2009年8月31日月曜日

ハンドアウトの解説

ASLEでのぼくのハンドアウトの解説を記しておきます。説明する時間がなかったので。

表。左上から時計回りで。
西オーストラリアのアボリジニ絵画に描かれた地理学。
スペイン、ガリシア地方における岩石絵画と馬の放牧コースの一致。
イングランド南部、メイドン・キャッスルの迷路。
リチャード・セラのパリのチュイルリ公園に設置された彫刻。
1800年ごろのロンドンからドーヴァーへの道の地図。
イングランド北部、ハドリアヌスの城壁。

裏。左上から時計回りで。
二頭のチャウチャウを連れて散歩するジョージア・オキーフ。
プエルトリコのパフォーマンス・アーティスト、パポ・コロの「スーパーマン51」。
19世紀、アビシニア(エチオピア)の都市ハラールの街路。
リチャード・ロングの有名な「歩行によりできた線」。
デニス・オッペンハイムの「年輪」。
ナスカの地上絵を歩くマリア・ライヒェ。

ASLE-Japan 2009

週末、清里のキープ協会清泉寮で行われたASLE(文学=環境学会)に参加。

ぼくらのセッションは日曜日の午後。「WALKING 歩行という経験」と題して、以下の5人がそれぞれに発表した。まず、ぼくが簡単なイントロダクションとして歩行の目的別の分類とブルース・チャトウィンについて。ついで宇野澤昌樹(DC系修士2年)がパリを歩く堀江敏幸について、伊藤貴弘(教養デザイン修士2年)が尾仲浩二と村越としやの「地方」写真について、パコ・ガルシア(DC系修士2年)が日本の伝統的身体技法であるナンバ歩きについて、最後にダニエラ加藤(明治大学ほか講師)が歩くことの伝統をイギリスの詩人や「歩くアーティスト」に探るかたちで、それぞれ。

ひとり12分程度という限られた時間だった割には、まずまずいろいろな方向性を出せてよかった。あとはこれを出発点として、12月の明治大学生田図書館ギャラリー・ゼロでの図書展示とインスタレーション「Walking」につなげていくこと。

アメリカの代表的日本文学研究者のひとりであるコロンビア大学のハルオ・シラネさんによる基調講演にはじまり、いろいろおもしろいお話が聞けた3日間だった。特に、夜の懇親会(「とっておきの1冊」を紹介)、交流会(みんながもちよった質問にみんなが答える)、早朝の散歩(川俣渓谷を歩く)、夜の森の体験、午後の『西の魔女が死んだ』の家を訪ねるハイキングなどが、楽しい経験だった。

またアイヌの活動家、長谷川修さんのお話は、胸を突かれることの連続だった。

人文学のすべての側面が、すでに生態学的意識を抜きにしては語れなくなっている。文学に興味があり、自然や動物について少しでも考えたことがある人、ぜひASLEに加入してください。一緒に歩いたり、本を読んだりしましょう。

2009年8月29日土曜日

政治?

選挙って、うるさい。なぜあんなにスピーカーで増幅した声で、名前を連呼するんだろう。車で走り回って。白い手袋をはめたり、タスキをかけたり。21世紀になってもこんなことをやっているとは、前世紀には思ってもみなかった。

選挙のたびに思い出すのがソローの次の言葉。

「政治にしたって、政治に固有の場所を占めているだけのことで、世界全体を独占しているわけじゃありませんからね」

そして「政治家」たちの世界は、そんな政治の場所と比べてさえ、はるかにはるかに小さい。

2009年8月27日木曜日

名古屋セッションの終了

名古屋市立大学での4日間の集中講義、ぶじ終了。

現代文化の条件を論じるために過去500年のカリブ海を見直しておこう、というのが出発点。年表を順次追ったり、国別(島別)に紹介したりというスタイルではなくて、時間も空間も言語もとびこえていくつかの文章の断片を読み、むすびつけてゆくというかたちだったので、理解しづらい人もいたみたいだったが、全体としては非常に反応がよかったと思う。最後の時間に筆記試験。その問題は以下のとおり。

(1)授業を通じてあなたが発見したことを3点あげて、解説を加えなさい。
(2)授業でふれた内容を生かすかたちであなた自身の「問い」を作成し、自分で答えなさい。

さすがにこの問題だと、15人の答案がみごとに千差万別。採点するほうも、非常におもしろかった。

採点表を提出して、夕方はドイツ文化研究会での講演。翻訳と文学について、漠然と思っていることを話す。あまりまとまりがなかったが、文学関係者以外でも、文化人類学者の野村さんや精神科医の鈴木さんらがわざわざ聞きにきてくださって、とてもありがたかった。でも分野を超えた議論をうまく作り出すことができなかったのは、こっちの力不足。

これからさらに考えて、異文化間のコミュニケーションも、精神病理も、文学創作も、動物芸も、いずれはすべて「翻訳」という観点から論じられるようにしたい。


ともあれ、いい経験だった。誘いの声をかけてくださった土屋さん、ありがとうございました。また、この機会にアリゾナ時代の友人、経済学者の森さんとも10数年ぶりに再会できて、大変にうれしかった。

人の永遠の別れはいつやってくるともしれないのだから、友人たちとの再会は、できるときにしておきたいもの。

水の宇宙船

名古屋で、ほんとうにひさしぶりに栄の地下街を端から端まで歩いた。

30数年前、中学・高校のころはこの地下街が通学路。バスの乗り換えの都合で、西の端から東の端まで、学校がある日には必ず歩いた。いまは商店の並びはもちろん変わっているけれど、そして書店にも名前が変わったところがあるけれど、基本構造は変わらず。地下街とは19世紀的アーケードが地下に潜ったもの。人の顔、顔、顔が、怖いくらいの波となって押し寄せてくる。

それから地上に出ると、むかしのバスターミナルが宇宙船になっていた! 水の宇宙船。屋上庭園にでっかい池が作られている。綺想、名古屋ならではの。2002年にはできていたというのだが、初めて来た。過去7年ほども、栄にはほとんど来てなかったということか。

おなじひとつの都市の中でも、行く場所、行かない場所は、はっきり分かれるもんだなあ、と改めて思った。人それぞれのケモノ道が、年ごとに変化してゆくわけだ。

2009年8月25日火曜日

世界最長寿のゴリラ

きょう見かけたポスターで知って、じーんと感動したこと。

名古屋の東山動物園のゴリラのうち最年長のオキは、1959年に3歳で東山に来て、今年で50年。押しも押されもせぬ、世界最長寿のゴリラだ。

ということは。1964年ごろ、幼稚園児だったぼくが東山動物園に行って見た、たぶん初めて実物を見た、あのときのゴリラが、オキだったわけだ! 

なんという生涯。どれだけの人間を観察し、どれだけの時間を瞑想にふけり、どれだけの英知をたくわえてきたことか彼女は。ただわれわれに、それを知るすべがないだけ。そして50年におよび彼女を囚われの身としたことを、詫びる方法もないだけ。

ありがとう、オキ、おばあちゃん! 近いうちに会いに行きます。せめて生の声で、お礼をいわせてください。

2009年8月21日金曜日

POLART

荒木経惟さんのポラロイド写真展『POLART』が最終日なので、ラットホール・ギャラリーに行ってきた。

これは... 言葉が続かない。ヌードはもちろんだが、空も樹木もおもちゃも猫も食物も、arresting そのもの。こんなふうに撮ってみたかった、並べてみたかった。誰にもまねできっこないけれど。そもそもポラロイドで青空が撮れるとは思ってなかった(いつも失敗してばかりだったので)。

このシリーズを収めた写真集も発売されていたが、本では衝撃がなくなる。展示の力がなくなる。

まったく驚くべき作品群だった。

校正終了

9月24日発売予定のエッセー集、『本は読めないものだから心配するな』(左右社)の校正をやっと終えた。

巻末に書き足したごく短い文を除けば、すべて過去10年間に発表したものばかり。散逸するばかりだった文たちの、同窓会みたいなものか。

読書論と書評が主体だが、いくつか少しだけ長い文も入っている。多和田葉子とか、動物説教とか、翻訳をめぐって。

あとは完成の日が楽しみ。同時発売の清岡さん、波戸岡さんと、祝杯をあげよう。

2009年8月17日月曜日

クマが眠れない島、山?

以下、米田一彦『クマは眠れない』(東京新聞出版局)からの引用です。同書、43〜44ページ。

「私という存在は、いつもクマの死とともにあった。涙の後に花を愛でることも許されない日々だった。暗やみに松明を灯そうにも、いつも涙雨に消された。私はいつも生き物の生死のあり方を自分に問うてきた。歩いているブナの林間で、ふと気高い樹冠を見上げるとき、私の胸に『絶滅』という二文字が去来する。

 日本人はクマを、この日本から駆逐するのか、残すのか。

 私は、「クマ」と「自然の森」と「そこに棲むあらゆる野生生物の豊かな生態系」は同義語であり、クマを守るためには森全体の保全が必要で、したがってクマが守られればすべてが守られるのではないか、と思っている。単なる除去論は、二一世紀の地球人が目指そうとする野生動物との共存理念に逆行するものだろう。仙台、広島、札幌。百万都市にクマが棲む国は日本だけではないだろうか。世界に冠たる日本の自然環境を誇るなら、クマと共存すべきだ。

 『クマは世界に誇る日本の宝』だということを、われわれ日本人だけが気づいていないのではないだろうか。クマ(森)との共生という思想は、縄文以来の日本古来の伝統文化そのものではなかったか。」

「図書新聞」8月15日号

留守中に出ていたのが図書新聞。

4月に出版された宇野邦一『ハーンと八雲』(角川春樹事務所)の書評を書いた。

ハーンの大きさが、改めてわかったような気がする。ハーンの英語圏での評価は、まだまだこれから高まっていくだろう。そのとき、宇野さんや西成彦さんのハーン論が、当然、大きな刺激になるはず。ただ、それを受けとめるだけの外国の文学研究者の数が、まだあまりにも少なすぎる。日本語が読める「日本文学者」にとっては、英語作家ハーンは二次的な興味の対象でしかないだろうし。

「国語」はおろか「作家」個人という<個>にすらとらわれないというのが「比較文学」という領域の唯一の約束事。日本語が読める非日本語系比較文学者は、たぶんいま、各地で育ちつつある。そうした人たちとの共同を作り出すのが、目下の課題のひとつ。

スコットランドの高地を3日がかりで

グレン・グールドやマーシャル・マクルーハンの研究者でロシア文学者でもある(音楽と文学とメディア論、カナダとロシア、すごい組み合わせ!)宮澤淳一さんのサイトを見ていると、サイト名について、以下のような説明があった。

「サイトの名称 walkingtune は, 作曲家パーシー・グレインジャー(1882-1961)の同名の作品に拠ります. 1899年,彼がスコットランドの高地を3日がかりで徒歩旅行したときに口ずさんだ旋律です.(各種の演奏・録音があります.)

グレインジャーは長らく忘れられていた作曲家ですが, 宮澤淳一はその日本での紹介に努めています」

3日間の徒歩旅行! スコットランドのハイランドを!それだけであまりにも魅力的。

聴いたことがない作曲家だが、こんど探してみよう。

2009年8月16日日曜日

転職10年

日本の大学ではじめて授業をもったのは、1999年夏。東大駒場での「カリブ海文学」の集中講義で、1週間かけてエメ・セゼールの『故郷への帰還のノート』を読んだ。他には映画『マルチニックの少年』や『アワラ・スープ』を見て。それを思うと、この10年、この方面ではまったく進歩がない。

出席してくれた学生は10名足らずだったが、工藤晋、中村隆之、藤田さつきなどとは、いまでも交遊が続いている。うれしいことだ。

その翌年から明治に勤めはじめ、その10年のあいだにも環境は激変しているし、学生たちのエートスも変わらないようでいて相当に変わっているように思う。

それもあたりまえか。修士1年の原一弘がいっていたが、物心ついたころメディアが「バブル崩壊」を叫び続け、小学校低学年でオウムや阪神大震災の報道に接した世代には、その世代なりの共有された世界観が生じないわけはない(ぼくらにとってはベトナム戦争であり、1968年であり、連合赤軍だったが)。

と書いているうちに、朝の最高の時間帯が終わり、気温が上がってきた。きょうはだらだら汗を流しながら、仕事にとりくむか。

デジタルへのシフト

今回のポリネシア旅行では、かねて愛用しているリコーのコンパクトカメラ2機種、GRのフィルムのやつとデジタルのやつをどちらも持って行ったのだが、結局、フィルムは8本持って行ったうちの1本しか撮らず。デジタルで2000枚くらい撮った。

フィルムの入れ替えが必要ないし、夜コンピュータに移して、あとは充電をちゃんとすれば、いくらでも撮れるし、消せる。

何より、いちばんいいのは、人物スナップを撮ったとき、その場で相手にも見てもらえること。この習慣が確立してしまえば(事実上そうなっているーーこどもたちはもうカメラとはそういうものだと思うようになっている)、旧来のようにその場で画像が見られず撮られただけというのは撮られるほうにとってあまりうれしくないことになるだろう。

ぼくはポラロイドが好きだったが、もうないし。2002年ごろは会う人ごとにチェキで2枚撮って、1枚を相手に、1枚を自分にというかたちで溜めていた。チェキはすごくいいけど機動性に欠けるし、フィルムがかなりかさばる。

たぶんこの夏をもって、全面的にデジタル化かな。あとはマニュアルのフォーカスとホワイトバランスの調整を学ばなくてはいけない。

でもGRS1台を使いつぶして写真集を1冊作るというところまでやってみたい気もする、いちどは。あいかわらずの犬猫写真でも。

踊るマリオ曼陀羅!

田内万里夫さんから、次回のイベントの案内をもらった。現役最高のストリッパー牧瀬茜さんのボディに、マリオくんのあの自然成長的曲線がライヴで描かれてゆく。これは強烈な予感! その日、ぼくは清里合宿なので行けないのが残念。みなさん、ぜひどうぞ。

クラブの名前がWomb Loungeだというのもすごいね。


“日本のトップ・ストリッパー・牧瀬茜の裸体が、アーティスト・田内万里夫によるボディ・ペインテイングで、踊るマリオ曼陀羅へと変身する。独自のエレクトロニック・ミュージックを世に放つNumb+Saidrum(EKOUNE SOUNDS)、METAMORPHOSE、FUJI ROCK FESTIVALなど数々のレイブやクラブ・ミュージックシーンで幅広い活動を展開するTARO ACIDA(Dub Squad, FLAT!)をゲストに迎え、ストリッパー、舞踏家など、身体表現者たちを撮り続ける写真家・谷口雅彦によるライブ・フォトセッション、cloudchair として活動中のJake(元GUNIW TOOLS、SUPER SOUL SONICS)が、異才・石田幾多郎とのアンサンブルで音響空間をデザイン。ストリップとアクション・ペインティングによる視覚世界を、容赦ない音像空間が包み込む。”(WOMB LOUNGE告知より)
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■ S/TRIP ■
@ WOMB LOUNGE (東京/渋谷)
8/29(土)
open: 13:30 / start: 14:00
close: 18:00
予約/前売: 2000yen + 1drink (500yen)
当日/door: 2500yen + 1drink (500yen)

ACT:
S/TRIP
牧瀬茜 (stripper)
田内万里夫 (painter)
谷口雅彦 (photographer)
cloudchair featuring 石田幾多郎 (music)

GUEST ACTS:
Numb + Saidrum (EKOUNE SOUNDS)
TARO ACIDA (DUB SQUAD、FLAT!)
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各出演者やメール予約などの情報は以下のURLよりご確認いただけます。http://mario-mandala.seesaa.net/article/125618625.html

サモアの夜

サモアではあちこちにファレがある。ふだん住んでいる西洋式の家屋とは別に、伝統的な、吹き抜けの、あずまやのような建物。夜になると暗闇の中、ファレに電灯がともり、人々が集まっている。

車座になって真剣に話し合いをしているところもあれば、おばあちゃんが小さな孫たちを1ダースくらいまとめて遊ばせているところもある。深夜、12時。あるファレでは老人がふたりぽつんと腰を下ろし、話をするでもなく、じっとそこにいる。また別のファレではごろりと横になったおばさんたちが何か冗談を言い合っている。そのままそこで眠るのだろうか。すずしい風に吹かれて。

昼間は怯えた顔で人を避ける痩せ犬たちが、夜には攻撃的になり、吠えかかってくる。群れをなして。これはトンガと共通。

ポリネシアの国々はどこも似ているけれど、サモアがいちばん人がフレンドリーだという気もする。

2009年8月3日月曜日

建築学科の「スタジオワークス展」

現在、明治大学生田図書館ギャラリー・ゼロでは、建築学科の3年生による「計画・設計スタジオワークス展2009」を開催中。9月13日まで。

さっき見てきたが、すばらしい出来映えだ!

川崎の、生田の近くに「子どもと老人のふれあいサポート施設」「文化交流センター」「多摩コミュニティコンベンションホール」の三つの公共施設を設定し、それを課題として設計する。

どれもよく考えられた、魅力的な建物。模型が非常によくできている。

理工学部では、建築学科にいちばんやる気がある子がたくさん集まっていることは、否定できない。やるか、やらないか。できるか、できないか。そして、大変な時間と労力を、つぎ込めるかどうか。それがきびしく問われることにかけては、やはり建築以上の学科は(平均的に見るなら)ないだろう。

時間と、作業。時間と、作業。結局それしかないことくらいわからないのか、といいたくなる相手が多いのは、別に学生に限った話ではないけれど。

背景と指導

日本語のアクセントはあまりに気ままで、ある単語をどう発音すればいいのかわからないことが多い。ぼくの場合、両親がそれぞれまったく別の地方の出身で、しかもそのいずれとも無縁の場所を転々として育ったため、アクセントに関しては正誤も何も(正誤があるとして)判断できないことが多い。

それでも、ときどき気づくことがある。

たとえば最近、「背景」を「拝啓」と、「指導」を「師道」と発音する人が多いなあ、と感じている。最近も、ある会議で、6人中4人が「背景」を「拝啓」(つまり「は」が高い)と発音するので、あれ?と思った。念のためアクセント辞典を調べてみると、やっぱり「背景」も「指導」もフラットだ。

まあ、どうでもいいことなのだが、ときどき、人にわざわざ非「標準」のほうに直されるときがある。

学生のころ、バイト先の出版社で「密教」の話になって、ぼくが「み」っきょう、と発音すると、その場にいた他のみんなから「みっきょう」(フラット)と訂正された。でも「新明解」は両者を併記している。

これも学部生のころ、ぼくが「ら」っこ、ってかわいいね、といったら、いまは高名な翻訳家になっている友人から「らっこ」(フラット)だと訂正された。しかも彼は何の根拠があってか、「本だけでことばを覚えたやつはそうなるんだよな」と付け加え、こっちもさすがにカチンときた。「新明解」は両者を併記している。

映画はぼくにとっては「え」いが、だが、これはいまは「えーが」(フラット)で発音する人のほうが多いみたい。「新明解」ではフラットは(新)。

まあ、アクセントは世につれ。こだわるつもりもない。「は」いけいも、「し」どうも、そう発音する人が多くなればやがてそうなっていくんだろう。

2009年8月2日日曜日

すごい一日

強烈な思考の竜巻だった。第1回・合同ゼミは10時に開始。ひとりあたり(質疑応答を入れて)20分の持ち時間で16名が発表。終了は、17時50分。

発表者は、以下のとおり。佐藤、原(一)、篠塚、宇野澤、黄、于、滝沢(以上、DC系学生)。ついで外部ゼミ生に移って、志村、河内、原(る)、佐々木、大洞、工藤、大塚、星の、賀内。最後にゲストの宮澤くんが感想を述べてくれた。

これに、カナダに里帰り中のパコ、アフリカ旅行中のケン、そして外部ゼミ生の安西、中村、敷田が加わったら、さらにすごいことになっていただろう。

あまりにも多岐にわたる問題の中から、共通するいくつかのトピックが浮上してきたのが不思議。

次は半年後、来年2月くらいに、年間のまとめを(合宿で?)開催してみたい。

古いともだちに電話

ともだちのAが、Bに行くことになった。
Bという土地の名はよく知っている、古いともだちのCが住んでいるから。
Cは30年前、20歳のころの親友だ。
ぼくはBに行ったことがない。
Cに電話をかけてみた。
ああ、C? ひさしぶり。元気?
なんとかやってるよ、とCがいった。30年になるなあ、そろそろ。どうして電話をくれなかったんだ?
ごめん、ごめん、なんか忙しくてさ、いろいろ。人生が。あのさ、Aっていうやつがいてね、こっちのともだちで。
そう?
そう。それで、そいつがこんどBに行くんだよ。ていうか、もう行ってる。
そう?
そう。それで、そいつに会って、そっちのようすや生活を、教えてやってくれないかな。
ああ、いいよ。よろこんで。明日の朝にでも、会ってみるよ。
ありがとう、C。きみにも会いたいよ、また。そのうち会わなくちゃ。
ああ。いつでもいいよ、来てくれるなら。こっちからは行けないからなあ。
そうだね。じゃあ、Aをよろしく。
ああ、心配しなくていいよ。すぐ親しくなるから。Aはおまえのともだちだろ? だったら、すでにおれのともだちだよ。
うん。じゃあ、また。ありがとう。
うん、また会おう、いつか。

ぼくは電話を切った。Aは、もうBに着いている。その電話は、一度だけ、かけることが許されている電話。
Cがそういってくれただけで、ぼくは何かなぐさめられた気持ちになった。
ぼくはまだBには行かない、行けない。
でもいつか、必ず、BでAやCと再会する。
そのときまでは、日々の仕事がつづく、生活がつづく。