊を招くことになる。
(石川九楊)

わたしも屈託するとおにぎりを差し入れがてら遊びに行く。話らしい話はほとんどしない。彼が相変わらずニコニコしているのを見て、ビールの二、三杯も干してくればたくさん。身体思考で通じ合えればそれで充分。あらためて自分には名刹や霊山は無縁だと思う。奇特な人がいる。そこから放射してくる生の仏の声が聞こえる。寺のない町に生まれ育った人間には、それが身の丈に合ってるのだ。
(種村季弘)