2008年6月30日月曜日

国道の名の下に

あきれはてた愚行。名古屋市の中心部を走る伏見通りで、大きな街路樹100本がばっさりと伐採された。

http://www.asahi.com/national/update/0628/NGY200806280009.html

高校生のころいつも自転車で走っていた道。ただでさえ緑の少ない名古屋の市街地に、いったい何をしてくれたのか。

2008年6月29日日曜日

がんばれ北極

去年は、ほんとにひどかった。どんどん溶けてなくなった。今年は少し持ち直しているみたい。でも昔に較べたら!

『北極圏海氷モニター』 スライドショーは必見。
http://www.ijis.iarc.uaf.edu/cgi-bin/seaice-monitor.cgi?lang=j


 「仮に北極海水が消滅したら何が起こるか。太陽光線を反射しないためエネルギーがすべて吸収されてしまい、温暖化は一気に加速します。グリーンランド氷床も急速に溶け始め、米国のロッキー山脈以西の地域では大干ばつになるといわれています。
 さらに温暖化が進めば、大量の犠牲が出ることになる。そこには二つの恐怖があります。
 第一の恐怖は物理的な恐怖。人類がコントロールできない、暴走する温暖化の状況です。アマゾンの雨は循環していますが、ある点を過ぎたらそのシステムは崩壊してしまう。生態システムが復元できないレベルにまで不可逆的に崩壊するとされています。
 第二の恐怖は経済的恐怖。自然災害とそれにともなう人的災害が多発、巨大化すると世界の資金を集めて対処しようとしても限界がある。そうなると災害にあった場所は見捨てられ、人びとはその生活を放棄するほかない。結果、莫大な量の人間が難民化し、その状況はまさにコントロール不能となるのです。
 この二つの恐怖があってしかもそれがどちらも20年以内にポイント・オヴ・ノーリターンに達すると考えられています。」          (山本良一インタビュー、「Nature Interface」38号)

2008年6月27日金曜日

DC系のための個人的希望

DC系にはもちろん、すべての予想を裏切るような意表をついた分野を志す人に来てほしいけど、ぼくの勝手な希望もいくつか。

(1)第1期には音楽の人がいない。作り、演奏する人。
(2)ラテンアメリカかアフリカをフィールドとして、旅の経験を言葉と映像でまとめてくれる人。
(3)建築批評をやりたい人。
(4)デザインの哲学をやりたい人。
(5)本気のマンガ家(手で描く)。
(6)料理の手順を分析する人。
(7)科学におけるディジタル画像を研究する人。
(8)航空写真や水中写真の歴史を調べる人。
(9)YouTube人類学をやる人。
(10)ウェス・アンダーソン論を書きたい人。
(11)ぼくとバンドをやりたい人。
(12)すべての現代アーティストの中でアンディ・ゴールズワージーが最高だと思う人。
(13)動物芸の記号論をやる人。
(14)フラ・ダンス、あるいはタヒチかクック諸島のポリネシア系ダンスを真剣にやっている人。

そういうヒトがいたら、ぜひ来るように勧めて上げて下さい。

授業から

水曜日の「新領域創造特論」で冒頭にふれ歌を聴いてもらったのが、マリ共和国の盲目のカップル、アマドゥとマリアム。この機会にひさびさに聞き直して、惚れ直した! 最高。しかもその演奏がいまはYouTubeで見られる。映像もすごくいい。

http://jp.youtube.com/watch?v=iju1_DhH2Qs&feature=related

アフリカだなあ、やっぱり。今年、アフリカ初登場しようかと考えているところ。

木曜日の「コンテンツ批評」では建築家の原広司の『空間 <機能から様相へ>』をとりあげた。原先生の授業には、おおむかし、潜ったことがある。最高にかっこいい先生だったが、そのことばをいま読み直すと、また深い。たとえば「無境」について。

無境は、ここでは「中道」ではなくて、出現の誘起であり展開なのである。この限りない展開の可能性とその限界をさして、たとえば、「もののあはれ」と人は呼んだのである。中世の歌論が、「歌病」(かへい)として反復すなわち「同心の病」(トートロジー)を避け、輪廻を避けようとしたのも、ひとえに展開に憧れたからに他ならない。「無常」は、衆彩荘厳の限りない展開があることを知る喜びと、それが見尽くせない悲しみの同時存在を言いあらわしている。(「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」)

ぐっとくる。

2008年6月25日水曜日

DC系はどこがすごいのか

きょう、早稲田の学生たちと話していて、明治DC系の圧倒的な特異性がよく理解されていないことがわかったので、まとめておきます。

(1)理工系、文系、芸術系のいずれからでも進学でき、実際に第1期13名の出身学部が8名、3名、2名の割合になっている。
(2)修士修了の要件として選ぶのが、作品制作でも論文執筆でもよい。

このふたつをみたしている修士課程は、日本ではわれわれDC系だけだと思います。

そこで出てくる質問。たとえば。

「だったら、小説を書いて卒業することもできるのですか?」

答えはイエス&ノー。小説作品、もちろん大歓迎です。ただし、ディジタルメディアの応用という側面がある場合。写真との組み合わせ、動画やアニメーションとの組み合わせは、可能性のひとつ。あるいはもっと本格的なマルチメディア作品に、言語によるストーリーがからんでくる場合も。あるいは小説の執筆過程そのものに、たとえばハイパーテクストをなんらかの規則で組み合わせてゆくような(計算機の操作に頼らなくては果たせない)手続きが入っている場合。あるいはまた、メディア論的な観点が、作品そのものを深く規定している場合。

ただし作品として提出する場合には、外部的な評価をある程度うけることが必要です。小説なら、少なくとも部分的に、いわゆる「文芸誌」に掲載されるとか。

われわれはおそらく非常に高い水準を求めますが、その水準にまでひとりひとりの学生が飛躍的に技芸を向上させるためには、協力を惜しみません。

ぼくの夢としては、たとえばこれから、サハラ砂漠やアマゾナスの森林を歩いて横断しながら、リアルタイムでその報告を送ってくれるような学生が加わること。遠すぎる土地がむりなら、伊能忠敬や芭蕉の足取りをたどりつつ、映像と文章を送ってくれるような。そのプロセス全体を、「作品」として提示してほしいと思います。

あるいは、Hamish Fultonを知っていますか? ただ歩くだけのアーティスト。そんな歩行だって、DC系にとっては最高の修士制作になりえます。

あきれるほど自由なアイデアをもって、われわれのドアをいつでもノックしてください!

2008年6月23日月曜日

HOMEI MIYASHITA: Performances in absentia

DC系の中心人物である専任講師・宮下芳明さんのメディア・アーティストとしての作品が、明治大学生田図書館内のギャラリー・ゼロで公開されている。彼がまだ修士の学生だったころの作品だというディジタルオペラ・プロジェクトや、pHテルミンなど。奇才のパワー全開だ。

7月3日まで。見逃さないで!

2008年6月21日土曜日

DC研報告

夏至、おめでとう。冬至と並んで、一年のもっとも重要な日。明日からは太陽の力が弱まるので、われわれはそれを励ますために毎日、祈り、歌い、踊らなくてはなりません。少なくとも毎日、朝日にご挨拶しよう、晴れているかぎり。

きょうはひさびさに、アキバでディジタルコンテンツ学研究会。DC系の学生のみならず外部からのお客さんも4名。サイバー大学の阿部和広先生の、きわめて充実したお話をうかがうことができた。

阿部さんはすでに20年以上にわたってSmalltalkを、ついでSqueakを使ってきた、日本における第一人者。コンピュータ・テクノロジーをめぐる「思想」が、はっきりと感じられる方だ。

http://wiki.squeak.org/squeak/1687

お話はコンピュータ開発の歴史にはじまった。Memex (memory extention)を構想したヴァンヴァー・ブッシュ、マウスを発明したダグラス・エンゲルバート、スケッチパッドのアイヴァン・サザーランド、ロゴのシーモア・パパートらの足跡を見てゆく。中でも最重要なのは、ダイナブックを構想したアラン・ケイ。

コンピュータはメディアであり、しかもどんなメディアも模倣できる、存在しないものすら模倣できるメディアである。すなわちメタメディアと呼ぶにふさわしい。そんなアラン・ケイの認識のすごさに、阿部さんのお話によって目を開かれた。

後半は「100ドルラップトップ」として知られるOne Laptop Per Childプロジェクトの紹介。阿部さんはこの運動にも、深く関わっている。この計画によって流通する第2世代のXOは、見た目からしてアラン・ケイのダイナブックの実現、そのもの。思わず震えるほどの先見性と、地球的規模の社会的正義に対するヴィジョンだ。

最後に阿部さん自身の開発した「世界聴診器」World Stethoscopeのデモンストレーション。これでみんな大満足。しばらく遊ばせてもらって、お開きに。みんなでお昼を食べに行った。

いろいろな発想がぶつかりあうことによって、ヒトの世界把握そのものを深く変えてきたコンピュータの進化を、阿部さんはカンブリア紀の生物進化になぞらえた。理由はわからないが、ある方向に進み、それによってヒトという「種」と世界の関係が根源的に変わってくるということだろう。そしてその進化上のドリフトには、われわれもまた参加できる。

われわれはつねに世界の明日に関して(どんなに小さくても)決定権をもつ。

深く充実した土曜の午前だった。

2008年6月19日木曜日

DC系連続トークセッション決定!@246カフェ/ブックス

南青山の246カフェ/ブックスで、DC系のイベントを開催することになりました。

題して明治大学DC系プロデュース 連続トークセッション「見えるもの聞こえるもの」(What We See, What We Hear)

第1回は北島敬三さんをゲストに、「写真はいま何を考えているか」というタイトルで、倉石信乃と管啓次郎が加わり熱い議論をくりひろげる予定。

7月13日(日)、午後4時から6時まで。詳細はまたここで発表します。ぜひ遊びにきてください!

北島敬三 写真家。森山大道に写真を学ぶ。現在は、自主運営ギャラリー photographers'galleryを中心に活動している。国内および海外での個展・グループ展多数。1981年に日本写真協会新人賞、1983年に第8回木村伊兵衞賞を受賞。DC系兼任講師。


倉石信乃 批評家、詩人。モダンアート、写真史、美術館論などを研究。2007年まで横浜美術館学芸員としてロバート・フランク、中平卓馬、李禹煥などの企画展を担当してきた。著書に『反写真論』、共著に『失楽園:風景表現の近代1870-1945』、『カラー版 世界写真史』などがある。DC系准教授。

管啓次郎 翻訳者、エッセイスト。比較詩学研究。著書に『コロンブスの犬』『狼が連れだって走る月』『トロピカル・ゴシップ』『コヨーテ読書』『オムニフォン <世界の響き>の詩学』『ホノルル、ブラジル』がある。最新の訳書はエイミー・ベンダー『わがままなやつら』。DC系教授、主任。

以後、秋にはグラフィックデザイナーの近藤一弥さん、文学・音楽批評の陣野俊史さんをお迎えする予定です。


2008年6月18日水曜日

7月2日(水)、DC系説明会決定!

7月2日、ディジタルコンテンツ系の説明会をします。ちょうど出願期間。興味をおもちの方は、ぜひいらしてください。場所はお茶の水の明治大学駿河台キャンパス、リバティタワーです。9階の1093教室。(最初の1はリバティタワーを表します。)

16:30分開始、DC系の専任教員(宮下、倉石、管)がそれぞれ15分くらい話したあと、個別の相談に乗りたいと思います。終了予定は17:50分。

第1期の入試は8月1日。いろいろ、おもしろいことを一緒にできる仲間を、つねに求めています。気軽に参加してください。では7月2日に!

2008年6月14日土曜日

世界文化の旅・島めぐり編

明治大学リバティアカデミーの連続講座「世界文化の旅・島めぐり編」。くぼたのぞみさん(ハイチのカーニヴァル)、林巧さん(香港やボルネオのおばけ話)、鈴木慎一郎さん(ゾンビとカリプソなど)につづき、きょうはぼくの番。

「島」の本質をめぐる駄弁のあと、ラパヌイ(パスクア島)とタヒチの首都パペエテのスライドショーを見ていただき、おしまい。まずまず楽しくやれた。

以下、女性作家たちの島旅からの引用。これを出発点として、島への旅がもつ意味を考えてみたというわけ。話しているだけで、またどこかの島に行きたくなった。

よしもとばなな『なんくるなく、ない 沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか』(新潮文庫)

 その時に、もうひとつ面白いことを聞いた。
 ちょっとした事故などでほんとうにびっくりしてぼうっとなってしまうことを「まぶいを落とした」と言うそうだ。まぶい、とは魂のことである。子供はまぶいが抜けやすいので、転んだり事故にあったり、驚いたことのあった場所に行って、まぶいを取り戻すというのは、あたりまえのことだそうだ。大人になってもあまりにびっくりすると、みんな普通に胸のところを手でたたいて「まぶやー、まぶやー、うーてくーよー」とまぶいを呼び戻すそうである。
 すごく納得が行く。
 大学時代を東京で過ごした学さんがなにげなく「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」と言った。その表現は私の心をノックアウトした。その後彼に風邪をうつされて二週間苦しんだことも帳消しになるほどの感動だった。(56−57ページ)

 よしみさんはお嫁に行くときに魂が迷って実家に戻らないように、マブリツケという儀式をちゃんとしたそうです。両手首、両足首、そして首に聖なる糸をまいて、三日間はずしてはいけないそうです。そして、三日後にはずして、魂を自分の場所に置くそうです。その聖なる糸は、島の大地が育てた苧麻(ちょま)という植物で作るそうです。
 なんて、すばらしい、意味のこもった儀式だろう。しびれますよ。(101ページ)

大竹昭子『バリの魂、バリの夢』(講談社文庫)

 夢から覚めたとき、一瞬、ここはどこだろうと思った。やがて竹で編んだ天井がぼんやりと浮かんできて、バリにいるとわかった。外では動物たちがけたたましい鳴き声を上げていた。
 声はいく種類もの動物から発せられているようだった。低音部には何の動物かわからない地鳴りのような声があり、中音部は猿や山鳩や牛たちの声で占められ、それに犬たちの競うような遠吠えと、「オカーサン」と叫ぶ鶏の声がかぶさり、さらにその上に、名も知らない南国の鳥たちが、いっときも休むことなくピイチクピイとさえずりながら華麗な装飾音を付けていた。
 それまで何度もバリに来ていたが、こんなにたくさんの動物の合唱を聞いたのははじめてだった。水田と谷という地形の組み合わせが増幅効果を発揮して声の響きをよくしたのか、まるで巨大なオーケストラを目の前にしたような大音響だった。奇妙な夢の謎は解けたが、私は寝付けなかった。夜明けに動物たちはこんなにも大きな声を上げて鳴くのかと、一種の感動をもってベッドの中でその声を聴きつづけた。
 空が明るくなるに連れて、ステレオのボリュームを絞るように合唱の声は小さくなった。鳴き止むのではなく、まわりに合わせてみんなが少しずつ音量を下げていくのである。そして朝日が差し込むころには、すっかり聞こえなくなった。
 動物たちの声が静まると、こんどは人間の時間がはじまった。宿で働く青年たちのやや高くつぶれた鼻音のバリ語や、コンクリートをはく竹ぼうきの音や、ペタペタというゴムゾウリの音が聞こえてきた。それはかいがいしさとさわやかさが入り混じった、私にも馴染みのある島の生活の音だった。
 それにしても動物たちはなぜ一日のはじまりにあのような大声を挙げるのだろうと、私は考えた。よそ者を警戒する声でも、異性を引きつけようとする声でもなかった。声楽家の発声練習のような、純粋に声を出すための行為のように思えた。人間がラジオ体操や太極拳で体を動かしてから一日をはじめるように、動物も発声をして声の地ならしをするのではないかと想像したのである。(279−280ページ)

 ガムランの楽器は銅鑼と太鼓とチェンチェンというシンバルに似た青銅楽器で構成され、メロディーはない。音域の異なる楽器が別々のリズムを刻んでいるだけなので、一見、でこぼこして不揃いな感じがするが、よく聴くと全体から立ちのぼる空気に統一感があり、体の各部分を細かく刺激されるような、えも言われぬ快感があった。
 私はそのとき、明け方に聞いた動物の鳴き声を思いだした。個々の声が響きあい、重なりあって生まれる音の層には、指揮者はいないのに音の調和が感じられた。音のうねりが大地を渡っていくような、そんな印象を受けた。ガムランもおなじことなのではないか。(281ページ)

スザンナ・ムーア『神々のハワイ 文明と神話のはざまに浮かぶ島』(桃井緑美子訳、早川書房)

 どの島にも太陽の光がたえず降りそそぎ、雨もたっぷり降る。海面から3000メートル弱のところを吹く北東の貿易風は、海上に湿気を含んだ重たい空気のうねりを生む。島はそれぞれ幅の狭い浅瀬にかこまれ、その先で急に海が深くなるため、魚の量が豊富で漁に適している。
 ハワイ諸島に最初に定住したとされるのは、西暦600年ごろに南太平洋のマルケサス諸島から外洋用の大型カヌーに乗ってやってきたせいぜい数百人のポリネシア人だった。彼らがなぜ危険な洋上の長旅をくわだてたのかはよくわかっていない。おそらく漂流者か、戦争を逃れてきた難民か、あるいは王権争いの敗者の残党か、飢饉に見舞われた人々だったのだろう。北東の方角に山だらけの列島があるという神話を頼りにやってきたのかもしれないし、たんに好奇心から流浪してきたのかもしれない。理由はどうあれ、彼らは太平洋特有の海流と風にずいぶんたすけられたはずだ。わたしはクック諸島に住むマオリ族でカヌーをあやつる達人から、海に手を入れただけで、水温、風向き、海流の方向、陸地までの距離、水深など、なんでもわかると聞いたことがある。
 移住者は、ヤム芋、パンノキ、タロ芋、桑、治療や呪術に使う植物など、30種をもちこんだ。野鶏、野豚、犬、そして故意ではないだろうがねずみも運んできた。彼らが上陸したとき、ハワイ諸島に生育する植物で食べられるのはシダとハラ(タコノキ)だけだった。鳥(マルケサス諸島から動物がもちこまれるまでは天敵がいなかったため、飛べない鳥もいた)と蝙蝠も食料になった。タロ芋、さつま芋、さとうきび、クズウコンをはじめ、そのほかの根菜や木もすぐに栽培されるようになった。
(……)
 クックが上陸した当時は約1300種の種子植物がハワイに繁茂し、その9割は世界でもここでしか見られないものだった。(……)友好的なヴァンクーヴァー船長は、ソシエテ諸島から羊と山羊のほか、オレンジの若木ももちこんだ。だが、カリフォルニアから牛を導入したせいで、一部の鳥ばかりかハワイに固有の植物の多くを絶滅させてしまったのもヴァンクーヴァーだった。(……)20年後にウィリアム・エリスはたいへんな数の牛が丘から丘をうろつくすさまじい光景を目にした。牛や馬は草葺きの屋根を食べて島民の家を壊しもした。
(……)
 「森林火災と動物と農業がこの5、60年で島を大きく変えてしまい、いまではある地域を何キロ歩いても固有の植物は一つとして見つからない。さまざまな国からもちこまれた雑草や低木や牧草が地面をびっしりと覆っている。驚くべきことに、ハワイ諸島では熱帯植物と温帯植物の両方が同じようによく繁茂し、その多くは魔法をかけたように広がって、土地固有の植物の大半をたちまち絶滅させたのである」 [1885年、F・シンクレア夫人]

2008年6月13日金曜日

選挙、騒音

地元で選挙がはじまり、うるさくてうるさくてたまらない。

あいもかわらず「××の○○○、○○○です」の連呼。名前を必ず二度くりかえし。しずかな住宅地を、大音量で。

白手袋にたすきがけの姿も、とても21世紀とは思えない。いいかげん、何か根本的にちがった、しずかで説得力のあるかたちで、町をどうしたいか考えようとは思わないのか。

こういうときに欲しいのはネガティヴ投票。もっともうるさい候補に、マイナス一票を投じたい。

しずかで、でっかい樹木が多い町にしたい。そんな候補が欲しい。

第10回DC研

以下のとおり、次回のDC研を開催します。あの画期的なOne Laptop Per Child 計画についての見通しを得るためには、最高の機会。実物も見せていただけるはずです。

ぜひ、参加してください。

日時  6月21日(土)午前10時から正午まで
場所  秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 阿部和広さん(サイバー大学)
主催  理工学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系


「パーソナルコンピュータと初等教育 歴史・思想・現状」

今回のディジタルコンテンツ学研究会では、サイバー大学客員教授の阿部和広さんをお招きし、One Laptop Per Child を中心として、 パーソナルコンピュータが世界の初等教育をいかに変えつつあるかにつ いてお話いただきます。

グローバル化と情報技術の関係を根底的に考えるためにも、ぜひおさえておきたいポイント。お誘い合わせの上、お気軽にご参加ください。

「出版ダイジェスト」2008年初夏号

人文系出版社が作る出版梓会の「出版ダイジェスト」(みすず書房の号)に、細川周平『遠きにありてつくるもの 日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』の書評エッセー「<家郷の病>から病みあがるために」を寄稿しました。

音楽学者・細川さんの日系ブラジル研究の集大成。ぼくが結局入ってゆけなかったブラジル空間への没入ぶり、感動的です。本自体は、7月中旬に刊行とのこと。

ぼくがブラジルに滞在したのは1984年。そろそろまたブラジルに行きたくなってきた。

2008年6月10日火曜日

路上で

ある惨劇が、自分の生活圏に近く起こればそれを記憶し、遠く起これば何とも思わないのは、それ自体いやなことだ。ミャンマーを、四川を、遠い土地のできごととして無情にやりすごしているわれわれが、アキバに関しては大騒ぎするとなると、それはほんとうにいやなことだ。

でもやはり、あのよく知った路上で、あれほどの卑劣さが発揮されると、絶句し、その事件を絶えず反芻することにもなる。

http://akibanana.com/?q=node/879

池田小のときもそうだったが、こういう事件があると、死刑というのはあってもなんの意味もない、あるべきではない刑罰だという気になる。互酬性(人の命を奪ったなら自分の命で償う)とは、それ自体、別に正当な根拠のある考え方ではない。

卑劣きわまりない愚行によって、路上で命を奪われた方々のために、せめて黙祷をささげたい。

2008年6月7日土曜日

My Dog Essay

雑誌「水声通信」24号は特集「交感のポエティクス」。エコクリティシズム系の論考に混じって、「動物説教、狼と犬、そして犬の教え」というエッセーを寄稿した(51〜57ページ)。

異種間コミュニケーションという主題にはむかしから関心があって、すると犬とイルカが人の最大の相手になるのはあたりまえ。たとえばカブトムシとのコミュニケーションは、ごくごく限られた範囲でしか経験したことがない。カブトムシは反応する、でもなつかない。

もちろんチンパンジーやオウムがいるが、ぼくは犬とイルカ。

犬については、今後も少しずつ書いていきたい。そしていまいるミニ・マスティフと並んで、でっかいマスティフ系をいつか飼いたい。

2008年6月6日金曜日

『やし酒飲み』の帰還

ナイジェリア、ヨルバランド(ヨルバ人の土地)出身の大作家エイモス・チュツオーラ。彼の代表作『やし酒飲み』(1952年)が、このたび河出書房の「世界文学全集」におさめられ、イサク・ディネセンの『アフリカの日々』とともに一巻をなすかたちで刊行された。

土屋哲さんによる名訳。土屋先生が亡くなったため、今回はぼくが解説を書かせていただいた。いま読んでもほんとうにおもしろい、わくわくする、爆笑できる、奇怪な傑作だ。

帯のカマンテ・ガトゥラの絵が、またいい。

ちなみに土屋さんは日本におけるアフリカ文学研究の先駆者で、長らく明治で教えていた。セネガルの初代大統領で大詩人のサンゴールに明治大学が名誉博士号を授与したのも、それを機縁として明治大学図書館にアフリカ文庫ができたのも、氏の尽力による。

アフリカ文庫はじつにすぐれたコレクションなので、駿河台の図書館に行ったときには、ぜひ書庫に入ってみるといいと思います。いろんな発見がきっとあるから。

長く充実した一日

きょうはゼミのみんなとペドロ・コスタの『コロッサル・ユース』(Juventude em marcha 進みゆく若さ)を見に、イメージフォーラムへ。午前11時から、2時間半ばかりの強烈な映像体験だった。

http://jp.youtube.com/watch?v=GfCKm8ElQHo

ひとつひとつの場面の固定カメラの置き方が絶妙。驚き、につぐ驚き、につぐ驚き。ヴェントゥーラの背後にある物語は推測するしかないが、それが「わかるわからない」とは無関係に、強烈。

終了後、近くの老舗で名物オムライスを食べてから、アキバへ。

授業ではゲストが二人。中国からの留学生の于さんと札幌で古書店をいとなむ吉成くん。きょうは『武満徹対談選』(小沼純一編、ちくま学芸文庫)をめぐるディスカッションだったので、吉成くんには最後に(彼の先生でもある)詩人の吉増剛造さんのことをちょっと話してもらった。

吉成くん発行の『アフンルパル通信』掲載の吉増さんの手書き文字に、みんないい知れぬ衝撃を受けていた。

終わってからみんなでパブに。おもしろい話がたくさん聞けた。于さんの話からは、中国のいまの若者たちに対する日本のマンガの影響力の強さを実感。彼女のような人がどんどん入ってくれたら、DC系はほんとうに刺激にみちた場所になるだろう。

早速、今年から、中国、台湾、韓国の主要大学にも大学院案内のブロシュアを発送することにしたい。

2008年6月2日月曜日

「風の旅人」

6月1日発売の「風の旅人」32号に、連載エッセー「斜線の旅」の第17回として「桜、花、はじまり、小さな光」を書きました。

毎年、春になると氾濫する「桜写真」にまっこうから闘いを挑むような、新正卓さんのピンホール・カメラによる桜写真に触発されて綴った文章です。

「斜線の旅」連載も、いつのまにか17回。年6回ですから、次号で3年。もちろん、一冊の本にまとめるつもりですが、どんなかたちにしようか。ともあれ、これまでの歩みをまとめておきます。「風の旅人」16号(2005年)から。

1「フィジーの夕方」
2「湖とハリケーン」
3「ヌクアロファ」
4「最後の木の島」
5「オタゴ半島への旅」
6「タンガタ・フェヌア」
7「青森ノート」
8「見えないけれどそこにいる、かれら」
9「世界写真について」
10「ほら、まるで生きているみたいに死んでいる」
11「ここがもし聖地でなければどこが」
12「もしアメリカがなかったら、いまは」
13「モーテルと地図帳」
14「金沢で会う寒山、拾得」
15「島と森、鳥と果実」
16「その島へ、この海を越えて」
17「桜、花、はじまり、小さな光」

そしていまは次の号の作業中。おもしろいもので、雑誌連載では、「どうして自分がこんなことを書くのか」と思うような主題が浮上してきます。それはもちろん、そのつどのしめきり前後の苦闘のせいでもあり、編集者との対話のせいでもあり、まったくの運でもあります。

人は自分で文章を書いている気になるけれど、じつは「自分の力」なんて半分もないくらい。それがあるから、やはり雑誌という媒体はおもしろいし、広告なく運営している「風の旅人」というこの特異な雑誌に、前田英樹さん、酒井健さん、田口ランディさんらとともに連載をもたせていただいていることのふしぎさを、しばしば感じます。

この雑誌がつづくかぎり、この連載もつづけたい。つづけないかぎり、けっして出てこない何かが、世界のいたるところに隠されているのですから!

2008年6月1日日曜日

アフリカ/カリブ

木曜からずっと慌ただしい。慌ただしいことを「泡立たしい」とわざとまちがえていうのもおもしろい。

木曜日は、昨年リバティアカデミーを一緒にやったコンゴ民主共和国出身の宗教人類学者ロジェ・ムンシさんが、法学部の中村和恵さんのゼミにゲスト講師として招かれたので、朝から夕方までつきあう。充実。アフリカの内戦や国境紛争から呪術にいたるまで、たっぷり。その上、ムンシさんの博士論文の主題である日本の隠れキリシタンについても、いろいろおもしろいお話をうかがうことができた。学生たちの反応もよかった。

ロジェに会うたび思うのが、あの広大なコンゴをかつて「私有」していたベルギー国王レオポルド2世のこと。そしていまもアフリカでのあらゆる内戦の背後にある、地下資源を狙う欧米諸国の影。

土曜日は大学院の学内選抜。ついで午後からはリバティアカデミー。そのまえにアカデミーコモンの新領域資料室に寄ると、あいかわらずがらんとしていて、飾り気もなく、ものさびしい。折角の空間、もう少し魅力的な場所に育てたいもの。ここでの自主ゼミ開催なども考えてみようか。

リバティアカデミーはレゲエ博士の鈴木慎一郎さんによるゾンビ論。さすがに丁寧な説明で、いろいろaha!と思うことがあった。民族植物学者ウェイド・デイヴィスのゾンビ研究によると、ゾンビはフグ毒による仮死状態を利用して作られる。それはいいのだが、結局は暗示によって「ああ、やられた、もうダメだ」と思う部分が決めてなのではないか。しかし自分が経験するのも恐いし。仮死状態から生還した私、とか。

ハイチの波がなぜか続く。

土曜の夜にトヨダヒトシの河原でのスライド上映会の予定だったが、雨天のため一週間順延。まだ予約してない人、ぜひどうぞ!