2009年7月28日火曜日

報道写真の傑作

こないだ、宇宙飛行士の若田さんが宇宙から撮影したカムチャツカ半島の火山の噴火写真に感動したけれど、またすごい傑作。

7月25日(土)の朝日新聞に掲載。キャプションには「高架下の道路で、ライトがついたままの自動車が水没していた」とある。撮影場所は福岡市南区大橋、古田大輔撮影。

異常な状況下の、異様な美しさだ。報道写真はおもしろい。

原瑠美の36冊

外部ゼミ生、原瑠美さんのリストです。もともと日本文学を勉強していて、いまは企業で翻訳の仕事をしている彼女、これからどんな展開を見せるのか、楽しみ。日曜日もよろしく!

1. 自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

中川李枝子作、大村百合子画『いやいやえん』(福音館書店、1962年)
平岩弓枝『風子』(新潮社、1978年)
泉鏡花『高野聖・眉かくしの霊』(岩波文庫、1992年)
今井源衛他校注『堤中納言物語・とりかへばや物語(新日本古典文学体系26)』(岩波書店、1992年)
河合隼雄『明恵夢を生きる』(講談社+α文庫、1995年)
米井力也『キリシタンの文学』(平凡社、1998年)
ロラン・バルト『記号の国1970(ロラン・バルト著作集7)』(石川美子訳、みすず書房、2004年)
福田恆存『私の幸福論』(ちくま文庫、1998年)
安田登『ワキから見る能世界』(NHK出版、2006年)
Bataille, George “L’érotisme” (Les éditions de minuit, 1957)
Jung, C. G. “The Archetypes and The Collective Unconscious (Collected Works of C.G. Jung Vol. 9 Part 1)” (Princeton University Press, 1981)
Tyler, Royall “Japanese No Dramas” (Penguin Classics, 1992)

2. 自分が専門と呼びたい分野の12冊(アート、都市、廃墟)

赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊編『路上観察学入門』(ちくま文庫、1993年)
クリストファー・ウッドワード『廃墟論』(森夏樹訳、青土社、2003年)
海野弘『パトロン物語—アートとマネーの不可思議な関係—』(角川書店、2002年)
ドミニック・オドルリ、ラファエル・スシエ、リュック・ヴィラール『世界遺産』(水嶋英治訳、白水社文庫クセジュ、2005年)
谷川 渥『廃墟の美学』(集英社、2003年)
ルネ・デヴナン『伝説の国』(笹本孝訳、白水社文庫クセジュ、1978年)
中沢新一『芸術人類学』(みすず書房、2006年)
長谷川如是閑『倫敦!倫敦?』(岩波文庫、1996年)
バルテゥス、セミール・ゼキ『芸術と脳科学の対話―バルテュスとゼキによる本質的なものの探求』(桑田光平訳、青土社、2007年)
前田愛『都市空間と文学』(筑摩書房、1992年)
ル・コルビュジエ、ポール・オトレ『ムンダネウム』(山名義之・桑田光平訳、筑摩書房、2009年)
Gabriel Bauret, Ikko Narahara “Ikko Narahara photographies 1954-2000” (Maison européene de la photographie, 2002)


3. 「現代性」を主題とする12冊

デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳、集英社文庫、1998年)
小山登美男『現代アートビジネス』(アスキー・メディアワークス、2008年)
坂口安吾『堕落論』(新潮文庫、2000年)
島田雅彦『退廃礼讃』(読売新聞社、1998年)
ダグラス・K・スミス、ロバート・C・アレキサンダー『取り逃がした未来—世界初のパソコン発明をふいにしたゼロックスの物語—』(山崎賢治訳、日本評論社、2005年)
アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア―刻印された時間—』(鴻英良訳、キネマ旬報社、1988年)
坪内祐三『靖国』(新潮文庫、2001年)
中上健次『現代小説の方法』(作品社、2007年)
中沢新一『緑の資本論』(集英社、2002年)
四方田犬彦『日本のマラーノ文学』(人文書院、2007年)
Philip K. Dick “Do Androids Dream of Electric Sheep?” (Orion Publishing Group, 1968)

工藤晋の36冊

外部ゼミ生で友人の工藤晋のセレクションです。彼はジャズ・ピアニストで都立高校の英語の先生。即興の哲学には、ぼくも大いに興味があります。


自分の考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊

1) 串田孫一『光と翳の領域』、1973年、講談社文庫
2) ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(1912)、豊島与志雄訳、岩波文庫
3) フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(1885)、氷上英廣訳、岩波文庫
4) 森有正『バビロンの流れのほとりにて』(1957)、筑摩書房、1978年
5) 村上春樹『風の歌を聴け』(1979)、講談社文庫
6) 小川国夫『海からの光』(1973)、講談社文庫
7) 西脇順三郎『あむばるわりあ』(1947)、筑摩書房、1982年
8) ルネ・デカルト『方法序説』(1637)、落合太郎訳、岩波文庫、1979年
9) ブレーズ・パスカル『パンセ』(1670)、前田陽一責任編集、中央公論社、1978年
10) 山口昌男監修『説き語り記号論』、国文社、1983年
11) 丸山圭三郎『ソシュールを読む』、岩波書店、1983年
12) 山下邦彦編集『キース・ジャレット 音楽のすべてを語る』、立東社、1989年


今回の「専門」とする12冊

1) エドゥアール・グリッサン『〈関係〉の詩学』(1990)、管啓次郎訳、インスクリプト、2000年
2) エドゥアール・グリッサン『多様なるものの詩学序説』(1996)、小野正嗣訳、以文社、2007年
3) エドゥアール・グリッサン『全-世界論』(1997)、恒川邦夫訳、みすず書房、2000年
4) ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』(1993)、上野俊哉、毛利嘉孝、鈴木慎一郎訳、月曜社、2006年
5) ウィリアム・フォークナー『アブサロム・アブサロム』(1936)、高橋正雄訳、1998年
6) ガストン・バシュラール『空間の詩学』(1957)、岩村行雄訳、ちくま学芸文庫、2002年
7) ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ『知恵の樹』(1980)、管啓次郎訳、ちくま学芸文庫、1997年
8) ウンベルト・エーコ『開かれた作品』(1967)、篠原資明、和田忠彦訳、青土社、2002年
9) デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(1980)、竹田賢一、木幡和枝、斉藤栄一訳、工作舎、1981年
10) 山下邦彦、ティモシー・ヒル編訳『インナービューズ キース・ジャレット』、太田出版、2001年
11) リロイ・ジョーンズ『ブルースの魂 白いアメリカの黒い音楽』(1963)、上林澄雄訳、音楽の友社、1965年
12) アリストテレス『詩学』、松本仁助、岡道男訳、岩波文庫、1997年


「現代性」を主題とする12冊

1) 今福龍太『群島-世界論』、岩波書店、2008年
2) 管啓次郎『オムニフォン』、岩波書店、2005年
3) 市田良彦『ランシエール 新〈音楽の哲学〉』、白水社、2007年
4) 石田英敬『記号の知/メディアの知』、東京大学出版会、2003年
5) ベルナール・スティグレール『技術と時間1 エピメテウスの過失』(1994)、石田英敬監修、法政大学出版会、2009年
6) ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(1980)、宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明訳、河出書房新社、1994年
7) ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』(1970)、岡田温司、岡部宗吉、多賀健太郎訳、人文書院、2002年
8) ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』、山田登世子訳、1987年
9) 石塚道子、田沼幸子、富山一郎『ポスト・ユートピアの人類学』、人文書院、2008年
10) 鵜飼哲『主権のかなたで』、岩波書店、2008年
11) Edouard Glissant, Tout-Monde, Gallimard, 1993.
12) ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』(1918)、ちくま学芸文庫、2002年

東京イチャルパ

8月9日は見逃せない。心して行こう、学ぼう、その心を。ぼくは東京にいなくて行けないけれど、みんなぜひどうぞ。



東京イチャルパ 8/09
テーマ:イベント情報
東京イチャルパ
〜シンリツモシリ・コイチャルパ〜

イチャルパとはアイヌ民族の伝統的な先祖供養です。

 1872年、北海道から38名のアイヌが「開拓使仮学校付属北海道土人教育所」および「第三官園」に強制連行、就学させられました。そのうち5名は故郷から遠く離れた土地で亡くなりました。また、何らかの理由で北海道を離れ関東で亡くなったアイヌも想い、アイヌプリ(アイヌの作法)でイチャルパ(先祖供養)を行ないます。東京イチャルパは2003年にはじまり、今年で7回目となります。

日時:2009年8月9日(日) 午後1時から5時
場所:港区芝公園内4号地 みなと図書館近く
交通:都営三田線「御成門」徒歩2分 JR「浜松町」徒歩12分
主催:東京・イチャルパ実行委員会
連絡先:レラの会 長谷川(090-8048-6126)

ホームページ: http://tokyo-icarpa.com/

 
プログラム
 13:00 カムイノミ(神への祈りの儀式)
 14:00 イチャルパ (先祖供養)
 16:00 アイヌ古式舞踊
 17:00 終了
 

 
 イチャルパとは、アイヌ民族の伝統的な先祖供養です。女性が行う儀式で、一人ずつ、先祖供養用の神棚にイナウ(御幣)やにごり酒、供物を供えます。それらが先祖の国に住む先祖に届くと考えられています。

  囲炉裏に立てたアペフチイナウ(火のカムイの御幣)にトノト(御神酒・にごり酒)をたらし、アペフチカムイ(火のカムイ)を通して、様々なカムイに言葉を語りかける儀式です。その後、イチャルパ(先祖供養)へと続きます。

● 一般の方も儀式を観覧できます。
● 儀式の最中は大きな物音や声を立てず静かにご覧ください。
● 写真撮影はご遠慮ください。東京・イチャルパ実行委員会の了解を得ない撮影はお断りさせていただ
いています。
● 儀式を行う場所にはヌササン(イナウ=御幣を並べた神棚)があります。カムイの通り道であるた
め、その周辺には極力近づかないでください。

2009年7月27日月曜日

8月2日

ゼミの前期まとめのセッション、いよいよ来週の日曜日(8月2日)です。

午前10時からアキバで。まず内部ゼミ生、ついで外部ゼミ生に移ります。

自分の「36冊のリスト」をA4の片面にまとめて(レイアウトやフォントは自由)、コピーを20部作っておいてください。(解説部分は不要。)

それに基づいて、ひとり15分、いま自分が考えていることの最先端の部分を話してください。質疑応答5分で、計20分です。

何か、根本的な発想の転換につながれば。そして思ってもみなかった視界が開けるなら。よろしく!

2009年7月26日日曜日

ハワイの風

25回目を数える今年をもって幕を下ろす、「東京の夏」音楽祭。これまで、ずいぶんいろいろ楽しませてもらった。

今年の目玉はウクレレのエディ・カマエ。ハワイアン・ルネサンスの中心人物、現在われわれが知るかたちでのハワイアン音楽を作り上げてきたひとり。今年で82歳という高齢にもかかわらず、その演奏も歌も、ほれぼれとする成熟ぶり。

驚いたことに、日本のハワイアン・ファンも層が厚い! 満席、かなり平均年齢は高いが、ほとんどロッケンロールといいたいパワフルな演奏をよく受け止め、またヒット曲をハワイ語の歌詞で合唱する。理想的な聴衆だろう。

おかげで青山がそのままワイキキになり、この上なくリラックスした、美しい夕べになった。

ハワイはいい、ハワイはそのまま遠い世界に通じている。ポリネシアの中でも、なぜハワイだけが、あそこまで洗練された踊りと音楽をもつことになったのか。それをまた、アオテアロアやサモアで考えてこよう。

2009年7月23日木曜日

ハーモニー・コリン

日蝕は残念でした。翌日の午後、つまり今日、ハーモニー・コリンの3本を、ひといきに続けて見る。

どれもすばらしいが、やはり『ジュリアン』がきわだっている。なんという映像。なんという展開。

さしあたっての疑問は二つ。

(1)冒頭の少年殺しは、すべてが終わったあとのことなのか?
(2)悲劇の現場でユダヤ教の少年が歌う歌の意味は?

ゆっくり考えていきたい。

2009年7月22日水曜日

日蝕

ついに日蝕の日。お天気はどうかな? 

3年くらいまえには、船に乗って悪石島に行くつもりだった。でも住んでいるところで見ることに意味があるような気がして。

西日本のほうが天候に恵まれそうなので、友人のひとりは今夜、皆既日蝕は無理でも相当に欠ける博多に向かった。

カメラ・オプスクラの原理による「光の鱗」が見られるといい。

2009年7月19日日曜日

パティ・スミスが!

なんというイベント! 急げ。

http://www.towerrecords.jp/store/event/882.html

2009年7月17日金曜日

ヒロシマへ

学期も大詰め。これから8月1日の大学院入試までは、息もつけない。とはいっても日蝕の日には、ぼんやり空を見上げたい。皆既日食ではなくても、東京でもウロコ型の影が見られるはずだ。

午後、数人の大学院生たちと、ヒロシマ映画を3本連続で見る。アラン・レネ『24時間の情事』(『ヒロシマ、わが愛』1959)は、なんといっても広島の町の移動撮影がすばらしい。語り得ない記憶、をめぐる話。語ってしまえば、結局それだけのものになってしまう。そして語り終えたとき、できごとはステータスを変え、地名が端的にそれを表すものになる。地名。すべてを伝えるもの。何も伝えないもの。

吉村公三郎『その夜は忘れない』(1962)は、非常に興味深かった。冒頭から、団伊久磨の音楽がブキミな情感をかきたてる。物語はかなり無理があるのだが、田宮二郎が川に浸かりながら号泣するラストは衝撃的。握ればもろく崩れるヒロシマの石が、展開の中心。

スティーヴン・オカザキ『ヒロシマ/ナガサキ』(2005)は必見のドキュメンタリー。まさに「語り得ない」体験を、あえて語る人々の姿が、『ヒロシマ、わが愛』に対する回答になっている。

50年、半世紀。あっというまに過ぎた。そして広島、長崎の経験をめぐるわれわれの考えは、別に深まったわけでもない。ヒロシマを主題とする映画作品を、これからも探していこう。おりしも今日の新聞に、三宅一生さんの文章が出ていた。7歳にして原爆を体験。それにふれることなくキャリアをすごしてきた彼が、いま語りはじめた。

2009年7月15日水曜日

ギャラリー・ゼロで

建築学科3年の片山くんたちがインスタレーションの準備をしている。この金曜日から週末にかけて、展示。

キャンパスの時間の停滞を表すため、本棚やテーブルやソファをコンクリートで固めるそうだ。壊れたギターやスケートボードも。

どんなものになるかわからないが、がんばってくれ!

カリブのあれこれ

早稲田での「カリブ海文化論」、先週と今週の2回、みんなに発表をしてもらった。

話題はいろいろ。国旗のデザイン、キューバ概説、カリプソとスティールパン、ディアスポラ音楽、ハイチ入門、ニューオーリンズ音楽、ついでマリーズ・コンデ、キューバ経済の現状、『ジャマイカ、楽園の真実』について、カブレラ=インファンテの短編、世界遺産学検定とキューバ、ファノン、ヴォドゥとゾンビ、映画『ロッカーズ」と70年代のジャマイカ。

これだけ幅があると、聞いてておもしろい。ごくろうさま。

あとは期末試験。授業でとりあげたことはすべて出るかも。きちんと準備してきてほしい。

2009年7月13日月曜日

倉橋由美子文学賞!

これはすごい。明治大学の父母会が、なんと文学賞を創設しました。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004530.html

倉橋由美子文学賞(審査は高山宏さん)、そして阿久悠作詞賞(審査は阿木燿子さん)。いずれも大賞は30万円!

悪いことはいわない、DC系のみんなは、夏休みをかけて、両部門に応募すること。分母がけっして大きくないのだから、チャンスは大いにある。

がんばれ、この夏は文学だ! そして文学を文学部の学生にまかせておく必要はまったくないのだから。

「アフンルパル通信」8号

札幌の古書店・書肆吉成の孤高の小冊子「アフンルパル通信」8号が出ました。

今号の表紙は石川直樹さんの富士山写真! 吉増剛造さんの題字にみごとにマッチして、ほれぼれする出来映えです。

くぼたのぞみさんがついにふるさと北海道に向き合った、感動の詩編。石川さん、宇波彰先生、関口涼子さん、それぞれの鋭い短文。そして文月悠光さんの新鮮な詩。ぼくは連作Agend'Arsを、また三つだけ進めました。小石を積むみたいに。

ちょっとほかではありえない刊行物。ぜひ購読申し込みをして、吉成くんの持続を支えてあげてください。

詳細は彼のホームページ

http://camenosima.com

までどうぞ!

2009年7月12日日曜日

土曜日の旅

土曜日は土曜日でいろいろあって。

まず、駿河台校舎で1限の授業「新領域創造特論」。北野大先生をはじめ、新領域創造専攻の総力を結集してのオムニバス授業、今週はぼくの担当というわけ。水曜の3限と土曜の1限(社会人むけに)、同一内容で。

ぼくは「言語、メディア、世界の変容」というタイトルで、メディア、情報、記号といった言葉のミニマリスト的定義の話から入り、ついで現代におけるネイティヴの知の重要性などについて、考えていることを即興的に話した。

4ページの図版構成を作っていったのだが、登場するのはアレクサンダー・グレアム・ベル、ヘレン・ケラー、シャイアン族の手紙、パラアスリートでファッションモデルのエイミー・マリンズ、ジャネット・カーディフのインスタレーション、コロラド州の森林、日本におけるイノシシ狩りと熊狩りの儀礼、トリンギット族のカヌー、マオリのカヌー、トリンギット族のシャーマンのお守り、マオリの首長のカヌー記念碑(使用されなくなったカヌーを記念碑として立てて使う)、ユング、サン・イルデフォンソの鹿踊り......あれも、これも。自分自身にとって、いいまとめになった。

終了後、ちょっとぐったり。エチオピアでカレーを食べてからリバティタワーの根元でしばし昼寝。これで回復。それからアカデミー・コモンのリバティ・アカデミー「世界文化の旅・先住民編」最終回へ。中村和恵さんがアボリジニの話をする。彼女がしばし滞在してきたアーネムランドの人々の話とか、映画『10のカヌー』とか。さすがに一時も興味をそらさない話術で、受講者のみなさんも大満足だった。

和恵さんのおかげで、3年連続のこの講座はとても楽しめたし、多くを学んだ。ぼくにとっては、彼女は師匠。すばらしい詩人なのだが、最近、あまり作品は書いていないのかな? またいつか、何か一緒に企画したい。

夕方は、この講座の初年度の「アフリカ編」から生まれた『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)の、ささやかなパーティ。これもおもしろい本で、ぼくの貢献は駄文だけに終わったけれど、みなさん、ぜひ読んでみてください。それからすぐ横浜に向かい、明治の4年前の卒業生の結婚式の二次会へ。若者たちのあいだですっかり浮きながら、めでたくも楽しいひととき。

きょう結婚した須藤、まもなく結婚する岡本、結婚なんてまるで視野の片隅にもない小林と斎藤の4人とは、かれらの学生時代に嵐をついて西表、沖縄、沖永良部島に一緒に行った。あんなにおもしろい旅行はなかった。4人はその後もアラスカにオーロラを見に行ったり、それぞれ勝手にあちこちでかけていったり。いまは中学校の数学の先生になっている須藤、新婚旅行の行き先はアルゼンチンだそうだ。いったい何を求めていることやら。ともかく、二人でいつまでも元気に旅をつづけてほしい。

長い一日が、こうしてまたたくまに過ぎていった。

2009年7月11日土曜日

隠れる必要がなくなっても隠れていることについて

ロジェさんの隠れキリシタン講義。10年前、日本に来たころはぜんぜん日本語を知らなかった彼が、すでに日本語で論文を執筆し博士号を取得し、日本語で調査しこうして講義するのだから、多言語空間をあたりまえのものとして生きているアフリカ人の、言語能力の高さを痛感。そして五島列島の隠れキリシタンに彼が寄せる情熱にも、感動的なものがある。

現在、3、400家族のおよそ1500人が、かれらの信仰を維持している。「オラシオ」を守り、「バスチャン暦」にしたがって年間行事を組織する。五島には行ったことがあるが、あのしずかな海のしずかな山々に、どんな記憶が蓄えられてきたことか。

でうすぱあてろ(deus padre)、ひーりょー(filho)、すべりとさんた(espirito santo)のみちのぺれす(persona)の、ひとつのすすたんしょう(substantia)のおんちから、ごきどくをもって始め奉る。

三位一体の力か。この朗唱をその場で聞いたら、異教徒のぼくも、陶然とするにちがいない。

帰り道、ブックカフェ「槐多」(そう、村山槐多)で、友人であり外部ゼミ生の工藤さん、佐々木さんと宗教談義。ちょっとだけ、しんみり。たったひとりの信仰を(対象がどんなカミであれ)もち、それについて沈黙を守れば、それは誰も知らないままの「隠れ」でありそんな「隠れ」の誰かが電車ですぐかたわらにいても誰も気づかない。

でうさまあてら(deusa madre)、ひーりゃー(filha)、すべりとさんた...

いずれは東北の「隠れ」の伝統も、訪ねてみたい。

2009年7月10日金曜日

黄菲菲の36冊

今年の修士1年には、中国からの女子留学生がふたり。ふたりとも、やる気の塊で、ゼミのみんなにとてもいい刺激を与えてくれます。

そのひとりフェイフェイは天津出身。明治理工の建築学科から進学してきましたが、広告やファッションやデザインに強い興味をもっています。勉強熱心で、いつかきっと自分の会社を設立して大成功するにちがいない、と思えます。

折角ふたりが身近にいるんだから、ぼくも中国語を真剣に覚えよう。

以下、彼女のリストです。

1 自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(語学春秋社、原著1847年)
シャーロット・ブロンテ『Jane Eyre』(北星堂書店、原著1847年)
アレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』(新潮文庫、原著1848年)
梨木香歩『西の魔女が死んだ』(新潮文庫、2001年)
新間美也『恋は香りから始まる』(飛鳥新社、2006年)
リリー・フランキー『東京タワー~ぼくとオカンと時々オトン』(扶桑社、2005年)
高橋史郎『世界の大学  知をめぐる巡礼の旅』(丸善、2003年)
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(新潮社、原著1936年) 
ジェイン・オースティン『高慢と偏見 』(アイ・ヴィー・シー、原著1813年)
村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫、1987年)
吉本ばなな『キッチン』(角川書店、1998年)
夏目漱石『こころ』(新潮社)

2 自分が専門と呼びたい分野の12冊(広告、ファッション、デザイン)

真鍋一史編集『広告の文化論―その知的関心への誘い』(日本経済新聞社、2006年)
印刷博物館編『1950年代日本のグラフィックデザイン  デザイナー誕生』(国書刊行会、2008年)
日本テレビコマーシャル制作社連盟編『CM制作40年 CM文化をつくりあげたCM制作者たち』(宣伝会議、2002年)
ブライアン・ホ-ム編著『Advertising 世界100年のベスト作品』(青木俊夫訳、誠文堂新光社、1983年)
William Lidwell, Kritina Holden, Jill Butler『デザイン、新・100の法則』(小竹由加里・バベル訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2004年)
岡本太郎『美の世界旅行』(新潮社、1982年)
電通出版事業部、メディアボンド企画編集『POP・イベント・商業空間』(東京電通、1991年)
石毛直道責任編集『食べる・飲む  料理のルーツからマナーまで 』(日本交通公社出版事業局、1982年)
フォルカー・ライヒェルト『世界の体験  中世後期における旅と文化的出会い』(法政大学出版局、2005年)
モーガン・スパーロック 『スーパー サイズ ミー』(スクリーンプレイ、2004年)
生田信一、大森裕二、亀尾敦『Design basic book : はじめて学ぶ、デザインの法則』( ビー・エヌ・エヌ新社、2007年)
デービッド・ルーアー、スティーブン・ペンタック著『Design basics : デザインを基礎から学ぶ 』 (大西央士訳、ビー・エヌ・エヌ新社、2004年)


3 <現代性>を主題とする12冊

パトリック・バーゴインリズ・ファーバー『インターネットデザイン : トップ・クリエイターが選んだグッド・サイト 』(リンガフランカ訳、グラフィック社、2001年)
成実弘至『20世紀ファッションの文化史』(河出書房新社、2007年)
南谷えりこ、井伊あかり『東京・パリ・ニューヨーク ファッション都市論』(2004年)
アンドレ・プットマン『アンドレ・プットマン パリのインテリア』(阪急コミュニケーションズ、2007年)
並木誠士、中川理『美術館の可能性』(学芸出版社、2006年)
萩原修『デザインスタンス 新世紀のクリエイターと仕事』(誠文堂新光社、2007年)
野田邦弘『創造都市・横浜の戦略 クリエイティブシティへの挑戦』(学芸出版社、2008年)
常見美紀子『20世紀のファッションデザイン史』(スガイドア、2000年)
原研哉『Designing design = デザインのデザイン : special edition』(岩波書店、2007年)
佐藤尚之『明日の広告』(アスキー新書、2008年)
吉田喜彦、影山明俊『30時間でマスターWebデザイン』 (実教出版、2003年)
渡辺純一『鈍感力』(集英社、2007年)

STUDIO VOICE 8月号

「STUDIO VOICE」8月号は特集「本と旅する」。ぼくは西江雅之先生をめぐる短文を寄稿。

ごく客観的にいって、よくがんばっている、とてもおもしろい雑誌だと思う。まもなく休刊とは、あまりに残念。

マルコムとヴィヴィアン

マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウェストウッド。パンクの産みの親たちである二人の足跡を追うテレビ・ドキュメンタリーを、たてつづけに見る。

最高! 二人とも、あらゆる権威をまったく意に介さない。目立ちたがりではあるだろうけど、誰にもおもねることがない。やりたいことを、好きなように、妥協なくやるだけ。

ただし、二人ともそれぞれの「美」がきわめて強くあることも、はっきりと感じられる。メインストリームかエスタブリッシュメントに対する批判だけが、おもしろいものを生む。あたりまえだけど、なかなか実践できないもの。

ヴィヴィアンの指摘でハッとしたのは、イギリスは世界中に植民地をもち軍隊を送っていて、それであらゆる気候風土に対応する「制服」の文化が出来上がったということ。彼女はそんな「制服」を上手に利用し、崩してゆくわけだ。

ファッションというとぼくにはまったく縁遠い世界だけれど(70年代半ばの高校生のころはロンドン・ブーツを履いて丈の短いジャケットを着ていたけれど)、二人の足跡を見ているとがぜん興味が湧いてくる。

さいわいゼミ生のフェイフェイはファッションを専門の一部としている。一緒に、いろいろ考えていきたい。

2009年7月9日木曜日

R.I.P. 平岡正明

夕刊を開いて、あっと小さく叫ぶ。平岡正明さんが亡くなった。結局、お目にかかることができなかった。

ぼくの最初の本が出たとき、最初の書評を書いてくださった方。そのときのうれしさは忘れられない。

ご冥福をお祈りいたします。

Fringe Frenzy No.2!

お待たせしました。DC系のフリ―ペーパーとして昨年から一部で注目を集めていた「Fringe Frenzy」の第2号が、ついに完成しました! 
今回も熱い暑い厚くないはらりと1枚表うらコピー印刷のすばらしいできばえ。編集は修士1年の畠中さんでした。ごくろうさま。

例によって、手渡し主義です。電車内で、あるいは路上で海上で空中で、関係者の誰かを見かけたら、声をかけてください。さしあげます。1部でも2部でも3部でも。

よろしく!

ロジェさんの講演

踊る宗教人類学者として知られるコンゴ民主共和国出身のわれらが友人、ムンシ・ロジェ・ヴァンジラさんの講演が7月10日にあります。

題して「隠れキリシタンの現在 コンゴ人研究者が見る日本の宗教シンクレティズム」!

明治大学和泉キャンパス(明大前)第3校舎21番教室で、16:30〜18:00。

参加自由です。なんという福音! コーディネーターは中村和恵先生です。みんな、ぜひ行きましょう。

2009年7月5日日曜日

ほら、山のむこうも山だ

日本は列島、大部分は山。ちょっと出かければ、いいところはいくらでもある。日帰りだってできる。

そんな山登り、山歩きの実践にあこがれつつ。

http://say21.at.webry.info/200907/article_1.htm

いいよね、こんな山道! せめて毎月、どこかに出かけていきたい。遠足気分で。遭難寸前まで。

DC系山歩き企画を、そろそろはじめようか。

2009年7月4日土曜日

賀内麻由子の36冊

外部ゼミ生、賀内さんのリストです。出版社勤務の彼女、ひとひねりもふたひねりもあるセレクション。これからもよろしく!


(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

オリヴィエ・フェルミ『凍れる河』(檜垣嗣子訳、新潮社、1995年)
シオドーラ・クローバー『イシ 北米最後のインディアン』(行方昭夫訳、岩波書店、1970年)
大竹昭子『アスファルトの犬 臭覚的都市探検』(住まい学大系)(住まいの図書館出版局、1991年)
新宮晋『いちご』(文化出版局、1975年)
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波書店、1982年(文庫))
橋本治『貞女への道』(河出書房新社、1987年(文庫))
宮本常一『民俗学の旅』(講談社、1993年(文庫))
竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』(筑摩書房、1988年(文庫))
太田省吾『なにもかもなくしてみる』(五柳書院、2005年)
森有正『遥かなるノートルダム』(筑摩書房、1967年)
押田成人『遠いまなざし』(地湧社、1983年)
ブーバー『我と汝・対話』(植田重雄訳、岩波書店(文庫)、1979年)

(2)自分が専門と呼びたい分野の12冊 生命・継承(dialogue in the dark)

森崎和江『まっくら』(三一書房、1977年)
鶴見俊輔『アメノウズメ伝 神話から延びてくる道』(平凡社、1991年)
姜信子『ノレ・ノスタルギーヤ 歌の記憶、荒野への旅』(岩波書店、2003年)
梨木香歩『沼地のある森を抜けて』(新潮社、2005年
L・マーグリス/ドリオン・セーガン『不思議なダンス 性行動の生物学』(松浦俊輔訳、青土社、1993年)
三木成夫『海・呼吸・古代形象 生命記憶と回想』(うぶすな書院、1992年)
藤原辰史『ナチスと有機農業 「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』(柏書房、2005年)
カール・ビンディング/アルフレート・ホッヘ、森下直貴・佐野誠訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチス安楽死思想の原典を読む』(窓社、2001年)
岡崎京子『リバーズ・エッジ』(マガジンハウス、1994年)
井田真木子『十四歳 見失う親 消える子供たち』(講談社、1998年)
村瀬学『未形の子どもへ 人生四苦八苦から』(大和書房、1989年)
親子工芸教室編『知的障害をもつ子とともに 手織りの仲間たち』(晶文社、1998年)

(3)「現代性」を主題とする12冊

佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平 世界を批判的に受けとめるために(上)(下)』(凱風社、2001年)
E・ホッファー『大衆運動』(高根正昭訳、紀伊国屋書店、1969年)
内澤旬子『世界屠殺紀行』(解放出版社、2007年)
立岩真也『良い死』(筑摩書房、2008年)
花崎梟平『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』(岩波書店、1988年)
波平恵美子『脳死・臓器移植・がん告知 死と医療の人類学』(福武書店、1988年)
日本語版編集部『力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク1998-2002』(NTT出版、2003年)
A・ミンデル『紛争の心理学 融合の炎のワーク』(講談社(抄訳)、2001年)
藤本壮介『原初的な未来の建築』(現代建築家コンセプトシリーズ)(INAX出版、2008年)
綾屋紗月/熊谷晋一郎『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』(シリーズ ケアをひらく)(医学書院、2008年)
T・ヤンソン、冨原眞弓訳『島暮らしの記録』(筑摩書房、1999年)
マリリン・バーンズ/マーサ・ウェストン、永田美喜訳『自立する子どもになろう』(子どものためのライフスタイル)(晶文社、1985年)

2009年7月2日木曜日

小島一郎のすばらしさ

新宿御苑のPlace Mに、小島一郎のオリジナル・プリントを見にゆく。ほとんど涙ぐむ。なんという写真家だったことか彼は。39年の生涯は、夭折という他ない。

そして同時に展示されている森山大道の北海道写真も、さすがに震えるような強さ。森山さんによって発見された視覚によって、われわれは別の国、別の風土へとさまよい出てゆく。

どちらも非常にいい展示なのだが、それでもなお、写真の展示一般に対する大きな疑問。ガラス越しのイメージは、損なわれている。ガラスは邪魔だ、反映像は邪魔だ。プリントそのものを見たい。

それを思うと、「写真展」というのが写真の体験として最良の形態なのかどうか、わからなくなってくる。

有名な「小島のトランプ」を、そのまま手にとって心ゆくまで見ることを夢想する。

ルはどこにいった?

朝日新聞の夕刊を見て、目を疑う。あれだけ学生たち(建築学科を含む)にくりかえしてきたことが、朝日新聞の記者には、まったく伝わっていないので(あたりまえ?)。

ル・コルビュジエの名から「ル」を省略することはできません。それが記事のサブタイトルである「コルビュジエ作品群 世界遺産「見送り」」に始まって、記事中で5カ所、ル・コルビュジエは無惨にも「コルビュジエ」にされている。

記者は責めずにおこう。責めを負うべきは校閲部(というのかどうか知らないけれど)。ル・コルビュジエの場合とはちょっとちがうけれど(いわば舞台名に対する本名なので)ル・クレジオの「ル」も省略することはできない。まさか、姓の一部を勝手に省略してどうする。ところがいずれも、これでもか、というほど多くの印刷媒体で、このまちがいがくりかえされている。

ついでにいうと、まったく別の話だけど、ベニシオ・デル・トロの名を「ベニチオ」と書くのはやめてほしい。スペイン語をイタリア語にするつもりですか。ましてや、他にも数多くの姓名や地名の、より正確な表記にわざわざ朱を入れてくる愚はぜひともやめてほしい、というのが翻訳者からのお願い。

2009年7月1日水曜日

ケン・ローの36冊

内部ゼミ生、ケン・ローのリストです。中国系タヒチ人と日系ハワイ人の両親をもつ彼。日ごろ発音のまちがいを恐れてあまりに無口(ひとこともしゃべらない)なのですが、読む力はどんどんついています。今後どんな方向にむかうかが楽しみ。

(1)考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

ミシェル・レリス『日記』(千葉文夫訳、みすず書房、2001年)
ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(多田・塚崎訳、講談社文庫、1973年)
マトゥラーナとバレーラ『知恵の樹』(管啓次郎訳、ちくま学芸文庫、1997年)
グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』(佐藤良明訳、新思索社、2006年)
E・O・ウィルソン『バイオフィリア』(狩野秀之訳、ちくま学芸文庫、2008年)
ナタン・ワシュテル『敗者の想像力』(小池佑二訳、岩波モダンクラシックス、2007年)
レイチェル・カーソン『われらをめぐる海』(日下実男訳、ハヤカワ文庫、2000年)
片山一道『ポリネシア 海と空のはざまで』(東京大学出版会、1997年)
河合雅雄『人間の由来』(小学館、1992年)
Roland Barthes, Roland Barthes par Roland Barthes (Seuil, 1975)
Lewis Mumford, The City in History (Harcourt Brace, 1961)
D’arcy Thompson, On Growth and Form (Cambridge U.P., 1961)


(2)専門と呼びたい分野(刻み・造形・伝達)の12冊

アンリ・メショニック『詩学批判』(竹内信夫訳、未来社、1982年)
ハイナー・シュタッヘルハウス『評伝ヨーゼフ・ボイス』(山本和弘訳、美術出版社、1994年)
ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』(林・糟谷・桜井訳、藤原書店、1991年)
フリードリヒ・キットラー『キットラー対話』(前田・原訳、三元社、1999年)
ケネス・バーク『動機の文法』(森常治訳、晶文社、1982年)
『アラン・ローマックス選集』(柿沼敏江訳、みすず書房、2007年)
ヘレン・ケラー『わたしの生涯』(岩橋武夫訳、角川文庫、1966年)
青木晴夫『滅びゆくことばを追って』(三省堂選書、1984年)
山口昌男『文化と両義性』(岩波書店、1975年)
篠田浩一郎『形象と文明』(白水社、1992年)
森田伸子『文字の経験』(勁草書房、2005年)
原広司『集落の教え100』(彰国社、1998年)

(3)「現代性」を主題とする12冊

東野芳明『ロビンソン夫人と現代美術』(美術出版社、1986年)
宮崎学『廃棄スイカに群がるイノシシ家族』(理論社、2006年)
グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』(種村・矢川訳、美術出版社、1987年)
萱野茂『アイヌのイタクタクサ』(冬青社、2002年)
アメリア・アレナス『なぜ、これがアートなの』(福のり子訳、淡交社、1998年)
ゲイリー・スナイダー『野性の実践』(原・重松訳、山と渓谷社、2000年)
ジル・ドゥルーズ『記号と事件』(宮林寛訳、河出文庫、2007年)
ロバート・C・ヤング『ポストコロニアリズム』(本橋哲也、岩波書店、2005年)
塩田千春『心が形になるとき』(神戸芸術工科大学デザイン教育センター、2009年)
レスリー・M・シルコウ『儀式』(荒このみ訳、講談社文芸文庫、1998年)
ミツエ・ヤマダ『収容所ノート』(松柏社、2004年)
小田扉『団地ともお』(小学館)

志村みどりの36冊

外部ゼミ生、志村みどりさんのリストです。ハードコアな文学少女的セレクション! 「アートと女性」という主題設定に頷きました。

(1)考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊

『ブッダのことば スッタニパータ』(中村元訳、岩波文庫、1984)
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』(高橋健二訳、新潮文庫、1971)
吉本隆明『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫、2002)
ジョセーフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ『神話の力』(飛田茂雄訳、早川書房、1997)
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』 (日高六郎訳、東京創元社、1965)
ウンベルト マトゥラーナ , フランシスコ バレーラ 『知恵の樹』(管啓次郎訳、ちくま学芸文庫、1997)
新宮一成『ラカンの精神分析』(講談社現代新書、1995)
今福龍太+沼野充義+四方田犬彦 編『愛のかたち』(岩波書店、1996)
ジョルジュ・バタイユ『眼球譚』(生田耕作訳、二見書房、1994)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社、1996)
佐野洋子『しずこさん』(新潮社、2008)
町田康『告白』(中央公論新社、2005)

(2)専門と呼びたい分野(アートと女性)の12冊

瀬戸内晴美『かの子撩乱』(講談社文庫、2000) 
草間彌生『すみれ強迫』(作品社、1998)
ローリー・ライル『ジョージア・オキーフ』(道下匡子、PARCO出版、1984)
ベルナール・ビュフェ美術館:監修『ビュフェとアナベル』(フォイル、2007)
アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士、岩波文庫、2003)
ホイットニー・チャドウィック『シュルセクシュアリティ』(伊藤俊治訳、 長谷川祐子訳、 PARCO出版、1989)
レオノーラ・キャリントン『耳ラッパ』 (野中雅代訳、工作舎、2003)
アニエス・ヴァルダ『歌う女歌わない女』(山崎剛太郎訳、KKベストセラーズ、1978)
バルガス・リョサ『楽園への道』(田村さと子訳、河出書房新社、2008)
リチャード・ウィッツ『NICO』(浅尾敦則訳、河出書房新社、1997)
中島美代子『らも』(集英社、2007)
島尾敏雄『死の棘』(新潮文庫、1981)


(3)「現代性」を主題とする12冊

レベッカ・ブラウン『体の贈り物』(柴田元幸訳、新潮文庫、2001)
多和田葉子『海に落とした名前』(新潮社、2006)
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、早川書房、2006) 
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(市川恵里訳、白水社、2006)
イーユン・リー『千年の祈り』 (篠森ゆりこ訳、新潮社、2007)
ジョウ・シュン+フランチェスカ・タロッコ『カラオケ化する世界』(松田和也訳、青土社、2008)
大竹昭子『カラオケ、海を渡る』(筑摩書房、1997)
高木 徹『戦争広告代理店』(講談社、2005)
ヒュー・マイルズ『アルジャジーラ』(河野純治訳、光文社、2005)
村上春樹『アンダー・グラウンド』(講談社文庫、1999)
森達也『死刑』(朝日出版社、2008)
立川談春『赤めだか』(扶桑社、2008)