Wednesday 31 December 2008

石川直樹『VERNACULAR』

みすず書房のPR誌「みすず」では毎年、読書アンケートをとっている。その年に読んで心に残った本を5点ばかりあげるというもの。たぶん今世紀になってからはずっと参加していたのだが、今年は回答を送りそびれてしまった。ちょっと12月、慌ただしかったので。本も思うようには読めなかったし。残念。

とはいえ日本語の本の世界、今年も充実していたと思う。細川周平、今福龍太、小沼純一、港千尋といった古い友人たちは、それぞれ重要な仕事をいくつもまとめたし、他にも年齢の近い知人たちでは、鵜飼哲さんや田中純さんがいい本を出した。ほとんど何もできなかったぼくは、じっと手を見る。うなだれました。エイミーの翻訳だけが、小さな救い。でも来年こそは。

で、このまま年が暮れるのかなと思っていたら、石川直樹さんの強烈な一冊がやってきた。題して『VERNACULAR』。人類の居住の形態を現時点で追う、すさまじい射程をもつ写真集だ。

ノンフィクション『最後の冒険家』、意表をついた写真集『Mt. Fuji』につづいて矢継ぎ早に出された石川さんの本だが、どれも孤高の(文字通り!)境地をうかがわせる傑作。そして、一年のしめくくりのいま、この大冊。

明日、大晦日に書店にゆく人は、必ず手にとってみよう。ヒトはこうやってこの惑星の異なる風土に住みこんできたのかということを、いやでも思い知らされる。

ということで、みんな、よいお年を。

新年のゼミは気合いを入れて、1月5日からはじめます。生田で。参加希望の人は、ぼくの研究室に12時45分までに来てくれれば。

Monday 29 December 2008

本棚問題

本を片付ける場所がなくて大掃除も手がつけられない。あきらめたとき、雑誌「エスクワイア」の本棚特集。おもしろい。

何人かの人の書斎が紹介されているが、かっこいいのは布施英利さん。湯河原の元旅館だった建物を改造して住んでいるというのだが、「本を4冊まで並行して読めるように作り付けた、特製読書机」がいい。

このアイデアはぼくも昔からもっていて、ぜんぜん実現できず。あっさりやられて、うらやましい。ぼくがあと欲しいのは立ち机。ジッドのようにヘミングウェイのように、立ったまま仕事をしたい。これもいまだ実現せず。

さらに「偉人の本棚」と題した8人の故人の本棚。7人まではすぐわかったが、第7番の人がわからない。あるのは百科事典と「日本現代詩大系」。西脇順三郎関係の数冊、『百鬼園戦後日記』など。かなり自分に近いのに、「15歳で『Ambarvalia』に遭遇」というヒントを読んでも、ぜんぜん思い至らず。

答えを見て、「あっ」と思った。なんということだ。慚愧に耐えず。どうも脳の一部が破壊されてしまったようだ。

それはともかく、宇野澤くんのために藤浩志さんが作ってくれた鹿児島の本棚(これも元旅館だった建物に設置されている)は、この特集のどれにくらべてもまったく遜色がないことは確実だ。

とはいえ、究極的には、蔵書なんて何を考えているかとは無関係だし、ひとりひきこもる場所がなくてもいい仕事をする人はいくらでもいる。本棚、それはひとつの箱で十分かも。書斎を捨てて、外で仕事をする道を探ろうか。公立図書館の驚くベき平等性に賭けようか。

なぜ写真を撮るのか?

なぜ写真を撮るのかと尋ねられたとき、私の昔からの友人であるゲイリー・ウィノグランドはこう言いました。「写真になったとき、そのものがどう見えるかが見たいからだよ」と。この言葉を超えるような言葉はありません。私も同じように感じています。

ウィリアム・エグルストン(アン=セリーヌ・イエガー『写真のエッセンス』、小林美香訳、ピエ・ブックスより)

Sunday 28 December 2008

特別講義ふたたび(1月21日)

新領域創造専攻の特別講義が、1月21日にも行なわれます。ホストは安全学系の山本俊哉研究室。かなりおもしろそうなテーマです。みんなで行こう! 試乗会が楽しみ。

「子どもの安全を守り、夢を育てる、ソフトQカーの開発〜ゆっくり走って楽しく守る電気自動車の試み」

講師:小栗 幸夫(千葉商科大学政策情報学部教授)
日時:2009年1月21日(水)午後6時から8時
会場:明治大学アカデミーコモン2階会議室(千代田区神田駿河台1-1)
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html

内容:設定したスピードをオーバーすると、運転者に知らせる。車体後部に発光ダイオードも点滅して歩行者や他の車にも伝える。それ以上加速できない。小栗先生が国のミレニアム・プロジェク助成金を得て開発したソフトQカーは、愛・地球博(愛知万博)でも走行した。最近は、各地の小学校で歩行者と同じ時速2〜6キロの速行実験を行い、時速30キロは時速15キロと比べていかに危険かを伝えている。

「車が快適さを増して『走る個室』化していることも、歩行者への配慮を忘れがちになる要因」といい、交通事故死遺族等と事故撲滅を訴えるインターネット掲示板を開設している。小栗先生は自動車と道路を中心とした20世紀の都市開発の流れを変えるものとしてソフトカーを考え、スウェーデンの速度制御研究グループやイギリスの交通被害団体などとともに、自動車の速度制御を国際的に訴える活動もしている。このことは先生の近著『脱・スピード社会』(清文社刊)で紹介される。

今回は、ソフトカーの開発経緯、各地での実証実験、今後の展望などの話を聞くとともに、実際にソフトQカーに触れ、希望者には講義終了後、地下駐車場で試乗会を開く。

参加費:無料(申込不要)

主催:明治大学理工学研究科新領域創造専攻
問い合わせ:明治大学理工学部山本俊哉研究室  http://www.isc.meiji.ac.jp/~onepiece/

2009年

来年は、できれば2つのビエンナーレ(隔年開催)の行事に行きたい。

まず、絶対に行くのは山形国際ドキュメンタリー映画祭。その名声を知り、関連上映を東京では何度も見ているけれど、肝心の山形での本番に行ったことがない。来年は10月8日から15日。大学院ゼミの旅行として、全員で行きたいと思っている。そういえば坪内祐三さんも、これにはふらりと出かけてゆくと、どこかで書いていた。来年、山形で会いたいもの。

ついでマリ共和国の首都バマコでのアフリカ写真ビエンナーレ。その出品作品の驚くべき斬新さは、今年、2007年の作品を横浜で見て思い知った。おそらく6月ごろか。アフリカ大陸に足を踏み入れるには、いい機会だ。

いろいろな予定でカレンダーが埋まりはじめているが、未知との遭遇という気持ちを忘れずにやりたい。そして中国語の勉強!

Friday 26 December 2008

降誕祭はVARIG

クリスマスの夜、何か忘れていたと思ったら、今年はまだこれを聴いていなかった。

http://jp.youtube.com/watch?v=bm_TgirPrMM&feature=related

やっぱり、いい歌。

Wednesday 24 December 2008

南米とは人生にとって何だったのか、何なのか?

きょうは年に一度の、南米仲間との集い。長らくブエノスアイレスで会社を経営してきた、ぼくらの大恩人である森山さんを囲んで、今年は5人が集まった。

それぞれの職業はコンサルタント、ミュージシャン、舞台芸術家、小説家、そして英語教師(ぼく)。みんなそれぞれに、20代で出会った南米の強烈さを、その後の20数年、反芻しながら生きてきた。(残念ながら写真家の港くんや弁護士の三山さんらは外国にいて欠席。)

話はつきない。発想のもとになるような細かいエピソードが目白押し。ところが、いったん別れてしまうと、もはや思い出せないのもおもしろい。忘れられて、なおも残ってゆく何かが、たぶん肝心なところ。

いまは舞台美術の研究をしている佐野くんがいうには、美術史の世界ではいろいろなディジタル・アーカイヴが充実してきて、現物を見たことがないものについてまで論文を書けるようになってきたが、それって意味があるのか? 「現物」の、オリジナルの、いい知れない臨在感は、いよいよ人生の目的になるだろうと、ぼくも思う。この点は、DC系の大きな課題。

小説家の佐川くんの体験談は、いつにもましておもしろい。何のごまかしもなく、精神のギリギリの縁を研いでゆくのが作家の仕事。いずれゲストとしてDC研などに来てもらおうと思っている。

不思議なのは、われわれ全員が、何者でもないときに、南米を通過してきたということ。そしてただの学生だったころからのわれわれの変容をずっと何もいわずに見てきてくれた森山さんの、懐の深さ。

あとはそれぞれの体験を、どんな風に中継していくかにかかっている。

Tuesday 23 December 2008

DC系、リレーのはじまり

月曜日、今年最後のアキバでの倉石ゼミ終了後、DC系の忘年会があった。修士1年のみんなに加えて、内定生のうち8名も参加。まだまだ波瀾に富んだ運動体だけど、すでにこうして伝統形成がはじまっている。

食べ放題のしゃぶしゃぶで、みんな野獣のように食べた! 中村くんの誕生日とのことで、手作りのバースデーケーキも、おまけに! 幹事の遼太くん、ごくろうさん。

ぼくの研究室には中国人の女の子ふたりが入るので、来年は本腰を入れて中国語を学ぶつもり。発音がむずかしいけど、せめて筆談を、正確にできるよう! パコのともだちで、やはりモンレアル出身のダニエルも、鹿児島からかけつけてくれた。将来、ぜひDC系に来てほしいと思う。日、中、仏語の乱れ飛ぶゼミにしたい。

関係ないが、アキバにむかうまえに神保町の上島珈琲店で黒糖ミルク珈琲を飲みながら(そのときはずぶぬれ)、店に飾ってあったシンディー・シャーマンの写真集(いろんな映画の場面をやってる、有名なやつ)を見ていると、序文にこうあった。

I was always glued to the television when I was a kid, and I loved movies. There was one show, The Million Dollar Movie, that played the same film over and over every night for a week, so you could really know it by heart.

おなじ映画を7回は見よう、という教訓として受けとめたい。

Monday 22 December 2008

暖かい夜

冬至の夜だというのに、なんという暖かさ!
気温はたぶん18度くらいあるのでは。
風の強さが気持ちいい。風は強ければ強いほどいい。
いつまでも残っていた銀杏の黄色い葉っぱが、今晩すべて落ちるだろう。
歩道にはすでにあちこち、黄色い吹きだまり。

Sunday 21 December 2008

宮内勝典さん

きょう、終末の年末の週末の閑散とした生田キャンパスで、小説家の宮内勝典さんをお迎えして、DC系大学院特別講義を開講した。宮内さんがいらっしゃるというので、田口ランディさんも遊びに来てくれて、一緒に佐藤文則さんの写真展「ダンシング・ヴードゥー」を、佐藤さんご自身の解説付きで見る。

講義のタイトルは「惑星的アイデンティティにむかって」。ネーションや宗教の対立を超えて、この惑星そのもののネイティヴとして生きる道を模索しようという呼びかけ。発想が理系だの文系だの芸術系だのといった枠にはまっているかぎりどうにもならない、ということだけは、みんなはっきりわかったと思う。

終了後も、みんなで遅くまで話す。大学院授業なのでいちおう広報なしで行なったのだが、口コミという最良のコミュニケーション形態によって思いがけない人が何人も来ていて、しかもそれぞれ複雑なかたちでむすびついている。非常に不思議な感じがした。おもしろかった。

そして懇親会の準備と片付けを一手に引き受けてくれた同僚の清岡さんには、心からのお礼を。

新年には宮内さんの連載長篇がはじまる。『焼身』の主題が、どんなかたちで延長されてゆくのか。心して待ちたい。

Friday 19 December 2008

ジェシカ・アルバ

驚いた! いつのまにかアメリカ・フェレーラが『私自身の見えない徴』の主演(モナ役)を降りて、代わって登場したジェシカ・アルバにより撮影は進行中だそうだ。いずれにせよ完成が楽しみ。

http://www.imdb.com/title/tt1212454/news#ni0598595

アメリカは結局『アグリー・ベティ』との調整がつかなかった模様。原作のモナのイメージには、たしかにジェシカのほうが近いかもしれない。

Thursday 18 December 2008

本のサロン

日本でフランス語の翻訳に関わった人なら、いちどはお世話になっているのがフランス著作権事務所。本郷三丁目にある同社が、このたび図書室「本のサロン」を開室した。

オープンしてからなかなか行けずにいたのだが、水曜日、やっと訪問。すごい、かっこいい空間だ! 緑を基調とした落ち着いたインテリアに、フランス語のいろいろなジャンルの新刊書がぎっしり並べられていて、自由に手にとって見ることができる。ここを一種の苗床として、またたくさんの本が育ち、実をつけてゆくだろう。

来日する作家たちも、ここにはしばしば立ち寄ることになりそうだ。一度に入れるのは、床にすわってもせいぜい15人くらいだろうけれど、朗読会とか、読書会とか、ときには開いてみると楽しそう。

壁が本でおおわれているため、とてもしずか。雪が降れば、東京のまんなかとはとても思えないくらいしずかになるだろう。

思い出にもならないもの

「すべての旅はさまざまな小さな思い出 [レミニサンス] を、隠し、またあらわにする」(ミシェル・オンフレー『旅の理論』)。

旅のあいだは心が活性化されていて、ふとしたきっかけに忘れていたいろいろなことを思い出す。でも旅はまた忘却にもよくむすびついていて、自分の人生の主流をなすコンテクストから離れることにより、心を悩ますあれこれを忘れる役にも立つ。

旅を終えて日常に帰ったとき、旅を思い出すことはそれだけで心に強い刺激を与え、時空の隔たりをまざまざと実感させることになる。その陰では多くがすでに忘れられ、忘れたことさえ忘れてしまった細部は自分が出会うことのなかった世界のすべてと同列に並んで、マリン・スノウのように海底に降り注いでゆく。しずかだ。しずかだ。非情な無音。何も起こらないことの無音。

といったことを、いまこうして改めて書いてみると、それだけでなんだか暗い気持ちに。それは悲しいことを思うがゆえの悲しさではなく、展開への可能性がありながら果たされなかったあれこれが、現実へと浮上することなくいつしか実現可能性さえすっかり失ってしまったという、容赦ない事実に対する悲哀だ。世界のほとんどは、自分にとって「思い出にすらならない」という、絶対的な限定に対するさびしさ。

それに苛立ちを覚えるとき、またどこかに出かけてゆきたくなる。でもこの冬は?

Wednesday 17 December 2008

人類館

火曜日、早稲田の大隈講堂で演劇集団「創造」による『人類館』の公演。強烈だった。20世紀沖縄の歴史を、荒々しい笑いにつつんで語る。3人の俳優のうまさに目をみはり、胸をつかれる。

開演前に近代美術館の「沖縄プリズム1872-2008」の学芸員の方が、この場所で上演することになった経緯を説明してくれた。大隈講堂にははじめて入ったが、ちょうどいい規模だったと思う。

美術館と大学との共催というのは、おもしろいし、もっとあちこちでいろんなかたちで試みられていい。以前から考えていることだけれど、明治でもぜひ何かやりたいもの。いずれ必ず、DC系と美術館・ギャラリーなどの共催企画を。

Tuesday 16 December 2008

2009年度

いろいろ迷っていたのだが、来年度の1、2年生むけ「総合文化ゼミナール」の題目を決めた。

1限が「ヒトはどこにいるのか?」
2限が「歩行という経験」

前者は、生物界におけるヒトの位置を考え直すために、何冊かの生物学関連の一般向けの本を読む。日高敏隆、河合雅雄、ウィルソン、ユクスキュル、ロレンツ、ダーウィン、マトゥラーナとバレーラなど。

後者は、ヒトにとっての歩行の自然史と思想史を多角的に追うもの。来年、生田図書館のギャラリー・ゼロで開催しようと思っているWALKING展の準備も兼ねている。

これ以外に、大学院ゼミでは半分はベイトソン(今学期からの継続)、半分はキットラーを読むつもり。生物学的な生存環境とメディア情報環境の接合ぶりを考えてみたい。

来年もいろんな予定が入りはじめ、ちょっと緊張。今年(どころか数年前)から完成させられずにいるいくつかの仕事を、順次かたちにしていきたい。

そして今年はあと半月。Good grief...

Monday 15 December 2008

2日め

シンポジウム2日め。

まず東欧関係のセッション。沼野充義さんの司会で、井上暁子さん、奥彩子さん、竹内恵子さんが、それぞれドイツ在住のポーランド人作家ルドニツキ、旧ユーゴの移民文学、アメリカに亡命したロシア詩人ブロツキイについて話す。どれも大変におもしろい。ぼくはブロツキイのファンなので、ロシア語が読めないのが悔しい。

ついで午後は、浜崎桂子さんが2000年代に入ってからのドイツ語圏移民文学、崔正美さんが李良枝、水村美苗、楊逸について、教えられるところの多い発表。

そして最後に、文化人類学者・前嵩西一馬さんの感動的な「沖縄表象を訛る」の熱演。いわゆる「文学」とは世界の記述の一形式に過ぎないことをはっきり思い出させてくれる、すばらしい発表だった。

その前嵩西さんに紹介してもらったのが、知念正真による『人類館』(1978年、岸田戯曲賞)の一夜一幕かぎりの東京上演。16日(火)の6時半から、早稲田大学大隈記念講堂にて。詳細は東京国立近代美術館ホームページにある。ぜひ、行こう!

名古屋市立大学に行ったのは2回め。西さん、沼野さん、今福さんらとの共同討議のためだった。それからあっというまの2年、執筆の計画は進まず。場所の再訪はいろいろなことを思い出させてくれる。次に行くまでには、少しは。今回は日曜の空の青さが印象的だった。

Sunday 14 December 2008

名古屋で

この週末は名古屋市立大学でのシンポジウム「世界の移民・亡命文学の現況と可能性」に参加。ドイツ文学の土屋勝彦さんをリーダーとする共同研究の一環。

といってもぼくは今回は司会だけ。最初のセッションで中村隆之、笠間直穂子、鵜戸聡といった若い友人たちの話を聞いて、啓蒙される。カリブ海、ルーマニア、アルジェリアの作家たちをめぐる話で、そのあまりのひろがりに頭がクラクラした。司会者の唯一の役目は時間を守ること。この点は、まずまず。でも質疑応答がもっと雑談的・多方向的な議論に発展してもよかったかも。これはこっちの力が及ばなかった。

それから越川芳明さんのチカーノ詩についての基調講演、山本伸さんの英語圏カリブ海をめぐる発表とつづく。

夜は居酒屋での雑談。ひさびさに会った増本さん(スイス文学)にラトヴィアの首都、港町リガの話を聞いて、行きたくなる。リトアニアの砂州とともに、いつかはバルト海沿岸へ。

Friday 12 December 2008

新領域、修論中間発表会

12日、フローベールと小津安二郎の誕生日を祝うように、われわれ新領域創造専攻の修士論文中間発表会が行われた。

9時50分の北野先生(専攻主任)のご挨拶につづいて、10時からひとり10分(発表5分、質疑応答4分、機材交換1分)というごく限られた持ち時間で、緊張感のある進行。

安全学系、数理ビジネス系、DC系の計30名の発表がすべて終わったのは、午後4時半。長丁場だったが、意義ある一日でした。

みんな、ほんとにいろんなことをやってるなあ。これからどう展開していくのか、まったく予断を許さないが、来年のいまごろにははっきりとしたかたちになっていることだろう。

修士の2年間は、たぶん一生でいちばん勉強に打ちこめるし、打ちこむべきとき。バカみたいに勉強してほしい。先週とおなじことを考えているようではダメ。と、自分にはできなかったことを学生のみんなに求めるのも申し訳ないけど。

健闘を祈る。

増村保造

秋になってから増村保造の作品を、宇野澤くんやパコたちと続けて見ていて、パコは若尾文子の大ファンになってしまった。

見たのは、いまのところ以下のとおり(年代順)。

青空娘(1957)
最高殊勲夫人(1959)
氾濫(1959)
妻は告白する(1961)
黒の超特急(1964)
清作の妻(1965)
刺青(1966)
赤い天使(1966)
華岡青洲の妻(1967)
遊び(1971)

きょう見たのは『刺青』だが、正直なところ、ちょっと物足りなかった。今までで、これはないなあと思ったのは『遊び』で、ラストシーンのむちゃくちゃさを除けば、おもしろいところがない。それに対して『妻は告白する』や『清作の妻』はよかったし、『青空娘』は最高! 『最高殊勲夫人』とともに、ほんとに楽しいコメディーだった。

来年は、寒い時期に、増村中期・後期作品の連続上映が企画されているようだ。いくつか見に行こうと思っている。

Thursday 11 December 2008

羅生門から吐噶喇へ

新宿で黒澤明『羅生門』の「デジタル完全版」。

申し分なくきれい。だが、旧版も記憶の中では光と水にあふれて美しいため、どのくらいの差があるのかは、いまは何ともいえず。そもそもデジタル修復って、どういうことをやるのか、知らない(またもや無知の告白でごめん)。こんど調べてみます。

それからphotographers' galleryにちょっと寄って、王子直紀さんの写真展「吐噶喇」。そう、あのあこがれの吐噶喇列島です。

あいかわらずシャープなイメージの連続。王子さんというと、これまで大都市のスナップが多かったので、今回は島の植物をとった(人間のいない)ものが特に印象に残った。なんとかという種類のサボテンが写っているのと、ちょっとブレた斜面(?)の写真が、ぼくの勝手な趣味。

白い部屋でひとりで見られたのがよかった。

それから急いで学習院の授業にむかい、マヤ・デーレンの『神聖騎士』を紹介(これは授業でとりあげたブラジル、サルヴァドールへの紀行文に出てくるカンドンブレとヴードゥーとの関連から)。ちょっと眠った人もいたけど、みんな半世紀前のハイチの美しさはわかってくれたみたいだった。ぜひ、佐藤文則さん写真展を、生田まで見にきてください。

Tuesday 9 December 2008

おだんご

小学生の子供が、社会科の勉強で略称を覚えているところ。

政府開発援助は「オダ」!
非政府組織は「ンゴ」!
合わせて「おだんご」!

ま、そのとおりですけど。

Hocus Pocus

某社の新人編集者、河内くんに誘われて、渋谷のクラブ・クワトロでフランスのヒップホップ・グループ、ホーカス・ポーカスを観てきました。

楽しかった! あまりに健康的で、どうしちゃったの、という感じ。小学生からお年寄りまで、みんなのヒップホップか。

一昨年、フランスのヒップホップ・ダンシングのカンパニー、ブラック・ブラン・ブールを観たときには、クラシック音楽でヒップホップを踊るかれらにびっくりしたけれど、ヒップホップを「ジャンル」として受け入れ、その背後の社会状況(端的にいって人種差別と貧困)や思想なんかとは無関係に「演じるもの」になっているところがあるのかも。そればかりではないだろうけど、そういうグループも、たしかにある。

もっとも、ホーカス・ポーカスはスポーツ感覚のある、お客を楽しませることに徹底したライヴ・バンドで、それはそれでもちろんかまわないでしょう。音楽の大切な役割なんだから。それにかれらの歌詞を耳で聴いてわかるわけでもないので、そのうち歌詞の世界をよく読んで考えてみます。

DC系の講師をお願いしている陣野さん(フランスのラップとサッカーに関する日本における第一人者)にばったり会って、終了後しばらくいろいろ話ができたのもうれしかった。突然のミニマル忘年会でした。

『BRASIL-SICK』

音楽家の宮沢和史さんのブラジル滞在記『BRASIL-SICK』が発売されました(双葉社)。いろんな人へのブラジルをめぐるアンケートに、ぼくも答えています(pp. 126-127)。

顔写真がいるといわれてテキトーに送ったら、すごくへん。マンガみたいな、なさけない顔をしています。この部分だけ、訂正シールでも貼ってもらえないかな。

本は、仁礼博さんの写真がいい。

Sunday 7 December 2008

American Megamix

写真美術館収蔵品展「ヴィジョンズ・オヴ・アメリカ」の第3部、「アメリカン・メガミックス」へ。通しチケットをもっていたのに第2回「わが祖国」は結局見逃し、第3回も最終日になって、やっと。

さすがにすごい。大家たちの名作が、惜しげもなく並べられている。入口の、ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、リー・フリードランダーに、まず見入る。都市のスナップは、以後何をどうとっても、かれらの文法の中に収まる。三人ともすごいが、ぼくの趣味はフリードランダーの整然としたコンポジション感覚。

ギャリー・ウィノグランドやダイアン・アーバスといったモンスター写真家たちももちろんいいが、われらが北島敬三の若いころの代表作であるニューヨークの連作は、やっぱり強烈に輝いている。DC系に北島さんを先生としてお迎えしていることの幸福を、みんな噛みしめてほしい。アキバの片隅で、あの少人数で授業を受けられるんだから! 写真を見て、見て、見まくるという経験を、ぜひ。

ぼくがいちばん好きなのはリチャード・ミズラックの砂漠写真で、これにはしばし没入。やっぱりむちゃくちゃにかっこいい。クロモジェニック・プリントの色合いの鮮やかな奇妙さとともに、恐ろしい魅力。

そして今回の大きな収穫は、ヴェトナム戦争を取材した戦場の写真家たちの作品。石川文洋、岡村昭彦、沢田教一という3人の写真(きわめて有名なものもいくつも含まれている)を見て、いったい戦場で何を思いどんな日々を送っていたのか、想像できないことを想像。なんという生き方だろう。

ヴェトナム戦争はぼくの小学生のころ。小学校の壁に貼られる「小学生ニュース」的な壁新聞に、ときおり戦場の写真がとりあげられていた。いまでも覚えているのは、アメリカ兵が射殺したヴェトコンの死体を靴で踏みつけながら、狩りの獲物のように勝ち誇っている写真。キャプションに、「このあとアメリカ兵は銃剣で死体の腹を裂き、肝臓をとりだして生で食った」とあったのに、強烈な吐き気を感じた。

ニコラス・ニクソンの「ピープル」連作もいい。こういう写真は、つねに見ていて楽しい。それから2階にゆき、日本の新進作家展vol.7「オン・ユア・ボディ」を見たが、その中では朝海(あさかい)陽子の「自宅で映画を観る」人々をとったシリーズが、特に気に入った。これもクロモジェニックの大きなサイズのプリント。朝海さんは川崎市在住だそうだ。生田のキャンパスにお招きする機会を作れないものかな、と思った。

大学院入試2期は2月26日

われわれの大学院、新領域創造専攻DC系の2期入試は2009年2月26日です。募集は若干名ですが、やる気のある人はいつでも大歓迎です。

すでに募集要項の頒布がはじまっています。出願期間は1月20日から30日まで。

http://www.meiji.ac.jp/sst/grad/examination/

ぼくの研究室はすでに内部進学と8月の1期入試で4名が内定しています(うち2名が留学生)ので、あと1名、多くて2名の人を受入れる準備あり。現代社会のさまざまな問題を、経験を、100年、1000年、1万年、100万年のスパンで考えてみようという人を求めています。

「ネオ・トロピカリア」

東京都現代美術館にて開催中の「ネオ・トロピカリア」、カタログがついに完成しました。われらが近藤一弥さんがデザイン。カラフルで楽しい世界が、ページごとに躍動しています。

ぼくはエッセー「ファヴェーラが生み出す光」を寄稿。68、69ページです。

「フィガロジャポン」12月20日号

「フィガロジャポン」は年末恒例の読書特集。今回はもともと「少女時代の自分に読ませたくない毒のあるファンタジー」というテーマで3冊の選択を依頼されました。

少女だったことがなくファンタジーというジャンルも知らないぼくとしては、知性こそもっとも反社会的な毒だという立場から、数学・神学・哲学(の周辺)の3冊を選んでみました。65ページをごらんください。

アンケート以外では、大竹昭子さんによるナンシー・ヒューストンさんのインタビューを興味深く拝見。

Saturday 6 December 2008

「アフンルパル通信」

「アフンルパル通信」6号が完成。札幌の書肆吉成から届いた。

1年3回発行なので、これで丸2年か。ひとり北の都会で古書店を営む吉成くんのがんばりに頭が下がる。書肆吉成の「目録」第1号ももらって、どうもありがとう! 「アフンルパル通信」の題字が吉増剛造師匠、「目録」の題字が山口昌男老師とは、吉成くん、それだけで生涯の栄光だね。目録のインプットだけで、相当な作業だったでしょう。おつかれさまでした。

充実の6号、ぼくは連作「Agendars」のアラビア数字13から15までを寄稿。これでやっと18編になった。128編で1冊の詩集にするつもりなので、まだまだ道は遠い。

改めて、この小冊子の版型のよさを思う。みなさん、ぜひ定期購読しましょう! http://camenosima.comまでどうぞ。

Friday 5 December 2008

タルコフスキイ

アキバの授業からの帰りがけ、書店で立ち読みしてて、驚くべき言葉に出会い、釘付けになった。

「私が映画をモンタージュの芸術だと認めないもうひとつの理由は、映画がスクリーンを超えて延びてゆくのを、モンタージュが妨げるからである。つまり、観客が目の前の白い布に観ている対象に、自分の経験を参加させる権利を与えないからだ。モンタージュ映画は観客に判じ絵や謎を与え、シンボルを解明したり、比喩を楽しむよう強制し、観る者の知的経験にアピールしようとする。しかし、これらの謎は、あいにく正確に形式化された答えを持っているのだ」(『タルコフスキイの映画術』、扇千恵訳、水声社、166ページ)

「観客との出会い」の中で、映画そのものが生きはじめる人生とは?

そういえば、タルコフスキイからも、ずいぶんひさしく遠ざかっている。

Thursday 4 December 2008

高橋悠治+上野信一

3日、津田ホールにて、ピアニストの高橋悠治さんとパーカッショニストの上野信一さんのデュオ・リサイタル。

パーカッション・ソロの「狼」、ピアノ・ソロの「子守歌」と「アフロアジア的バッハ」。ついで第2部ではすべて新作初演で、ピアノとパーカッションの「打バッハ」、パーカッションの「コヨーテ・メロディ」、ふたたびデュオの「花の世界」と、充実の時が続く。

抑制のきいた気持ちのいい演奏。特に上野さんの多彩で丁寧でソウルフルな演奏にふれるのははじめてだったが、ビーンと響いてきた。

昨年、スイス大使館主催の「ブレーズ・サンドラール生誕120周年」イベントでご一緒して以来の高橋さんは、いよいよ洒脱な、独特な精神のたたずまい。新作がネズパースやヤキといった、アメリカ先住民のエスノポエティックな世界から題材を得ているのが、ぼくにはうれしい。興味がある人は、ぼくの『コヨーテ読書』も、ぜひ見てください。

「アフロアジア的バッハ」は、今福龍太さんが主宰する奄美自由大学で、ちょっとまえに、奄美の木造のキリスト教会を巡歴しながら悠治さんが演奏された曲だそうだ。その場に立ち会えなくて、残念だった。

ともあれ、楽しい夕べでした。お招きいただいた杉山直子さん、ありがとうございます!

Wednesday 3 December 2008

ヨロボン

以前京都で発行されていた、美学者の吉岡洋さんが編集長を務める雑誌「Diatxt.」が山口情報芸術センターに場を移し、市民編集グループ「編脳研」の共同作業として作られた山口版「ヨロボン」が届きました。「ヨロ」とは何? 横に倒してみるなら、あらふしぎ、「山口」そのもの。

おまけにオビには「山口」昌男先生の言葉があるところまで、遊び心でいっぱいです。

ぼくは妙に憂鬱な読書エッセー「<声の花>と眠る書物」を寄稿しました(pp.122-128)。今年のお正月に書いたものですが、その後の一年も読書の技術や方法論に関して、まるで進歩がなかったのを反省。

吉岡さんの活動ぶり、編集センスには、ほんとに脱帽です。ついこのあいだぼくも訪れたせんだいメディアテークでは、11月29日から吉岡さん監修の高嶺格「大きな休息」がはじまっています。東奔西走するのも、哲学者の心意気。

いつか、DC系にも、ぜひお呼びしたいと思います。

増山たづ子写真展

新宿のコニカミノルタプラザで、増山たづ子さんの写真展「遺されたネガから」を見てきました。

行ったこともないのになつかしいものとなった徳山村の生活と情景が、ここにもまた、ここにもまた。先月、中国でダムによる記憶の破壊の話をしたばかりだったので、なんともジンと来ます。

名古屋テレビ制作の、たづ子さんの姿を追った短い番組を見て、ついほろり。そして知らなかった新聞記事をいくつか読んで、どれもおもしろかった。たづ子さんが愛用していたピッカリコニカ開発者の方の、「技術者冥利につきます」という言葉。それはそうだろうなあ。またたづ子さんの甥にあたる、村の小学校の先生で児童文学者だった方が語る、カメラと出会うまえのたづ子さんの、病にふせりがちな暗い時代の姿にもハッとさせられます。

たづ子さんのあのすばらしい明るさは、写真と出会ってからのものだったとのこと。男手がないと村の共同作業に参加できないため、戦後ずっと他の村人たちに負い目を感じながら暮らしていたにちがいない、ということ。また、たづ子さんが戦争で夫を奪われ、ダムにふるさとを奪われという面ばかりが報道では強調されるけれど、村の女たちは概して戦争のときはよろこんで男たちを送り出し、ダムによる移住をよろこぶ人も多くいたのであり、マスメディアの物語をそのまま信じてはいけないという指摘も、もっともだと思いました。

そうしたすべてをひっくるめて、この、ときにはピンぼけの写真がもつ意味の、大きさに打たれます。来週9日(火)まで。新宿を通る機会があったら、ぜひ立ち寄ってください。会場は東口、高野の4階です。

Blue Planet Constantly Walking

きょう(2日)は佐藤文則写真展「ダンシング・ヴードゥー」の初日。それを記念して、DC系の大学院生と1、2年生のみんな(波戸岡ゼミ、林ゼミ、倉石ゼミ、清岡ゼミ)で、佐藤さんのお話をうかがう時間を作ることができた。メディアホールでの、でっかい映像つき! 充実の90分だった。

詳細は清岡さんのブログを参照。

http://tomo-524.blogspot.com/

今回の展示によって、掛け値なしに、ギャラリー・ゼロは本格的な現代写真ギャラリーとして完成したと思う。これからも、写真や美術、科学と社会の接点の表現の場として、いろいろやっていきたい。つねに協力を惜しまない図書館スタッフのみなさん、特に鬼丸さんと生田地区担当明治大学図書館副館長の浜口先生、ありがとうございました。

いまは、来年度にむけて特別展示の構想中。プランはいくつもある。

ひとつには、Walkingと題して、人類史のはじまり以来の「歩行」をテーマに、図書や映像の展示をおこなうこと。キュレーションは、宇野澤昌樹、ダニエラ・カトーと、ぼく。

「歩くこと」がテーマになっている本や映像作品の情報、大歓迎です。いつでも連絡してください。

たとえばこないだの土曜日には、友人の旦敬介くんのおかげで、むかしから見たかったブラジルのネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督のVidas Secas(乾いた人生)を見ることができた。これなんか、ブラジルの北東部を舞台に、まさに家族の歩行にはじまり歩行に終わる、恐るべき傑作だった。

石川直樹さんによると、ブルース・チャトウィンの『ソングラインズ』も新訳が出るそうだし。

ぼくのむかしからの持論は、毎日2、30キロを歩くことを中心として生活を見直せば、現代社会のほとんどすべての物質的・精神的な問題は解決する、というもの。一歩60センチとして、5万歩で30キロ。そうすれば個人も社会も、5万歩の精神と体型になってゆくにちがいない。

まずは欠かさず2万歩をめざすか。

Monday 1 December 2008

設営完了!

明日からはじまる佐藤文則さん写真展「ダンシング・ヴードゥー」の会場設営が、先ほど完了した。朝から作業してくださった佐藤さん、宇野澤くん、おつかれさまでした、ありがとうございました。ぼくはお昼から手伝っただけで、すみませんでした。石川くんも、ご協力ありがとう。そして図書館の鬼丸さん、すっかりお世話になりました。

おかげさまで、すばらしいできばえ! 驚異的なヴードゥー写真28点に加えて、ヴードゥーのドラポ(旗)やブティ(瓶)、そして充実のスライドショー。世界のどこでもほかでは絶対に見られない、ハイチの熱気がむんむんする展示です。ぜひ、生田駅から10分歩いて、見に来てください。

以下、明治大学ホームページより転載。

「ダンシング・ヴードゥー ハイチを彩る精霊たち」 
佐藤文則写真展

 フォト・ジャーナリスト佐藤文則氏の写真展を開催します。佐藤氏は過去20年にわたってハイチの人々の生活と政治状況の取材を重ねてきました。
 「世界最初の黒人共和国」「西半球で最も貧しい国」として知られるハイチ。佐藤氏の写真には、ハイチの人々の過酷な生活が克明に写し撮られています。強烈な衝撃を受けます。未知の土地に対しての想像が爆発的に広がります。
 ハイチの歴史や文化、人々の生活を考える上で欠かすことができないのが民間信仰のヴードゥーです。つねに空腹の生活、展望の見えない政治状況、そんな劣悪な環境でもハイチの人々はたくましく生きています。彼らが信じているヴードゥーとはどのようなものなのでしょうか。
 本展では、佐藤氏の20年におよぶ取材によって撮影された写真の中から、ハイチにおけるヴードゥーをテーマに選んだ約30点の写真を展示いたします。あわせて佐藤氏が所蔵する旗や瓶などのヴードゥー・アートも展示します。ぜひ、ご覧ください。

■会期2008年12月2日(火)〜2009年1月9日(金)
※ただし12月28日(日)〜1月4日(日)は休館。

■時間 平日8:30〜19:00 土8:30〜18:30 日祝10:00〜16:30
※ただし12月23日(火)〜27日(土)と1月5日(月)〜7日(水)は10:00〜16:30

■会場 明治大学生田図書館 Gallery ZERO
(小田急線生田駅下車南口徒歩約10分)
 MAP

■主催 明治大学大学院新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系

※一般の方もご来場いただけます。図書館入口ゲート前の呼出しボタンにて係りをお呼びください。

佐藤文則<略歴>
フォト・ジャーナリスト。明治大学文学部卒業後、1979年に渡米し、San Francisco City Collegeで写真を学ぶ。フォトエージェンシーの「Impact Visuals」(New York)、「Sipa Press」を経て、現在「OnAsia Images」(Bangkok)に所属。1988年からハイチ取材を開始。他に米国、東南アジア諸国を中心に活動する。日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。
著書に『ハイチ 目覚めたカリブの黒人共和国』(凱風社)、『ダンシング・ヴードゥー ハイチを彩る精霊たち』(凱風社)などがある。