2008年9月30日火曜日

さあ、秋のはじまり(本格的に)

しとしと降る雨に、秋が本格的にはじまったと思う。今年も残り4半分とは、血も凍る、涙も止まる。いまが5月なら! せめて6月なら! まだ約束をはたしていないみなさん、ごめんなさい。日々、ビーバーか蟻かオオアリクイのように作業中です。

きょうは写真家のトヨダヒトシくんと、スライドショー会場の下見と相談に。明治大学和泉キャンパス(いわゆる「明大前」下車)で、10月24日(金)に決行する。詳細はまた。

帰りがけ、明治の学生なら誰でも知っている、沖縄料理の宮古へ。トヨダくんとのんびり話すと、ほんとにほっとする。日ごろのぼくが巻き込まれているバカげたペースの、対極にいる人。けっして自分を失わない、思慮深い、得難い友人だ。

DC系の秋は、またもや盛りだくさん。トヨダくんのスライドショーにつづいて、11月にはデザイナーの近藤一弥さんとの書店イベント(BOOKS 246)を予定。そして12月には、明治大学生田図書館のギャラリー・ゼロで、フォトジャーナリストの佐藤文則さんのハイチ写真展を開催する。たぶん、佐藤さんを囲む会も。

もちろん、すべて無料だよ。1、2年生の諸君も、ぜひ積極的に参加してくれ! 他大学のみなさんも大歓迎です。

「書評空間」

紀伊國屋書店の書評ブログ「書評空間」に参加することになった。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/

月に1回から4回(あるいはそれ以上!)、さまざまな本をめぐるさまざまな長さの書評を書いていく、つもり。学校の授業とは連動するかもしれないし、表面上なんの関係もないまま過ぎていくかもしれない。

「書評空間」が場としてすぐれているのは、長さが自由であること、そして扱う本が新刊書には限られないことだ(品切れでないかぎり)。

とりあげたい本は、たくさんある。ないのは読む時間、書く時間。ときどきのぞいてみてください。

2008年9月29日月曜日

ロティが見たモアイたちが『砂漠論』を見ている、のを見ている

春にラパ・ヌイ(イースター島)でぼくがいたずらで撮ってきた写真が、フランス文学者・工藤庸子さんのブログにアップされた。

http://www.campus.u-air.ac.jp/~kudo/

あの人気作家ピエール・ロティが若いころこの島を訪れているのは、驚異。何しろ19世紀後半の話、果てしない時間がかかったにちがいない。でも、たぶんそのころすでに、タヒチとのあいだの航路は確立されていたのだろう。現在の航空路は、それをなぞっているにすぎないのかも。

植民地主義を支える精神の態度に誰よりも意識的な文学者である工藤さん、ロティについてのモノグラフを準備していらっしゃるようだ。これは楽しみ! ぼくはぼくでやりたい仕事はたくさんあるが、ゴーギャンのお墓参りもそのひとつ。

けれどもすでに過ぎ去った大観光時代の延長のような行動をいつまでもくりかえしたくもない。けれども、それでも、いくつか見届け空気を味わい音を聞いてみたい場所がある。

そんな場所が99あるとして、そのうちの9つを選んで3年にいちど、旅をする(いろいろあきらめて)。そうすれば今後の27年で、地球の一角を垣間見ることができるのかも。2035年。それとも、そんな気楽な観光旅行の日々は、それよりもずっと早く終わりを告げるだろうか。

2035年には、地球の人口は予測ではいまよりも20億人増えているらしい。もうけっして増えないのはモアイの数。かれらはひたすら摩滅してゆく。ごくろうさま、といいたい。

2008年9月28日日曜日

ア太郎の夢と西郷信綱

昨日、机にむかったままうたた寝して見た夢。

何人かのともだちと遊んでいる。みんな小学生(だと思われる、自分も含めて)。中にア太郎がいる。ア太郎だけ、2次元のまま、平面の線描きのまま。はちまきをし、鉛筆を耳にはさんだ、いつもの格好で。

ぼくが「ア太郎、おまえ薄いねー、やっぱり」というと、ア太郎が朗らかに「それをいうなって!」と答え、みんなゲラゲラ笑う。

やがて(といっても1秒くらいあとか?)ア太郎が「あ、そろそろ帰って仕事するよ。じゃ、またな!」と快活にいって帰ってゆく。みんなで「ア太郎はえらいなあ」「えらいよ、あいつ」と口々にいって感心する。

目覚めて、何か充実感あり。ここにいた「みんな」が誰かはわからないが、ア太郎が妙にあざやかだった。マンガのキャラクターも、現実の過去の知人も、生きている人間も、死んだ友人も、夢の中にはみんながいる。それはもちろんこっちの心が作っていることだけれど、夢のア太郎が元気づけてくれるのは事実、真実。

昨日、私淑する西郷信綱さんの逝去が報じられた。92歳。ぼくはずっと自分の専門を「比較詩学研究」と呼んできたけど、この角度からすれば現代日本における最大の巨人だった。お弔いの場所は生田だという。ということは、うちの職場のそばに住んでおられたのか! まったく知らなかった。

そして死者といえば、デヴィッド・フォスター・ウォレスが先日亡くなったことを知った。ぼくより4歳年下だが、現代アメリカのもっとも才能ある作家のひとりだと誰からも呼ばれてきた。20年来服用していた抗鬱剤の副作用がひどくなったので薬をやめ、するとこんどは鬱がひどくなったのだという。自殺。彼の名声は大学院生のころからずっと耳にしてきたものの、読んだことがない。この機会に読むのもかなしいが、手にとってみようと思う。

すっかり涼しくなった。

2008年9月27日土曜日

ボルネオの猫町?

同僚の林ひふみさん(中国語)が夏にボルネオに旅行して、その話を聞かせてくれた。

特にいいのはサラワク州だそうだ。州都クチン(猫の町、という意味)は美しく、そこからグヌン・ムル国立公園をめざせば、たちまち巨大な洞窟群と、緑濃く酸素も濃い熱帯雨林へ。おびただしい野生動物に驚きっぱなし。目も鼻孔も肺も洗われて、体が軽快になるのを実感できる。

もちろん、オランウータンも見られる(それが目的の人も多い)。オランウータンだけじゃなくて、テングザルをはじめとする各種の猿たちも、いたるところにいるそうだ。

しばらくまえから気にはなっていたのだが、行ってみたい。2004年にペナンで買ってきたマレー語/英語辞典をとりだして、しばしページをくってみる。

ところでひふみさんは、中国語の著書が10冊以上ある、中国世界の人気コラムニスト(新井一二三の名で書いている)。ぜんぜん知らない文化圏に詳しい同僚をもつことの楽しさを、いつも実感させてくれる。北京料理の達人でもある。

カラハーイ=羅針盤

あれほど耳に親しい「カラハーイ」という言葉だが、その意味を知らなかった。それがところがいまは「グーグルに訊いてみる」(コンゴ共和国出身のロジェ神父さまの表現)と、たちどころにわかる。

「カラハーイ」とは沖縄語で「羅針盤」のこと。想像するに、「唐」伝来の「針」といったあたりが語源だろうか?

そう聞いて、突然、りんけんバンドと羅針盤がつながる。山本精一ひきいる羅針盤は、日本のバンドでぼくが長らくいちばん好きだったバンド。

興味がない人にはまるで意味がないことだけど、自分にとってはこうして思いがけないつながり方をしてそれが頭から離れなくなることも、いろいろある。

2008年9月25日木曜日

『あじまぁのウタ』『青空娘』

いよいよ後期の授業開始。木曜日は正午から午後6時まで、とにかくダラダラとセッションを続けるという日(その後のパブでの雑談を含めると8時まで!)なので、まずは景気をつけるため、パコや宇野澤くんらとビデオを2本観た。

まず、りんけんバンドと上原知子を追ったドキュメンタリー『あじまぁのウタ 上原知子----天上の歌声』(青山真治、2002年)。上原知子の強烈に美しい歌声と存在感に魅了される。そして彼女のために毎日毎日歌を書き続ける林賢さんのかっこよさ。

1991年ごろのシアトルで、毎日りんけんバンドばかり聴いていたのを思い出す。こんどは北谷のカラハーイにかれらのライヴを観に行きたい。

ついで増村保造の『青空娘』(1957年)。スピード感のある展開とあまりにわざとらしい台詞に、爆笑と幸福感が立ちこめる。すごい作品。20代はじめの若尾文子がかわいいが、それ以上に「おっ」と思うのがミヤコ蝶々の好演。そして、半世紀前の東京の、胸が痛くなるほどの異国ぶり。

これでみんなやる気が出た。後期は、充実が約束されている。意識がガラリと変わるような半年にしよう!

2008年9月24日水曜日

こんな風に

The connective humanities などといってはみても、まったく実践していない。つまり、内容面での多領域の結合だけでなく、ウェブ・ベースの情報集積・交換・交流を含めて考えているのに、ぼくはそれをまったくやっていない。

まだ時間のバランスとして、紙の本を読んだり手書きでメモをとったりすることがほとんどで、オン・ラインになるのは厖大なメールの返事(それも大部分は2、3行)と調べもの、ときどき読むいろんな人のブログ訪問程度。

ほんとは自分のエントリーもきちんと内容のあるものを書き、書かれたコメントに返事をしたり、他の人のブログにコメントをしたり、あれこれとつなげる作業にとりくめばさぞおもしろいだろうなあとは思うが、いまはまだその方向に振り子がふれていない感じ。オン・ラインの時間は1日に30分以内に抑えたい(そうしないと何も進まなくなる)。だから所属する仮想「共同体」みたいなものはない。

それで、このブログも大半は毎週顔を合わせる学生のみんなに宛てた「お知らせ」と「報告」だけ。ちょっとおもしろみに欠けるね、たしかに。

文章の発表形態をウェブ・ベースに切り替え、このコミュニケーションのかたちをつきつめ、生きること、考えること、書くこと、知ること、動くことなどの起点をすべてこの画面からおこなうのも、たぶん可能にはちがいないと思いつつ、いまはまだ「紙」と「対面」の世界で生きている。

そんな中、ひどく感心するブログにもときどき出会う。ひとつは札幌大学の哲学者、三上さんのブログ。

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/

愛犬の風太郎をめぐるエントリーには、いつもじんわり涙がこぼれそうになる。さっきいった「生きること」から「動くこと」までの理想に関して、たぶん(少なくとも日本語世界では)もっとも遠くまで行っている人だ。日々の写真もすばらしい。

そしてもうひとつはカリフォルニア大学アーヴァイン校の批評家レイ・テラダのブログ Work Without Dread。

http://workwithoutdread.blogspot.com/

更新回数は少ないが、異様なまでの鋭敏さを感じる。

こうしたすべてが、完全に無償で提供されていることに驚くのは、すでにわれわれがいかに貨幣経済と消費主義に毒されているかを物語るものでしかないだろう。

無償の贈与への信。出版の現行形態がいよいよ追いつめられていることは日々実感しているが、人類の情報交換が次のステージに移行するまでには、まだちょっと時間がかかるのかなとも思う。まだしばらく、紙の世界にこだわりつつ、読んだり書いたり遊んだりしてみようか。

「団地再生を考える」

新聞と一緒に配達されてくるマンション生活情報紙「ウェンディ」232号に、新領域創造の同僚(安全学系)である山本俊哉さんの記事が出ていた。「団地再生を考える----安全で安心な住まいづくり」。

ひとことでいって、空き巣に入られやすい住宅・場所はどんなところかを検討し、ヨーロッパの郊外大規模団地(特にオランダ)の防犯対策の事例から学ぼうというもの。

山本さんは建築学科所属の都市計画の専門家。安全学系は建築、化学、技術一般、防災、食品、犯罪など、これも考える対象には事欠かない専攻系だ。

そこでも求められるのは、結局、どんな社会に住みたいのかというヴィジョン。学生のみんなには、DC系も安全学系もなく相互の考えを聴く機会をもってほしい。たとえば「新領域創造特論」の授業はそんな場だったし、12月に予定されている修士論文中間発表会もそうなるだろう。

上記の記事、コピーが欲しい人はぼくの研究室に寄ってください。

The Connective Humanities

このページに使っているこの名称。まだ説明していなかった。去年、同僚の波戸岡さんや倉石さんに話していたこと。

簡単にいうと、いろいろな分野を連結・綜合しつつ、人類史の現在を考えることを目的とする。ぼくらはinterdisciplinaryという合言葉のもとに1980年前後の学生時代を送ってきたが、ルネ・ジラールはそのころからinterではなくtransだといっていたし、ミシェル・セールにいたっては「文」も「理」もないどころか「科学」も「詩」も区別がなかった。

(いや、実際にはセールは「哲学」と「文学」を峻別しているのだが、少なくとも知識を求めるにあたって、彼はすべての時代のすべてのジャンルのテクストを同水準に置く。)

もうひとつ。やはりインターネットの発達以前と以後では、知識の共有の仕方ががらりと変わった。「大学」の意味や役割も、たぶん完全に変質した。いま大学で新入生たちと対面して驚くのは、かれらの大学観が完全に1世代以上まえのものだということ。生物学的1世代、つまり25年、30年前。

で、あいかわらず「単位ください」と答案用紙のかたすみに書いてみたり。それはむかしながらの答案用紙を使っているこっちも悪いのかもしれないけど。

大学はたぶんほっといても、実質を失った部分から、蒸発するようにこの地上を去ってゆくことだろう。遠からず。

ぼくがイメージしていた「連結的人文学」とは、運営面からいうとインターネット・ベースの授業であり、教員の勤務形態をさす。

授業セッションは「発表会」を中心に、1学期に2度、中間・期末の時期に合宿か長い一日がかりのミーティングをやる。それだけ。あとは自分でまとまった文章を書く。質問その他は必要を感じたときにぼくのオフィスに話にくる。雑談会もオーケー、もちろん。自分たちで読書会を組織したいなら、それに必要な助言その他は惜しまない。なんにせよ、出たくもない授業を単位のためにとるような愚行は、断固としておしまい。読み、書くのは、ひとりでやるしかない。

こっちの勤務形態としては、上記のような「授業」を学部1・2年むけ、3・4年むけ、大学院むけ、それぞれ20名・20名・10名限定で開講。あとはこちらのアウトプットをすべてウェブ上で行なう。

年間に、ハードな論文を3点くらいとエッセーを1冊分(360枚程度)、ウェブ上で発表する。また理工学部という特色を生かして、諸分野の研究室をたずね、研究内容についての聞き書きをまとめ、学部ページに発表する。このあたり、学部の「広報担当」も兼ねるというわけ。(もっとも「論文」と「エッセー」と「インタビュー」といった区別をつける必要もないし、長さをそろえる必要もない。すべての思考の種子を、そのまま出していけばそれでいい。)

そして役職上名乗るのは"Professor in the connective humanities."

授業形態は、別に目新しいことではない。たとえばアメリカのSt. John's College では、授業がない。学生はテューターと相談して、自分なりの読書リストを作る。それをひたすら読んでいって、最終的に口頭試問を受けて、卒業。完全に個人ベース、最初から最後まで真剣勝負。

そんなカリキュラムに、こっちの少しばかりの希望を入れてみたのが、上記のかたち。

大学はものすごい可能性のある場だ、それは変わらない。ところがその使用法は? 授業のやり方も、評価の仕方も、実質をめざして、根本的に見直していいのではないだろうか。いや、ではないだろうか、ではなく、見直していい。

2008年9月21日日曜日

「表現3原則」according to Daido

「表現3原則。
自分の言葉で書く。
何事も批判しない。
正論には与しない。」

若き友人、ダイドーくんの断章集「雪結晶」から。

http://hobo.no-blog.jp/train/

少しずつ読むと、大変に味わい深い。いろいろよく考えてるなあ。痛いところを突かれまくって満身創痍。

自分がいまの彼の年齢だった23、4歳のころは、まったく何にも考えてなかったと慨嘆せざるをえない。半世紀を経てなお考えは浅くて浅くて蟻が溺れる砂漠の涸れ川程度だけれど。

後生畏るべし! でもこっちもまた何度でもゼロから再出発だ。

2008年9月20日土曜日

思いとか郷愁とか日本語とかムダンサとか

台風が接近する中、細川周平さんの日系ブラジル研究第3弾『遠きにありてつくるもの』(みすず書房)の出版記念イベント。新宿のジュンク堂で。

ぼくはもっぱら進行役を務める。聴衆のみなさんからの質問も多くて、充実した会になったと思う。「日系」の心を語るというむずかしく繊細な仕事に、細心の注意をもってとりくんだ細川さんの「やる気」に、大いに触発された。

ぼく自身は、ブラジルについても、日系についても、何も語る資格がない。けれどもそんな主題をまるで想像できないわけでもなく、またこうした「想像可能性」をはじめから捨ててしまえば、世界はいかにも味気ない場所になってしまう。

ともあれ、悪天候をついてお出かけいただいたみなさん、ありがとうございました。日本とブラジルという対蹠点の国が独特の仕方で出会って、百年。その歴史をいろいろなかたちで共有することは、日ごろブラジルにまるで無縁な人にだって意味のあることにちがいない。

そういえば、むかし、20数年前にたわむれに作った前衛(?)俳句を思い出した。

細心周到 細胞周期 細川周平

2008年9月16日火曜日

イスラエル3泊5日?

新学期をひかえ「やること多いなあ、困ったなあ」と思いつつ犬の散歩に出かけたりする今日このごろだが、そんなとき茂木健一郎さんのブログ「クオリア日記」を見ると、愕然とする。

ぼくが1ダースどころか3ダースばかりいてもぜんぜん太刀打ちできない、仕事の数・量、移動距離の果てしない長さだ。

9月13日にさいたま芸術劇場で児玉桃さんというピアニストのレクチャー・コンサートに出演し、その後、テレビ番組を収録し、その夜、成田からパリにむかう。早朝のパリで乗り継ぎ便を待ち、イスラエルへ。そして帰国予定が日本時間で17日の夜、だというのだから、機内泊を含めて(往復とも?)の5日間という日程なんだろう。宿で寝られるのは、たぶん2・5日?

そしてその間にも写真入りのブログをこまめに更新し、たぶんすごい量の原稿を書いて。考えられない作業量。

こっちはこっちのカタツムリかヤドカリのペースで、のんびりやっていこう。でも、わざと2泊4日とかいった無茶な旅程で、たとえばアイルランドの西海岸にでも行けたらおもしろいだろうなあとも思う。

2008年9月14日日曜日

さよならウルルン

『ウルルン』がついに終わった。ちょうど10年前に帰国してから、ときどき見ていた(見るようにして見ていた)唯一の番組。

むかしスペイン人女性の知人がきびしく批判していて、その批判はほとんど当たっていると思ったが、それでも見ればおもしろいことが多くて、へえっと感心すること教えられることもたくさんあった。

そして番組に与えられた枠での1週間の滞在でも、人とのふれあいには本当も嘘もない、別れの涙にも。みんなそれぞれの真実。

よく覚えている回が、もう×年前だなんて知って驚いたこともしばしば。どこかの時間帯で全体を再放送してくれれば、また見て楽しい回もいくつもありそうだ。(いろんな番組の再放送専門局とか、あってほしい。)

これで日曜夜の楽しみがなくなり、見ようと思って見る番組は、もうなくなったのがさびしい。

きょうの最終回で思ったこと。照英になついていたトルコのでっかい犬(カンガル犬)がほしい。それとギャルそねちゃんの食べっぷり、ラブレーに見せてやりたかった。

サローヤンの贈り物

アジア系アメリカ文学研究会にお招きいただいて、「サローヤンの贈り物」と題する講演を行なった。神田の学士会館にて。

アルメニア系のサローヤン、そして彼から一貫して励まされてきた日系のトシオ・モリという、ふたりのカリフォルニア作家の短篇を3つずつ選び、そこに共通する気分・思想・希望について話してみた。

それから最後に、サローヤン一家のアメリカ移住の背後にあるトルコ領内でのアルメニア人大虐殺と、それを直接に扱ったアルメニア系カナダ人の映画監督アトム・エゴヤンの『アララト』にふれる。

準備が遅れてしまい、明け方までかかったのでかなり不安だったが、きわめて反応のいい聴衆のみなさんに助けられて、なんとか話を終えることができた。ディスカッションも時間を30分延長して、大変に活発で、内容があるものとなった。

去年から、サローヤンの生誕100年にあたって何かできないかと思っていたが、これでその希望は達せられた。目的はただひとつ、彼に対する感謝のため。絶対に届くことのない感謝だが、感謝であることに変わりはない。

サローヤンとモリのいくつかの短篇をじっくりと読み直し、また大きな何かを贈られた気持ち。機会を与えていただいたアジア系アメリカ文学研究会のみなさん、ありがとうございました!

2008年9月13日土曜日

どこでもありうる小さな町

きょうはずっとウィリアム・サローヤンおよび日系アメリカ作家のトシオ・モリについて考えていたので、参照する必要があって夕方、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』の訳本(講談社学芸文庫)を買いに、2駅先の書店へ。

帰路、年譜を見はじめたら、なんと! アンダーソンは1876年9月13日生まれだった。

よりによって、きょう、9月13日。別に意味はないが、あるといいだせば、ある。たくさんの短篇からなるグロテスクな人々の肖像。通読したことはない。モリの短編集『ヨコハマ、カリフォルニア』は直接にこのタイトルを意識していた。サローヤンもアンダーソンを愛読していた。

それからすぐ電車内で、「紙の玉」というごく短いものを読む。かなり強烈。暗い、暗い。ぜんぶ一度に読む気にはならないが、しばらく楽しめそうだ。

本書は小島信夫+浜本武雄という、職場の大先輩たちの仕事。言葉の感覚はおのずからちがうが、その電位差もまた興味深い。

2008年9月12日金曜日

火の力を撮る

サンタ・フェの広場のそばにある写真専門のギャラリーが、アンドルー・スミス・ギャラリー。そこで見たJoan Myersの写真が妙に気になっている。

http://www.andrewsmithgallery.com/exhibitions/joanmyers/brimstone/index.html

イエローストーン、ポンペイ、アイスランドを撮ったものが数枚ずつ。3つの土地をむすぶのは火の力、火山、地熱。

ここに第4の地点を付け加えるとするなら? とりあえず伊豆大島にでも行ってみようか、ゼミ旅行として。

「ひとつの生命が他の別の生命を呼ぶ時に音が生まれる」

今年の前期の大学院授業で指定したテクストのひとつが『武満徹・対談選』(ちくま学芸文庫)。その姉妹編ともいうべき『武満徹エッセイ選』が完成し、古い友人である編者の小沼純一さんから送られてきた。

これもじつにおもしろい。驚くべき言葉にみちている。武満さんが希代の読書家であったことはいまさらいうまでもないが、はらりと開いたページにこんな言葉があると、粛然とする。

「今日のように出版される書籍の数が多ければ、買い求めたものをすべて手もとにとどめておくのはわずらわしい。一、二行のことばを私の内部に保存しておけば良い。だから、読みおえた書物はなるべく他人に貸すことにしている。本だなは書物にとっては仮住まいでしかないだろう。
 いつも新鮮に響くことば、それは粗い鉱石であって私たちの日常のなかで磨かれて行く。私にとっては発見に富んだ書物だけが必要だ。私たちは本を読むことで思考し、さらにたいせつなのは、それによって歩行するということだ。とすれば、余りたくさんの書物は、かえって私たちの歩行の邪魔になりはしないか」

そのとおりだと思う。

将来の一、二年生ゼミでひとつ考えているのが、「思考の種子」集め。せいぜい二行くらいにまとめられる発想の種を、一日につき三つ、一週間で二十一くらい、ノートに書き溜めてゆく。

たとえば武満さん自身の例をあげるなら、こうなる。

「イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ」

こんな風に石つぶてのようにまとめた短い言葉を、日々反芻しつつ考えること。それが「連結的人文学」の基礎的な作業になるだろう。

2008年9月9日火曜日

I Think I Love You

けさ、例によってMr.ドーナツでコーヒーを飲んでいたら、あまりにもよく知った歌がカバーで流れてきた。タイトルはI Think I Love You。ところが、そのオリジナルの歌手がどうしても思い出せない。このところ、記憶力がズタズタになっている。半世紀も生きると、仕方ないとはいえ。

ともあれ、考えに考えるうちに、ふと思い出した。あれはザ・パートリッジ・ファミリー! 70年代前半の中高生のころ大好きだったテレビ番組だ。

グループの中心はデヴィッド・キャサディーだが、お姉さん役はスーザン・デイ。そのころいちばん好きだった女優が、彼女。

それなのにもう30年以上、考えたこともなかったなあ。Infatuationとはいい加減なもの。ドーナツ屋で流れてきたカバーの歌い手はVoice of the Beehiveというグループだそうだ。じつにいい名前だと思う。

(ところでかれらがこの曲をシングルで出したのは1991年のことらしい。英語圏のポップスをぜんぜん聞かなかった時期なので、まったく知らなかった!)

プエブロから戻って

ニューメキシコ州には19のプエブロ(先住民の村)がある。そのうち、もっとも南西にあるズニ、もっとも北東にあるタオス、そして空中都市と呼ばれるアコマをたずねる旅から帰ってきたところ。

強烈だった。なかでもアコマでは、守護聖人サン・エステバン(聖ステファヌス)のお祭りをじっくり見ることができた。秋の収穫祭。

アコマは1989年に初めて訪れて、それまでの人生がガラガラと崩れるような思いをした場所だ。以来、5回訪れているが、サン・エステバンのお祭りを見るのは初めて。200人を超えるダンサーたち(幼児から老人まで)の踊りに圧倒された。

ズニ、タオスのことも含めて、いずれ文章を書くつもり。でも書けないかも。

ズニの村のそば、高原砂漠を見下ろす断崖エル・モーロに初めて登り、流れる雲の影を見ていた。まだいくつも、北アメリカの荒野の中に、訪れたい地点がある。

この週末、「週刊ブックレビュー」で翻訳家のくぼたのぞみさんがエイミー・ベンダー『わがままなやつら』を取り上げてくださった模様。見逃して、残念! さあ、これから秋の仕事の嵐だ。