2009年11月30日月曜日

西アフリカのフランス語文学

東京外国語大学で、以下の博士論文公開審査があるそうです。すごく興味深い! でも展示準備のため行けないのが残念。興味がある方は、ぜひどうぞ!


村田はるせ博士資格申請論文公開最終審査のご案内

日時:12月5日(土) 午後3時より
場所:東京外国語大学(多磨キャンパス) 研究講義棟4階、401−3教室

論文題目:「アフリカで作家であるということ−−ベルナール・ダディエとベロニック・タジョーから読む西アフリカのフランス語文学」

村田はるせは、かつて海外青年協力隊に参加し、アフリカはニジェールで保育士の経験をすることから童話や文学の意味にめざめ、大学に入り直して2000年から東京外国語大学の大学院に入り、博士前期課程を経て後期課程に進み、この9月にようやく博士資格請求論文を書き上げました。

文学部から文学研究を目指した学生とは違って、その独自の経歴から、みずからを促す要請にしたがって課題にかたちを与え、研鑽を積んだその結果が博士論文となりました。

2009年11月28日土曜日

<群島-世界>、波打ち際で

今夜はシンポジウム「<群島-世界>波打ち際で」が開かれる予定。みんな島に集まりはじめていることでしょう。高良勉さんの紹介文を引用します。


群島論の可能性の交流へ
高良 勉(詩人・批評家)

 日本国家やアジア・世界と、どう向き合いどういう関係を構築するか。いま、大きな歴史の曲がり角で、一人一人に深く静かに問いかけられている。
 私は、学生時代からその問いをくり返し考え実践してきた。その過程で、新川明、川満信一、岡本恵徳らの「反復帰論」や島尾敏雄・ミホの「ヤポネシアと琉球弧」の思想に出会った。そして、「隔ての海を、結びの海へ」を合い言葉に琉球弧の住民運動や祭祀を巡礼してきた。とりわけ、現在は鹿児島県へ分割されてしまっている奄美群島への旅を重視してきた。
 そのような思索と祈りの旅の中で、今福龍太の大冊『群島—世界論』(岩波書店)を手にすることができた。この文化人類学者による文化・思想・世界論は、私(たち)をさらに新しいヴィジョンの地平へ誘ってくれる。
 今福の『群島—世界論』は、島尾が夢みながら充分に展開することができなかった「ヤポネシアを太平洋のネシア世界へ開放する」思想を、さらに世界規模で拡大している。
 今福は、海洋・群島から「大陸原理」へ向け反転する。すると、琉球弧や東アジア・太平洋・カリブ海・アイルランド群島等々の世界中の群島が、新たな可能性を帯びて浮上する。そこで琉球群島は、悪しき「日本対琉球」の閉鎖的回路から解放される。
 しかも、今福は海底の結びの力までヴィジョンを伸ばす。世界の海底に埋蔵されている死者たちの骨片の歴史や文化の智恵に耳を澄ます。私(たち)は、その海底の可能性によって「隔ての海」を乗り越える。
 そのような『群島—世界論』が出版されて一年余。私(たち)は、韓国、台湾、香港等からゲストを迎えて、群島の体験とヴィジョンの可能性についてヤンバル・奥区で議論し、交流する。アジアへ、世界への構想力を。
 なぜ、奥ヤンバルなのか。今福らは、この間「奄美自由大学」を主宰し、沖永良部島から奄美大島までの奄美群島巡礼し、私(たち)も参加してきた。そして、日本全国から芸術家や編集者、研究者をはじめとする錚々たるメンバー30人余が、今回は与論島から奥区へ巡礼して来る。
 言うまでもなく、与論・沖永良部と奥・辺戸とは、北山王国時代以前から歴史と文化において一つの群島地域を形成している。現在の、沖縄県と鹿児島県という人為的な「県境」は、日常に於いて越えられている。奄美自由大学の参加者は、それらの群島でどんなヴィジョンを視てきたのか。
 深まりゆく秋のヤンバル・奥区で、地元の方々に支えられながら、新しい「群島—世界」へ交流したいものだ。

◎11月28日(土)午後8時〜・民宿「海山木」
 「即興編:群島、揺れる」川満信一、おおしろ建、比嘉豊光、濱田康作、中村達哉、宮木朝子、高良 勉、奥区の歌と踊り、その他

◎11月29日(日)午後1時〜・奥区「集落センター」
 「シンポジウム篇:群島論のヴィジョン」
  パフォーマンス・島袋正敏(元名護市立図書館長)
  朱恵足(台湾中興大学)、川満信一、仲里効、イ・ヨンスク(社会言語学者)、グレッド・D(ミクロネシア島嶼文化研究)、デニッツア・G(香港城市大学)、高良 勉、今福龍太


奄美自由大学が、ついにヤンバルにまでつながって。2002年に始まった自由大学、ぼくは最初の2回に参加しましたが、それからなかなか都合が合わなくて残念。今年は大洞くんが参加しているので、また話を聞かせてくれることでしょう。

清岡ワークショップは12月20日

そしてその第1弾は?

①土地をめぐる言葉 12月20日(日)

(W):「東京を書く」清岡智比古+管啓次郎13:00~17:00(定員15名)
(T):「東京詩」清岡智比古+管啓次郎18:00~20:00(定員30名)

言葉で土地をどのように語ることができるのか?
例えば「東京」について書いてみる。
詩はどんなふうに東京を書いているのだろう。

※ワークショップでは、実際に都内を移動するため交通費が必要です。公共交通を使う予定です。500円ほどご用意ください。


■申し込み方法
どなたでも無料でご参加いただけます。
ワークショップとトークは、それぞれ単独でお申し込みいただけます。もちろん両方のお申し込みも歓迎です。
参加を希望するワークショップ名・トーク名、お名前(フリガナ)、年齢、性別、連絡先(電話、住所、メールアドレス)をお書き添えのうえ、下記の申し込み先までお送りください。

※メール・FAXの場合は、件名等に「WHAT AM I DOING HERE?」参加申し込みであることを明記してください。
※FAXの場合は、それぞれの実施日の1週間前までにお申し込みください。
※申し込み多数の場合には先着順とさせていただきます。

■申し込み先
明治大学大学院 理工学研究科 新領域創造専攻DC系修士2年宇野澤宛
メール:ce87403@isc.meiji.ac.jp
電話:090-3426-7527
FAX:044-934-7908 (明治大学理工学部総合文化資料室気付)
(FAXの場合は、それぞれの実施日の1週間前までにお申し込みください)

東京文化発信プロジェクトWHAT AM I DOING HERE?

いよいよ始まります。12月から2月、熱い冬になりそうです。


WHAT AM I DOING HERE?
5 Paths: Workshops and Talks ワークショップとトーク 5つの小径

主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(財団法人東京都歴史文化財団)、明治大学
企画:明治大学大学院 新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系 管啓次郎研究室
日程:平成21年12月~平成22年2月
会場:明治大学猿楽町第二校舎 新領域創造専攻共同演習室(東京都千代田区猿楽町2-4-1)
参加費:無料(要申込み)
http://waidh.exblog.jp

本事業は、東京文化発信プロジェクトにおける「学生とアーティストによるアート交流プログラム」の一環として実施されます。

私は、今ここで何をしているのか?
どこから来てどこに行くのか? 
今ここにいる私は誰なのか?

東京と人の新しい関係をつくるための方法を探るため、
5つのテーマによるワークショップとトークを行います。
記録展示も予定しています。

WALKINGは12月7日から!

その「WALKING 歩き、読み、考える」展は、いよいよ12月7日から。学部のホームページに広告をアップしてもらいました。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0005251.html

ぜひ遊びに来てください! 折角だから、何らかのかたちで、歩くイベントをやりたいもの。小田急沿線なら、たとえば日本女子大から明治まで歩くツアーとか、和光大学から明治まで歩くツアーとか。杉山さん、長尾さん、そのうち相談に乗ってください。東海大からはさすがに遠すぎるだろうなあ。

「図書新聞」2944号(2009年12月5日)

「図書新聞」に西江雅之『アフリカのことば』(河出書房新社)の書評を書きました。西江先生のアフリカ研究の集大成。30年前、先生に出合わなければ、自分の人生がまったくちがった経路をたどることになったのは確実。それを思うと(勝手に)感無量です。

書評といえば、「週刊金曜日」で、こんどは本橋哲也さんが、『本は読めないものだから心配するな』を「本橋哲也が選ぶ3冊」の1冊としてとりあげてくださったようです(まだ見ていないけれど)。「この本は以前に陣野さんが選んだから」などといわない編集部もえらい! お礼をいわれても困るとは思いますが、ありがとうございました。

WALKING展の冊子、制作中です。乞うご期待!

2009年11月27日金曜日

「言語」、永遠に

大修館書店から「言語」が12月号をもって休刊されるとのご挨拶をもらった。創刊は1972年4月! 一般読者むけの言語学月刊誌が、これだけの期間持続したのは、思えば驚異だ。

ぼくが「言語」を初めて買ったのは高校2年のころ。1974年。そのころは漠然と言語学科に行きたいと思っていた。

その後、「言語」には2、3度文章を書かせてもらったが、もちろん言語学とは無縁のしろうとの駄文。でもいい思い出だ。

この雑誌がなくなるのは残念だけれど、言葉に関する興味を人が失うことはありえない。また新たなかたちで、この雑誌の読者共同体(お互いを知らない共同体)が、おのずから言語を語り論じる道を見出してゆくにちがいない。

2009年11月26日木曜日

松丸本舗

先月オープンした、丸善の店舗内店舗、松岡正剛さんの松丸本舗をやっと見てきた。

茫然。結界に一歩足を踏み入れたら、まるで外とはちがう電撃的な空気がみなぎっている。ぞっとするほどの凝縮力、構想力だ。いまわれわれが準備している「WALKING」(冊数にして200冊程度)が、あわれ、まるで石ころひとつにすぎないものに見える。

1979年ごろ、「プラネタリーブックス」を愛読していた。やはりおなじころ、渋谷の全国書房で、作務衣姿で本を棚の端から端までといった感じで買っている松岡さんのお姿(たぶん)を見かけたこともある。現代日本で、読書の免許皆伝といえる達人は、まずは松岡さんと高山宏さんだろう。

松丸本舗の片隅に、坪内祐三さんの『雑読系』などと並んで、ぼくの本も。これはうれしい発見。きょうはごくざっとしか見られなかったので、また東京方面に行ったとき、じっくり見ることにしよう。

2009年11月24日火曜日

本が歩いてゆくのをただ助けるだけでいい

WALKING展の準備が、いよいよ佳境。きょうは設営を手伝ってくれる建築学科のみんなとのミーティングがお流れになったので、もともとの展示メンバーである宇野澤、伊藤の両君と、宮田さんの入れてくれたMJB珈琲を飲みながら話す。

そして突然出てきた、すごい案。

今回の図書展示では、歩くことを主題とする本を200冊くらい並べるが、まだまだぜんぜん不十分。考えるたび、ほら、これも、ほら、あれも、と数は増えてゆく。そこで。この展示「WALKING 歩き、読み、考える」自体を恒久化し、どんどん各地を巡回するのだ。リストは当然増殖してゆく。

しかし、ただ巡回するだけではまだおもしろくないので、さらに考えた案。

お茶箱みたいな箱に、レギュラーの36冊をつめて、これを背負って、次の展示場まで歩いてゆく。たとえば札幌の書肆吉成でやるなら、川崎からそこまで歩いてゆく。題してBOOKS WALKING 、あるいは、歩いてゆく本たち!

行った先で本を並べ、ポップを作り、見てもらう。この旅を本にさせながら、その36冊についての解説を10枚ずつくらいで執筆し(歩きながら、歩きながら)、発表してゆく。ある段階で、それを本にする。そして、また。そして、また。いつか自分が90歳くらいになって背負えなくなったら歩けなくなったら、誰かにひきついでもらう。こうして本は、今後の数十年数百年を旅しつづける、というプロジェクト。

開催場所を、裏表紙に小さな文字で書き込んでいく。

これはすごいね、絶対やろう。一回の旅ごとに、参加者が2人なら18冊ずつ、参加者が6人なら6冊ずつ、背負って一緒に歩いてゆく。途中でむりやり朗読会をやって、投げ銭をもらい、食費にする。犬も連れてゆく。猫はついてこい。

Kindle読書で満足できる人は、どうぞお好きなように。日に焼け、雨でぼよぼよになった本が好きな人は、この旅にいつでも加わってください。本が歩いてゆくのをただ助けるだけの旅だ。

2009年11月23日月曜日

知覚と想起

考えとは進まないもの。こないだのゼミでフロイトのWunderblock(魔法のメモ板)の話になり、知覚と想起のあいだに生じるのが意識という説明をしながら、既視感に捉えられる。なんだ、1983年ごろ、誰かとこんな話をしたなあ。たぶん当時、ラカンについて書いていた友人と。

驚くべきなのは、その後、自分の考えがまったく進んでいないことで、いまでも正直なところ、意識とは何なのか、さっぱりわかっていない。各瞬間ごとに、外界からの視覚的・聴覚的・触覚的刺激は絶えずやってくる。知覚は、つねに全面的に行われている。そして知覚が残すであろう痕跡はただちに過去に送りこまれ、過去は一瞬前からはるかな幼少期までの時間幅をもって、想起の対象となる。

実際に思い出されるかどうかはともかく、この時間幅のある記憶からの想起が知覚をそのつど支え、それではじめて人は外界を把握している。ここで知覚と想起にはあるバランスがあり、現在時の知覚が強いときには想起は背景に追いやられ、想起が強いときには現在はお留守になる(白昼夢的状態)。

意識とは知覚と想起の危うい統合の上に成立しているものだが、意識を意識しはじめると、とたんにそれはその場での行動を妨害しはじめる。「〜を意識した」という言い方は、つねに事後的な描写にすぎず、意識の現場ではわれわれは知覚と想起のあいだの尾根をなんとか必死に歩いているだけ。

それでは意志とは何か。意志はつねに想起の中にあり、過去に習得された「文」がそれを代表し、その想起にしたがって人は次の一歩を瞬時に踏み出している。

このあたりのこと、四半世紀たってもまったく自分の中で話が進んでいない。そしてじつは、そんなことばかり。いつも高峰を眺めながら、都会の楽な舗装された平地ばかり歩いているようなものだ。しかも、無目的にさまよっている。

人はやはりどこかこれと決めた山に登り、そこにばかり何十年も登りつづけるのがいい。たとえ小さな里山でも、その里山についてはすみずみまで知っているという境地をめざしたい。

2009年11月19日木曜日

台湾2題

台湾から戻って、司馬遼太郎『街道をゆく・台湾紀行』を読み始めた。

するとこんな記述。「革命家としての孫文は百敗の人であった。/武装蜂起にしくじっては他国に亡命するということをくりかえしつつ、表情はつねに明るかった。そのあかるさが、ひとびとを魅きつけた」

いいことだ! 反射的に、大洞くんの「元気が正義」ということばを思い出した。そう、百敗でいこう、われわれは。

朝日新聞の夕刊に、いま「琉球400年を歩く」という画期的連載が掲載されている。

それで知ったのが、石垣島の総人口の1パーセント強が台湾系だということ! そうだよな、近いし。行き来はつねにあり、その中から定着する人も出てきただろう。それが自然。

こんどは八重山から台湾へと、船路をたどってみようか。

台北にて

台北で市立美術館に行くと、ちょうど「これは誰の展覧会なの?」みたいなタイトルのグループ展をやってて、われらが田中功起さんの作品が真っ先に目に飛び込んできた。おもしろい! その新鮮さは台湾のお客にも伝わっている。

そして21日からはじまる蔡國強の『泡美術館』は、設営がまさに佳境で、吹き抜け部分に8台の自動車(実物)を宙づりにしてバチバチ電気を光らせているのに、度肝を抜かれた。

アーティスト本人(たぶん)も、ごま塩頭をかきながら立ち会っていた。

中庭部分には、なぜか温泉? 中国語の説明では、こんな感じ。

其中作品《文化大混浴》即是一例。藝術家蔡國強的作品《文化大混浴》將於北美館西側中庭展出,是藝術家居住紐約時有感於其文化大熔爐的稱號,因此把這些文化現象與中藥、風水結合起來,試圖探索一種有別於西方的現代藝術方法論,希望在東方優秀的哲學理念上,尋找到一套與之相應的模式。於是藝術家將開放觀眾親身參與泡澡,融入此藝術作品,視為作品的一種表演方式,也正呼應了此次展覽的主軸「泡美術館」。

「文化大混浴」! ニューヨーク時代に、みんなで風呂に入るのがいちばんと目覚めたということなのか。

バカバカしいが、それをプレゼンして企画として成立させるのが、すごいかも。

冬休みにまた台湾に見に行きたくなる。

連載終了

講談社のメールマガジン「現代新書カフェ」に連載してきた「アメリカ・インディアンは何を考えてきたか」が最終回を迎えました。

これから越冬中に全面的に手を入れて、できれば来年の夏休み前に、新書として出したいと思っています。

とはいえ、まだまだぜんぜん不十分。対象が巨大なので(北アメリカ大陸の先住民世界のすべて)どう書いても不十分ですが、それでも。

ぼくの英雄ともいうべきジョン・ウェズリー・パウエルやフランツ・ボアズ、そしてクロード・レヴィ=ストロースやデル・ハイムズに捧げる本にしたいもの。

最後に引用したズニの祈りの一節を、以下に引用しておきます。

**************

 太陽をめぐる話の最後に、ズニが新生児を太陽に紹介する儀礼のことばを見ておきたい。生後八日目、赤ちゃんの頭はオバ(父方の氏族の女性)たちによって洗われる。これが新生児にとって最重要の儀礼だという。赤ちゃんの手にトウモロコシの粉を握らせ、夜明け、屋外に連れ出す。一同は東をむいて立つ。
 それからトウモロコシの粉をはらはらと撒きつつ、父方の祖母によって、こんな祈りが唱えられる。

 さあ、いよいよ今日、
 わたしたちの子よ、
 おまえは立って太陽の
 光の中に出てゆく。
 おまえのこの日を用意するため、
 おまえのこれまでの日が終わったとき、
 八日間が過ぎたとき、
 わたしたちの父である太陽は、
 彼の聖なる場所にこもっていた。
 そして夜の父たちが、
 出てきてかれらの聖なる場所に立ち、
 祝福された夜を過ごしたのだが、
 その夜の夜明けを迎えるために
 わたしたちはやってきた。
 そして今日、
 わたしたちの父たち、
 夜明けの司祭たちは、
 出てきてかれらの聖なる場所に立った。
 父なる太陽が
 出てきてその聖なる場所に立った。
 わたしたちの子よ、
 今日はおまえの日です。
 今日、白トウモロコシの肉、
 この祈りの食物を、
 わたしたちの父なる太陽に
 この祈りの食物をささげます。
 おまえが父なる太陽にむかってゆく道、
 この道がゆたかなものでありますように。
 おまえの道が果たされたとき
 おまえの考えの中で(わたしたちが命を得て)
 おまえがやがて思い出すのがわたしたちでありますように、
 今日、この日、
 わたしたちの父なる太陽にむかって
 そのためにわたしたちは祈りの食物をささげます、
 わたしたち全員が道を歩み抜くのを
 おまえが助けてくれるように。

バナナと水牛

友人から教えられて、よしもとばななさんの日記をひさしぶりに見ると、10月末に『本は読めないものだから心配するな』が紹介されていました。「本を書いていてよかった」というばななさんの感想に感動!ありがとうございました(とお礼をいわれても困ると思うけれど)。

そもそも、正確にいって、ぼくの本の一部分は彼女が書いたものです。そこには彼女の『サウスポイント』の書評が含まれていて、それはつまりは彼女が書いた『サウスポイント』がぼくに書き込んだ何かの、痕跡。本というのは、それを読めば読むだけ、書けば書くだけ、人が自分から解放されて別の何かになってゆけるもの。地球に対流圏があり成層圏があるように、人間世界のちょっと別の層にある言語界での交渉が、どこか根源的な無謀な勇気を与えてくれるのは、おもしろいことです。

また、かの「水牛」ホームページでは、八巻美恵さんが「水牛だより」で紹介してくださいました。

http://www.suigyu.com/

ありがとうございました(とお礼をいわれても困ると思うけれど)。並べていただいた3冊の、あと2冊がすごく興味深い! 中川六平『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』と津野海太郎『したくないことはしない 植草甚一の青春』です。特に、津野さんは、ぼくはお目にかかったことがないのですが、たぶんものすごく本質的な影響を受けていると思います。高校から大学にかけて、完全に晶文社カルチャーで育った以上。つねに宇宙線につらぬかれ太陽風の影響にさらされてきたようなものか。

ともあれ、うれしい反応でした。水牛はいい、水牛は水に潜ってじっとしている。石垣島で見た水牛の目が忘れられません。

2009年11月18日水曜日

R.I.P. Dell Hymes

デル・ハイムズが亡くなった。偉大な言語人類学者。リード・カレッジ以来のゲイリー・スナイダーの友人、エスノポエティクスの産みの親のひとりだった。むかしむかし「へるめす」に掲載してもらったエスノポエティクス小詩集に、彼が採録した民話も入れたことがある。結局、言語学という分野に入門すら果たせなかったことを改めて反省しつつ、ふたたび彼やスタンリー・ダイアモンド、ナサニエル・ターンらが描き出した世界の探求に戻ってゆきたいと強く思う。

Objet : Passing of Dell H. Hymes

It is with sadness that we announce the death of former LSA President Dell Hathaway Hymes, Commonwealth Professor of Anthropology and English (emeritus) at the University of Virginia. Professor Hymes died peacefully on Friday 13 November 2009 in Charlottesville, VA, USA.

A memorial service will be held on Saturday November 21 at 1:00 at Peace Lutheran church, 1510 Broad Crossing Rd, Charlottesville, VA 22911-7483.

A memorial gathering has been organized for the upcoming meeting of the American Anthropological Association in Philadelphia, PA. The gathering will take place on Saturday December 5, 2009 from 7:30-9:30 pm in Grand Ballroom III of the Courtyard Marriott.

Condolences may be addressed to Virginia Hymes care of the Department of Anthropology, PO Box 400120, Charlottesville, VA, 22904-4120, USA.

Thanks to Prof Hymes' former student, Prof Alicia Pousada, for sending the news. He will be missed.

2009年11月17日火曜日

『越境する文学』(水声社)

土屋勝彦編『越境する文学』(水声社)に寄稿しました。一昨年の名古屋市立大学におけるシンポジウムから派生した本です。

ぼくのはエドゥアール・グリッサンの『第四世紀』をめぐる論考。ほんとうは『第四世紀』の翻訳が完成したときに「あとがき」として使うつもりだったのですが、翻訳が遅れていて。

来年にはなんとか。その場合、「あとがき」はまた画期的な別稿を準備します。

2009年11月16日月曜日

エコクリティシズムと日本文学研究

1月のシンポジウムのお知らせです。残念ながら、ぼくは行事が重なってゆけず。われらが若き同僚、波戸岡さんも登場します。

国際シンポジウム

「エコクリティシズムと日本文学研究—自然環境と都市」

 日本文学研究に「エコクリティシズム」すなわち「環境文学研究」の視点を導入することにより、日本文学/文化と自然環境の関係、その思考と表象のありかたを歴史的に検討する。

 「環境問題」が多様な学問分野に波及しつつある昨今、文学もまたその一翼を担うためには、どのようなアプローチが可能であるか、とりわけ日本文学が歴史的に形づくってきた〈自然〉という表象ないし意匠にはどのような特性があるのか、また、日本文学における特性は現今の環境問題を考える際、どのような意味をもたらすことになるのか。

 「環境問題」はすぐれて政治的、社会的な課題としてすでに重視されているが、文学からのアプローチは、この問題が本質的な意味で “文化的”な課題でもあることを示唆しようとするものである。〈自然〉と人間との関係は、文化と知の根源にかかわる問題であり、それは言語、思想からテクノロジーに至る多様な〈文化〉の諸相に通底する共通基盤である。本シンポジウムは、日本文学の表象と思想はいかなる「自然観」を具現化しているのかを、多様な視点から集中的に明らかにする試みである。

日時 2010年1月9日(土)〜10日(日)
場所 池袋キャンパス 太刀川記念館3F多目的ホール
対象者 本学学生、教職員、校友、一般

内容 【第1日目】1月9日(土) 
13:00〜13:05 開会の挨拶:加藤睦(立教大学)

13:05〜14:30 基調講演
四季の文化—二次自然の表象と社会 
講師:ハルオ・シラネ(コロンビア大学)
司会:加藤睦(立教大学)
    
14:30〜14:40 休憩

14:40〜16:30 シンポジウム1:二次自然と野生の自然
司会:野田研一(立教大学)
講師:加藤幸子(作家)/小峯和明(立教大学) /佐藤泉(青山学院大学)/ジャック・ストーンマン(ブリガム・ヤング大学)/北條勝貴(上智大学)/舛谷鋭(立教大学)/山里勝己(琉球大学)
コメンテーター:沖森卓也(立教大学)/千石英世(立教大学)

16:30〜16:45 休憩

16:45〜18:00 シンポジウム1:質疑

18:30〜 懇親会

【第2日目】1月10日(日)
10:00〜12:00 ワークショップA:自然描写の近代と前近代
司会:藤井淑禎(立教大学)
パネリスト:王成(中国首都師範大学)/北川扶生子(鳥取大学)/クリスティーナ・ラフィン(ブリティッシュコロンビア大学)/柴山紗惠子(コロンビア大学)/新保邦寛(筑波大学)/照沼麻衣子(立教大学)/天満尚仁(立教大学)/ピーター・フルッキガー(パモナ大学)

12:00〜13:00 昼食

13:00〜15:00 ワークショップB:大衆文化の表象と環境
司会:鈴木登美(コロンビア大学)
パネリスト:片山宏行(青山学院大学)/中村優子(立教大学)/丹羽みさと(立教大学)/波戸岡景太(明治大学)/浜田雄介(成蹊大学)/藤井貴志(立教大学)/山本洋平(立教大学)/若松伸哉(青山学院大学)

15:00〜15:30 休憩

15:30〜17:00 シンポジウム2:中央と周辺
司会:篠原進(青山学院大学)
講師:大屋多詠子(青山学院大学)/加藤定彦(立教大学)/ケヴィン・M・ドーク(ジョージタウン大学)/小林実(十文字学園女子大学)/松田宏一郎(立教大学)/安原真琴(立教大学)

17:00〜18:30 全体討論
司会:渡辺憲司(立教大学)
総括コメンテーター:石川巧(立教大学)/小嶋菜温子(立教大学)/サカエ・ムラカミ・ジルー(ストラスブール大学)/ミハエル・キンスキー(フランクフルト大学)/結城正美(金沢大学)

18:30 閉会の挨拶:渡辺憲司(立教大学)

*プログラムの発言者は50音順に表記しています。
受講料 無料
申込 不要
主催 立教大学大学院文学研究科日本文学専攻
共催 青山学院大学文学部日本文学科
コロンビア大学東アジア言語・文化学部
【後援】
立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科
立教大学ESD研究センター
立教大学観光学研究所
立教大学日本学研究所
問合せ先 国際シンポジウム「エコクリティシズムと日本文学研究」運営委員会
ESD研究センター内 照沼
TEL&FAX:03−3985−2686

第2回「デジ研」は12月9日(水)

以下のようにデジ研(テキストコンテンツのデジタル配信に関する勉強・研究会)第2回を開催します。お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。(仲野くん、またよろしく!)



● 電子出版、デジタル配信の可能性を探る勉強会です。

● Blogやメールマガジン等に代表されるテキストコンテンツのデジタル配信の商業化が進むなか、電子書籍の商業利用(有料コンテンツの販売等)も一般化されはじめています。未だ決定的なシステムやモデルが存在しない状況とはいえ、国内外の既存の出版社や電子出版ベンチャーなどにより、実践的な試みが数多くなされています。
  
● “書物”とは読まれて初めてその力を発揮するものであり、その配信の可能性の広がる今、どのように“書物”を“読者”に届けるのか、その可能性を議論する場になればと思います。

■ 音楽のデジタル化がCDやレコード産業に及ぼした大きな地殻変動は、出版産業にも遅からず起こりうる変動だと仮定し、その時、私たちに何ができるのかということを一緒に考えてゆければと思います。

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・デジ研(第二回)

日時: 2009年12月9日(水)/午後7時〜(6時半オープン)
会場: 明治大学秋葉原サテライトキャンパス

【共催】
・明治大学理工学研究科新領域創造専攻DC系
・デジ研:
代表: 田内万里夫(株式会社アウルズ・エージェンシー)
代表: 深澤晴彦 (株式会社ユナイテッド・ブックス)

2009年11月14日土曜日

IMAGINASIAにむかって

13日の金曜日、政治大学との交流セッション。

ふりしきる雨の中、台北動物園近くのキャンパスにむかう。ジャーナリズム・ビルディングのテレビ・スタジオで、いよいよ共同ワークショップにむけた最初の一歩。

まず、盧老師とぼくが簡単に挨拶したのち、早速、畠中景子のプレゼンテーション。いろいろな人に噛んでもらったグミを「彫刻」として提示する作品に、みんな興味津々。ついで高梨こずえの、ある若い女性同性愛者を追った写真にも、多くの人が強い反応をしめした。

それから発表は台湾側に移り、女性ホルモンを飲み続ける性同一性障害者の男性へのインタビューを中心とするドキュメンタリー・フィルム。主題として高梨の写真とみごとにつながった。台湾側は、今年スタートしたばかりのディジタルコンテンツ修士課程1年生が主体で、プログラムの大きさがほぼおなじなのも好都合(ただし設備・資金力などはむこうが比べ物にならないほど上)。

来春までに、まずは共同のウェブサイトを運営しつつ、双方からたとえば2名ずつのチームを作り、ディジタルストーリーテリング、ドキュメンタリー制作などにとりくみたい。

午後はみんなでマイクロバスに乗って故宮博物館に。おそるべきゆたかさ。ぼくは特に書の世界に見とれる。それから台北市庁舎にゆき、360度スクリーンに上映される台北市紹介ビデオを2本(15分程度のもの)。これはいずれも盧老師が制作に関わっていて、みごとなできばえ。

最後に市庁舎内の中華料理店での晩餐に招待していただいた。あまりに完璧なホスピタリティに感動。しかし重ねられる杯(38度のコーリャン酒!)に、こっちはとてもついてゆけず、なんとも情けない。ナボコフを専攻している英文学者の女性が、顔色ひとつ変えず次々に乾杯を(文字通りに)実行するのを見て、畏敬の念に打たれた。

とにかく先生方も学生のみんなも、温かく、こまやか。今後も、親しく友人としてつきあってゆきたい人ばかりだ。来年は、どんな展開を見せるか? ぜひ政治大学側の学生にも(特に助手のヴィクターたちには)東京に遊びにきてほしい。

ぼくの個人的プロジェクトとしては、淡水河と多摩川の河口部汽水域の比較研究がある。Estuaries... いつかは、かたちにしたい。

共同ワークショップとは別に、台北に新たにオープンするメディアアートセンターでの展示も可能性がある。われらが宮下さんの作品なども、ぜひそこで。

「土曜訪問」

きょう14日の東京新聞/中日新聞の「土曜訪問」に出ています。先週が内藤礼さんだったのも不思議なシンクロ。早くもオンラインで読めるのに驚いた。

とはいえこうした聞き書きのつねで、小さな誤解が入ってくるのは避けられない。ちょっとだけ訂正させてください。

ぼくが「クレオル文学」という呼び名を使うのはクレオル語で書かれているか、会話の大きな部分がクレオル語になっているものだけ。英語圏のウォルコット、キンケイドはもちろん、フランス語圏のコンデやグリッサンも「クレオル文学」と呼んだことはない。「カリブ海文学」ないしは「アンティーユ文学」。

アメリカに最初に留学したのは、20年前ではなくほとんど30年前。

『ホノルル、ブラジル』と『本は読めないものだから心配するな』はまったく内容も性格もちがう本で、後者はいわば『コヨーテ読書2』としての意味をもっている(これだけ、ちょっと強調)。

まあ、小さなことばかりですが。生田まで取材に来ていただいた大日方さん、どうもありがとうございました。

いずれにせよ、来年こそグリッサンを出さなくては。

2009年11月12日木曜日

「世界187の顔」

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の写真展「世界187の顔」を明大前のキッド・アイラック・アートホールで見た。

ことばを失い、何もいえない。強烈。われわれは何も見ていない。それに対して、この協会員のみなさんは。日本のフォトジャーナリズムの水準の高さを思い知らされた。

そしてもちろん大切なのは、そんな水準の評価よりも、そのむこうの世界そのもの。

佐藤文則さんのイベント(「陰に追いやられる難民申請者」11月5日)に行けなかったのが、かえすがえすも残念。他のみなさんの写真も、メッセージも、胸をつくものばかり。

このJVJAからのパネルの貸し出しというかたちで、写真展を開催できるようだ。明治も生田はちょっと集客には弱いけれど、駿河台の図書館でやってみれば、ずいぶんいろんな人が見るだろう。

ともあれ、15日(日)まで。和泉校舎のみなさん、明大前に用があるみなさん、ぜひ立ち寄ってみてください。

阿蘇、ハーン、グリッサン

週末、フランス文学会のため熊本大学へ。

キャンパスに入ると、ラフカディオ・ハーンの銅像! いいぞ。あいつはほんとにすごいやつ。

ぼくは会員ではないのだけれど、日曜日に行われた「クレオール再考」と題したワークショップに参加。中村隆之、塚本昌則、(ぼく)、恒川邦夫のみなさんが順にしゃべった。構成と司会は熊本県立大学の砂野幸稔さん。ありがとうございました。

ひとりあたりの持ち時間が少なかったけれど、相当に広がりのある、本質的な話だったと思う。どこかで文章にまとめたいもの。

翌日、午後の飛行機に乗るまえに、あちこち走ってみた。いい天気で、快適そのもの。白川水源、蘇陽峡、そして阿蘇山一周。外輪山の美しさ。それから最後はいよいよ阿蘇火口で仕上げ。

阿蘇は高校の修学旅行以来だ(1975年)。今回はあのすさまじい火口がよく見えて、緑色の水(お湯?)の強烈さに圧倒された。火山はいい。いつかはエンペドクレスのように?

帰って、火曜日は一日中びっしり、あれこれ。きょうは12月刊行の本のゲラを戻し、来春刊行の中村隆之訳エドゥアール・グリッサン『フォークナー、ミシシッピ』のゲラのコピーをもらう。これは驚くべき好著。

来年は、来年こそは、グリッサンの年になるだろう。

明日、木曜日から台湾の政治大学を訪問してきます。来春の共同ワークショップの打ち合わせが大きな使命。IMAGINASIA!

2009年11月6日金曜日

「世界中のアフリカ2010」

ちょっと早すぎるけど、まあ、いいか。みなさん、大切な発表があります。

新年をむかえて1月9日(土)、在日アフリカ知識人たちとアフリカの現在を熱く語り抜きついでに踊る、すごいイベントをやります。題して『世界中のアフリカ2010』。

詳細はいずれお知らせします。場所は新宿某所。会場費・出演者謝礼として入場料をいただくことになりますが許されよ。その分、思いっきりおもしろい場にします、エンドレスで!

まずは1月9日を空けておいてください。

映画の変な連鎖

このところ見ている映画作品のつながりが、妙な糸をつむいでゆくのがおもしろい。意図を超えている。何かがつながってゆく。

張作驥『黒暗之夏』、金基徳『サマリア』、王家衛『欲望の翼』、張芸謀『幸福時光』、陸川『ココシリ』、トム・ティクヴァ『ラン、ローラ、ラン』、ハル・ハートリー『フラート』。

『黒暗之夏』から『幸福時光』は盲目という主題がつなげ、『ラン、ローラ、ラン』と『フラート』はおなじ話の3つのヴァリエーションが両者を並列する。

他にもいろんなかたちでいろんな要素がつながってくる。ということは。映画にも「本」という単位を超えた次元があるということだ。

大学院生の何人かと一緒に見ていると、かれらが細部に気づく繊細さがどんどん研ぎすまされてくるのが、手に取るようにわかる。見て、記憶すること。この基本作業を、きちんと続けていく必要がある。

それはともかく。『黒暗之夏』『幸福時光』が並んだら、『珈琲時光』を置かないわけにはいかない。年末のパーティーには、それを見ることにするか。

2009年11月4日水曜日

北欧シンクロニシティ

なぜか、北欧が重なっている。

昨日、打ち合わせに神保町に行って、入った喫茶店がどことなく京都めいたお店。いいジャズがかかっていたが、店の主題はなぜかノルウェー。ノルウェー情報であふれている。

きょう、麻布十番のgm tenで見たのがフィンランド在住のアーティスト、ネネツボイの作品展。ふしぎに明るいユーモア。ネネツボイという名前のフィンランド人だとばかり思ってたら、つぼいさんという日本人だそうだ。フィンランドを舞台にした映画『かもめ食堂』がおもしろいと学生たちがいっていたのも思い出す。展示の仕方がすごく参考になった。

そしていま読んでいる本が、そろえるつもりもなかったのだけれど、『よみがえれ! 夢の国アイスランド』。いわば北欧中の北欧。

こうしてみると、来年は北欧をめざすしかなさそう。

2009年11月3日火曜日

満月とハクビシン

満月の論理に一般と特定の区別はない
眺める人の心に月影の紋様が浮かぶだけ
ネットワークは幾何学的に発生し
ときどき氷のように光が凝固する
たくさんの団子をすすきとともに供えてみた
ハクビシンの親子が物欲しげに見るのを
ウクライナ人の老女がけらけら笑いながら見ている
秋のこの時期こそ祭礼の夜
循環する時間が声のように聞こえてくる
楽しいね、楽しかったね、楽しいね
もう来ないね、また来るさ、また来るよ
荒城に登りて楼閣を燃やし
それを松明として以て絶対的な持続を照明するのみ
輝けよ縞の尾
きらめけよ妖しい鼻
満月の無垢が砕け散りたくさんの団子となる

書肆吉成完成!

札幌で古書店を営む吉成くん、ついに「実店舗」が完成しました。

http://diary.camenosima.com/

書肆吉成の、新しい展開がはじまります。おめでとう!これからも「アフンルパル通信」をよろしく。

『チョコラ!』上映会@和光大学

12月19日(土)午後2時から、和光大学でドキュメンタリー映画『チョコラ!』の上映会とシンポジウムがあります。ぼくも参加します。

監督の小林茂さんとぼく、そして和光のファカルティから西研、道場親信、ロバート・リケットのみなさん。アフリカのことを何も知らないぼくには何もいえることがないのですが、このすばらしい作品はぜひたくさんの人に見ていただきたいので、少しでもそのお手伝いができるなら。

学生時代に一緒に授業に出ていた哲学者の西くんとは、20数年ぶりの再会になります。それも楽しみ(授業というのは社会学者の宮島喬先生の「フランス5月革命(68年5月の運動)論」などで、思えばそのころは「5月革命から10年か」などという言葉がリアリティをもっていた時代でした。え、30年前か!)。

12月19日は鶴川に集合!

「週刊金曜日」10月30日号

「週刊金曜日」読書欄の「陣野俊史が選ぶ3冊」に、『本は読めないものだから心配するな』が紹介されました。他の2冊はECD『暮らしの手帖』(扶桑社)と中村文則『掏摸』(河出書房新社)です。

陣野さん、どうもありがとう(と、お礼をいわれても困ると思いますが)。また渋さのコンサートか何かで会いましょう!

佐川光晴さん

まだまだ鬼に笑われそうな話ですが、年が明けて2月11日、池袋のジュンク堂で小説家の佐川光晴さんと対談します。

佐川くんは、彼がまだ北大の学生だったころからの知り合い。それから20年以上、思えば「文学」の話なんてしたことがなかった! でも彼の生き方そのものが、「文学から文学を生む」やつらの対極。話題はたぶん「読書と南米」とでもいった方向になるのかな。

ぜひ来てください。

『斜線の旅』

そして11月。北では初雪か。どんどん冬になってほしい。

インスクリプトのページを見ると、すでに『斜線の旅』が予告されている。

http://inscriptinfo.blogspot.com/

いま、ゲラを見ています。タイトルはこれで確定。ジル・ラプージュの弟子としてのぼくの、2006年から9年にかけての「風の旅人」での連載23回分をまとめたもの。

去年の学習院の「トラヴェル・ライティング」のみんな、ぜひ読んでください。今年のクリスマス本です!